第496回
「勉強」は学ぶことではない?
2023年01月09日
『日本国語大辞典(日国)』で「勉強」という語を引いてみると、他辞書とは違う意味が最初に示されている。
「努力をして困難に立ち向かうこと。熱心に物事を行なうこと。励むこと。また、そのさま」
そしてその次の意味も、
「気がすすまないことを、しかたなしにすること」
というもので、この意味も他辞書にはたぶんない。
ほとんどの人が真っ先に思い浮かべる学問や技術を学ぶという意味は、3番目になってようやく出てくる。なぜそのようなことになったのだろうか。
実は、「勉強」に学ぶという意味が加わったのは、それほど古いことではないからである。「勉強」のもともとの意味は、『日国』で示された最初の意味、努力をして困難に立ち向かうこと、熱心に物事を行うことなのである。この意味の「勉強」は、中国古代の礼(れい)の規定やその精神を記した儒家の経典『礼記』に見える。『日国』にも引用されているが、それは、
「或利而行之、或勉強而行之、及其成功一也〔或(あるひ)は利して之(これ)を行ひ、或は勉強して之を行ふ、其の功を成すに及んでは、一(いつ)なり〕」(中庸)
というものである。「或勉強而行之」は、あるものはむりに努めてこれ(「道」と「徳」のこと)を行うという意味である。
日本では「勉強」はこのような意味で長い間使われていた。それがいつごろから学ぶという意味をもつようになったのか、その時期はよくわからない。
杉本つとむ著『語源解』によると、『近思録』に「学者固当勉強〔学ぶ者は固(もと)より当(まさ)に勉強すべし〕」とあり、『近思録』は「日本では江戸時代によく読まれ、現代日本語の〈勉強〉の源流となった」のだという。『近思録』は中国、宋代の朱子学の書である。ただ、『近思録』の「勉強」は学ぶという意味ではなく、やはり努力するという本来の意味で使われている。この場合は、学ぶ者が努力すべきことはもちろんであるという意味になる。
『語源解』の説が正しいとすると、この『近思録』で使われた「勉強」が、江戸時代のいつのころからか、学ぶという意味に変化したものと思われる。ただ、学ぶという意味で使われた「勉強」の例は、江戸時代のものは現時点では見つかっていない。明治初年のものが最も古い。
たとえば福沢諭吉は『学問のすゝめ』(1872~1876年)の中で、励む意にも学ぶ意にもとれそうな「勉強」を使っている。福沢も、蘭学を学ぶ以前は漢学を学んでいるので、『近思録』に接した可能性はある。
また、明治の初めに洋学者で教育家だった中村正直がサミュエル・スマイルズ著『Self Help (自助論)』を翻訳した『西国立志編』(1870~71年)の中には、以下のような文章がある。
「勉強を居恒(きょこう〈注〉ふだん)の習ひとして、凡(およ)そその知るところのものを、有用の実物練習に運転(〈注〉めぐらしむける)する事」(二・七)
この「勉強」は間違いなく学ぶ意味である。中村正直は江戸幕府直轄の昌平坂学問所で学んでいる。ここでは朱子学を正学としていた。
ただ、だからといって学ぶという意味をこの2人が考え出したということではない。彼らの周辺で、同じように学問を身につけることを目指していた者たちが使い始めたに違いない。
「勉強」はまさに努力して励まなければならないものだということから生じた意味だったのだろう。楽して身につくような学問などないのかもしれない。
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「努力をして困難に立ち向かうこと。熱心に物事を行なうこと。励むこと。また、そのさま」
そしてその次の意味も、
「気がすすまないことを、しかたなしにすること」
というもので、この意味も他辞書にはたぶんない。
ほとんどの人が真っ先に思い浮かべる学問や技術を学ぶという意味は、3番目になってようやく出てくる。なぜそのようなことになったのだろうか。
実は、「勉強」に学ぶという意味が加わったのは、それほど古いことではないからである。「勉強」のもともとの意味は、『日国』で示された最初の意味、努力をして困難に立ち向かうこと、熱心に物事を行うことなのである。この意味の「勉強」は、中国古代の礼(れい)の規定やその精神を記した儒家の経典『礼記』に見える。『日国』にも引用されているが、それは、
「或利而行之、或勉強而行之、及其成功一也〔或(あるひ)は利して之(これ)を行ひ、或は勉強して之を行ふ、其の功を成すに及んでは、一(いつ)なり〕」(中庸)
というものである。「或勉強而行之」は、あるものはむりに努めてこれ(「道」と「徳」のこと)を行うという意味である。
日本では「勉強」はこのような意味で長い間使われていた。それがいつごろから学ぶという意味をもつようになったのか、その時期はよくわからない。
杉本つとむ著『語源解』によると、『近思録』に「学者固当勉強〔学ぶ者は固(もと)より当(まさ)に勉強すべし〕」とあり、『近思録』は「日本では江戸時代によく読まれ、現代日本語の〈勉強〉の源流となった」のだという。『近思録』は中国、宋代の朱子学の書である。ただ、『近思録』の「勉強」は学ぶという意味ではなく、やはり努力するという本来の意味で使われている。この場合は、学ぶ者が努力すべきことはもちろんであるという意味になる。
『語源解』の説が正しいとすると、この『近思録』で使われた「勉強」が、江戸時代のいつのころからか、学ぶという意味に変化したものと思われる。ただ、学ぶという意味で使われた「勉強」の例は、江戸時代のものは現時点では見つかっていない。明治初年のものが最も古い。
たとえば福沢諭吉は『学問のすゝめ』(1872~1876年)の中で、励む意にも学ぶ意にもとれそうな「勉強」を使っている。福沢も、蘭学を学ぶ以前は漢学を学んでいるので、『近思録』に接した可能性はある。
また、明治の初めに洋学者で教育家だった中村正直がサミュエル・スマイルズ著『Self Help (自助論)』を翻訳した『西国立志編』(1870~71年)の中には、以下のような文章がある。
「勉強を居恒(きょこう〈注〉ふだん)の習ひとして、凡(およ)そその知るところのものを、有用の実物練習に運転(〈注〉めぐらしむける)する事」(二・七)
この「勉強」は間違いなく学ぶ意味である。中村正直は江戸幕府直轄の昌平坂学問所で学んでいる。ここでは朱子学を正学としていた。
ただ、だからといって学ぶという意味をこの2人が考え出したということではない。彼らの周辺で、同じように学問を身につけることを目指していた者たちが使い始めたに違いない。
「勉強」はまさに努力して励まなければならないものだということから生じた意味だったのだろう。楽して身につくような学問などないのかもしれない。
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