日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第501回
「継続は力なり」

 「継続は力なり。青年は一歩前へ」
 『日本国語大辞典(日国)』の編集委員だった松井栄一(まついしげかず)先生がお好きだったということばである。中学時代の校長先生が、よくこのことばを口にしていたらしい(『日本人の知らない 日本一の国語辞典』2014年 小学館)。先生は2018年に92歳の誕生日の二日後に亡くなったのだが、体調を崩される直前まで日本語の実例を採集し続けていた。まさにこのことばを実践なさっていたのだと思う。
 ところで、この「継続は力なり」は格言のようだが、実は誰が最初に言い出したのかよくわからない。インターネットで検索すると、個人名を挙げて説明しているものもあるが、その人がこのことばを広める役割は果たしたとしても、最初に使った人とは断定できない。
 有名なことばなので辞書に載っていそうなものだが、そうでもない。私が調べた範囲では、『広辞苑』『デジタル大辞泉』『三省堂国語辞典』にしか載っていない。残念ながら『日国』にはない。用例がないのかというと、そういうことはない。ただ、ことばの性格なのだろう、教育関係の書籍の例が多い。
 誰が最初に言ったのかはわからないにしても、いつごろ言われ始めたのか知りたいと思っているのだが、それもわからない。
 現時点で確認できたものとしては、1918年(大正7年)のものが比較的古い。帝国議会の会議録での発言を筆記したものである。衆議院の「市町村吏員優遇ニ関スル建議案委員会」の会議録なのだが、帝国議会会議録検索システムでは詳しい内容はわからない。ただ、その年の5月に発行された「自治機関」(東京自治館)という雑誌に、日付は不明ながら、発言の速記が一部掲載されている。その中で「継続は力なり」は以下のように使われている。

「是も所謂継続は力なり其継続の勤勉か(が)之を奨励して、其事業の進歩発達を図るに外ならないと思ひます」(市町村吏員優遇に関する建議案)

もちろんこの発言から「継続は力なり」という語が生まれたなどとは言えない。「所謂」と言っているのだから、それ以前にすでに使われていたはずである。だとすると、「継続は力なり」の探索は、さらに継続して行わなければならない。
 ところで、この「継続」という語自体も、『日国』で検討が必要な語だとかねがね感じていた。『日国』によれば、「継続」の意味は以下の二つに分かれている。

(1)以前から行なわれていた事が引き続いて行なわれること。また、それを続けて行なうこと。
(2)以前からの事をうけつぐこと。継承。

現在普通に使われる意味は(1)の方である。『日国』で引用しているこの意味の例は、

*漢語字類〔1869〕〈庄原謙吉〉「継続 ケイゾク ツヅク」

が最も古い。『漢語字類』は明治初年にこのような形式の漢語辞書が多数刊行されるのだが、その一つである。辞書だからだめだというわけではなく、現時点での古い例が明治初年の辞書というのはいささか寂しい。辞書に載っているということは、すでにどこかで使われている可能性が高いからだ。
 『日国』は漢籍の例として『礼記疏(らいきそ)』の例を引用している。少なくとも漢籍を通じて日本人は「継続」という語と出会っていたはずなのだ。『礼記疏』は中国,唐初の儒学者・賈公彦(かこうげん)による、中国古代の礼(れい)について書かれた『礼記』の注釈書である。
 また、中国、清代のものだが『唐宋八大家文読本』にも「継続」の語が見える(巻6)。ただ、これは、『日国』では(2)の意味の例である。そしてこの(2)の用例も『日国』で引用しているのは『改正増補和英語林集成』(1886年)の明治の例だけである。
 『唐宋八大家文読本』は寛政年間(1789~1801年)に日本に伝えられ、藩校・私塾の教本として広く読まれたらしい。「継続」という語と出会う機会は確実にあったと思われる。だとすると、江戸後期の「継続」の使用例は見つけられないだけで、きっとどこかにあるはずなのである。
 今回「継続」について書いたのは、このコラムが501回目を迎えたからである。われながらよく続いていると思う。まさに、「継続は力なり」なのだ。

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