日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。隔週月曜日にお届けします。

第495回
議員は「先生」か?

 議員に当選すると、呼ばれるようになる敬称がある。それは「先生」。
 この「先生」という呼び名を、いくつかの地方議会では廃止しようという動きがあるらしい。最近も大阪府議会で、そうした提案がなされたようだ。ただ、長年そのように呼びならわしてきたためか、すぐに廃止することは難しいようだ。
 議員になると、なぜ「先生」と呼ばれるようになるのだろうか。
 確かなことはわからないが、かつて書生たちがお世話になっている家の主人を「先生」と呼んだことから始まったという説がある。書生とは、他人の家に世話になって、家事を手伝いながら勉学する若者のことである。ただ書生を家においたのは議員に限らず、実業家や医者、弁護士などもいた。だから、その人たちもやはり「先生」と呼ばれていた。
 たとえば小栗風葉の小説『青春』(1905~06)に、以下のような例がある。

 「此時丁度庭口の木戸を開けて書生が入って来た。『先生、俥が来ますた。』と東北訛(なまり)」(秋・二)

 この「先生」は医師、それも怪しげな医師である。
 「先生」は学問や技術・芸能を教える人、特に、学校の教師をいう語である。議員だけでなく、弁護士や医師も「先生」と呼ばれるのは、この小説のようなことがあったからかもしれない。
 議員に対して言う「先生」がいつ頃から広まったのか、その手がかりをつかめないものかと思い、「帝国議会会議録検索システム」で「先生」を検索してみた。するとテキスト化されている「第89回帝国議会 貴族院 昭和二十年勅令第五百四十二号(承諾を求むる件)特別委員会 第1号」(1945年11月29日)以降「先生」が頻出することがわかった。テキスト化されていないため検索に引っかからなかっただけで、おそらく戦前から使われていたのだろう。だが、残念ながら確実なことはわからない。
 ところで、国語辞典で「先生」を引いてみると、おもしろいことがわかる。辞典によって、どのような職業の人間を「先生」と呼んでいるのか、その例が異なるのだ。以下、主立った辞典の例を掲げてみる。

 『日本国語大辞典』第2版:学者、教員、師匠、医師、議員
 『デジタル大辞泉』:教師、師匠、医師、代議士
 『大辞林』第4版:師匠、教師、医師、弁護士、国会議員
 『広辞苑』第7版 教師、医師、弁護士
 『新明解国語辞典』第8版:教育家、医師、芸術家、芸道の師匠
 『明鏡国語辞典』第3版:教師、師匠、医師、弁護士、代議士
 『岩波国語辞典』第8版:教師、医者
 『三省堂国語辞典』第8版:師匠、教師、医師、芸術家、弁護士、国会議員
 『現代国語例解辞典』第5版:学者、教師、技芸の師匠、医師、芸術家、
 弁護士、代議士
 『新選国語辞典』第10版:教員、医師、文士、議員

 教師、医師といったところは共通しているが、それ以外はけっこうまちまちなのである。しかも「議員」は『広辞苑』『岩波国語辞典』には見当たらない。同じ版元の辞典というのは気になるところだが、判断理由は部外者の私には想像も付かない。「議員」を「先生」と呼ぶ人がいることを知らなかったわけではないだろう。辞典に載せるまでもないと考えたか、あるいは「議員」に対する呼び名としては適切でないという昨今の風潮を早くも反映させたのか。もし後者だとしたらすごいと思う。私ならけっこう悩む気がするからだ。「議員」に対する呼び名として、「先生」は適切でないという意見には賛同できても、そのように呼ぶ人がいる限り、やはり議員の呼称でもあるという説明は、辞典には残しておきたくなるだろう。
 なお、以下は蛇足である。「代議士」「国会議員」としている辞典がいくつか見受けられるが、「代議士」とは国会議員、特に衆議院議員を指す語である。1890年の帝国議会の開設以降、衆議院議員は国民より公選されたことからそのように言われるようになった。別に揚げ足を取ろうと思っているわけではないが、「先生」は現在では衆議院議員を含む国会議員だけでなく、地方公共団体の議員に対しても使われている。そのため、「国会議員」「代議士」と限定するのではなく、広く「議員」とした方が現状にふさわしい気がするのである。

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