「人一倍」の「一倍」は何倍か?
2010年05月10日
標題のような質問を受けた。質問者は、「一倍」は数学だと×1なので、「人一倍がんばる」というのは、結局人と同じではないのか。人よりもがんばるのなら、正しくは「人二倍」ではないのか、というのである。
『日国』によれば、「一倍」は「二倍の古い言い方で、ある数量にそれと同じだけのものを加えること」とある。一番古い用例は奈良時代のものなので、かなり古くから2倍の意味で用いられていたことがわかる。江戸時代には、親が死んだときに返却する約束で借りる「一倍銀(いちばいがね)」というものがあったらしい。もちろん借りた額だけ返せばいいという、慈善事業のようなものではなく、2倍にして返さなければならない相当な高利貸であったようだ。
無理に理屈を付ければ、「倍」そのものに2倍の意味があるので、「一倍」は倍が1つで2倍なのだと説明できなくもない。しかし、実際の日常語としてはそんな厳密なものではなかったのかもしれない。
だから、やがてそれが転じて、「人一倍」のように正確な数量を表すのではなく、ほかと比べて程度が大きいという、「いっそう」「ずっと」の意味になったものと思われる。
なので、「人一倍がんばる」は人の2倍もがんばる必要はなく、人よりもちょっとだけがんばれば、1.1倍でもいいのだと思う。
『日国』によれば、「一倍」は「二倍の古い言い方で、ある数量にそれと同じだけのものを加えること」とある。一番古い用例は奈良時代のものなので、かなり古くから2倍の意味で用いられていたことがわかる。江戸時代には、親が死んだときに返却する約束で借りる「一倍銀(いちばいがね)」というものがあったらしい。もちろん借りた額だけ返せばいいという、慈善事業のようなものではなく、2倍にして返さなければならない相当な高利貸であったようだ。
無理に理屈を付ければ、「倍」そのものに2倍の意味があるので、「一倍」は倍が1つで2倍なのだと説明できなくもない。しかし、実際の日常語としてはそんな厳密なものではなかったのかもしれない。
だから、やがてそれが転じて、「人一倍」のように正確な数量を表すのではなく、ほかと比べて程度が大きいという、「いっそう」「ずっと」の意味になったものと思われる。
なので、「人一倍がんばる」は人の2倍もがんばる必要はなく、人よりもちょっとだけがんばれば、1.1倍でもいいのだと思う。
キーワード:



出版社に入りさえすれば、いつかは文芸編集者になれるはず……そんな想いで飛び込んだ会社は、日本屈指の辞書の専門家集団だった──興味深い辞書と日本語話が満載。希少な辞書専門の編集者によるエッセイ。




辞書編集37年の立場から、言葉が生きていることを実証的に解説した『悩ましい国語辞典』の文庫版。五十音順の辞典のつくりで蘊蓄満載のエッセイが楽しめます。
「満面の笑顔」「汚名挽回」「的を得る」……従来誤用とされてきたが、必ずしもそうとは言い切れないものもある。『日本国語大辞典』の元編集長で、辞書一筋37年のことばの達人がことばの結びつきの基本と意外な落とし穴を紹介。
