日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第500回
「たたき」と「のび」

 「闇バイト」なる語が話題になっている。さらには、その誘いに乗った若者がお互いに面識のないまま強盗を働き、それを意味する「たたき」という隠語も広まった。
 なぜ強盗を「たたき」というのか、はっきりとはわからないのだが、おそらく暴力を用いて金品を奪うことから言うのだろう。
 『日本国語大辞典(日国)』によると、「たたき」は『隠語輯覧』(1915年)という辞書に載っていることがわかる。『隠語輯覧』は主に犯罪者や香具師(やし)の隠語を集めた辞典である。発行は京都府警察部で、この手の警察や検察が編纂した隠語辞典は『隠語輯覧』以外にも存在する。捜査の必要があってこうした隠語を集めたのだろう。
 『日国』では強盗の意味の「たたき」の例として、小説からも2例引用している。

*浅草〔1931〕〈サトウハチロー〉留置場の幽霊・A「『たたきらしい。〆(しめ)た』政戸は、小声でかう言った。強盗がつかまったのだ」
*自由学校〔1950〕〈獅子文六〉乱世「バカいわんで下さい。わしを、ノビ(泥棒)かタタキ(強盗)とでも思っとるのですか」

 獅子文六の『自由学校』には「のび」という語も見えるが、これは文中にも説明があるように泥棒、窃盗の意味である。この「のび」については『隠語輯覧』に、なぜそのようにいうのか説明がある。「深夜家宅に忍入窃盗『しのび』の略」、つまり「しのび」の「し」を取った「のび」なのである。「のび」を働く人間は「のびし」と言ったらしい。この語は『日本隠語集』(1892年)などに見える。これも隠語辞典だが、編者の稲山小長男は広島県の警部だった人である。また、『特殊語百科辞典』(1931年)には「のびをやる」と言う語も載っている。忍び込むことという意味のようだ。『特殊語百科辞典』は司法警務学会編である。
 話を「たたき」に戻すと、この語は動詞形「たたく」の形でも使われていたようだ。「日国」には、「脅迫したり、強盗・窃盗を行なったりすることをいう、盗人仲間の隠語」とあり、

*いやな感じ〔1960~63〕〈高見順〉三・四「俺を何かタタク(おどかす)気か。いいや、オヒャラかす気か」

という例が引用されている。「たたく」は『隠語輯覧』には載っていないが、『特殊語百科辞典』には載っている。
 ちなみに『日国』によると、隠語としての「たたき」には強盗以外の意味もあったようだ。

 「恐喝することをいう、不良仲間の隠語。〔特殊語百科辞典〕」
 「婦女暴行をいう、盗人仲間の隠語。〔隠語構成様式并其語集〕」
 「他人の品物と自分の物とをすり替えることをいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集〕」
 「せり売りをいう、てきや仲間の隠語。〔特殊語百科辞典〕」

などである。
 これらの意味では強盗の意味の「たたき」と違って、現時点では文学作品の用例が見つかっていない。限られた人たちの間で使われていた、特殊な意味だったのかもしれない。
 いろいろ書いたが、「たたき」にしろ「のび」にしろ、ことばとしての知識だけにとどめておいてほしいものである。

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