第60回
「卑下」する対象は?
2011年06月06日
「卑下」ということばについて読者から質問を受けた。多くの辞典には「おのれを低くし、いやしめること」と書かれているが、自分以外を卑下することもあるのではないかというのがその内容である。
確かに手もとにある国語辞典を引いてみると、ほとんどは「おのれをいやしめる」という意味しか載っていない。
ところが、『日国』のような大型の国語辞典では、「自己」の他に「他者」を「いやしめる」という意味も載っているのである。ただ、「おのれをいやしめる」という意味の用例は平安時代から現代まで満遍なく見られるのに対して、「他者をいやしめる」という意味での用例は、現時点では『西国立志編』『抒情詩〈国木田独歩〉』という明治期の例よりさかのぼれるものは見あたらない。
これはあくまでも推論だが、「おのれをいやしめる」というもともとの意味が、のちにその対象が「他者」にも広がって、自分以外のものも「いやしめる」「見下す」という意味が生じたのではないか。
だが、そうは言っても現時点では文学作品や評論、新聞などでは「自己をいやしめる」というもともとの意味で使われた例の方が依然として優勢であると考えられる。そのため 『日国』のような古語から現代語までを網羅した大型の国語辞典は別にして、通常の国語辞典では「他者をいやしめる」という意味は載せていないのではないだろうか。
ただ、今後「他者をいやしめる」という意味が広く使われるようになれば、その意味を無視することはできなくなるであろう。動向を注意深く見守りたい語のひとつである。
確かに手もとにある国語辞典を引いてみると、ほとんどは「おのれをいやしめる」という意味しか載っていない。
ところが、『日国』のような大型の国語辞典では、「自己」の他に「他者」を「いやしめる」という意味も載っているのである。ただ、「おのれをいやしめる」という意味の用例は平安時代から現代まで満遍なく見られるのに対して、「他者をいやしめる」という意味での用例は、現時点では『西国立志編』『抒情詩〈国木田独歩〉』という明治期の例よりさかのぼれるものは見あたらない。
これはあくまでも推論だが、「おのれをいやしめる」というもともとの意味が、のちにその対象が「他者」にも広がって、自分以外のものも「いやしめる」「見下す」という意味が生じたのではないか。
だが、そうは言っても現時点では文学作品や評論、新聞などでは「自己をいやしめる」というもともとの意味で使われた例の方が依然として優勢であると考えられる。そのため 『日国』のような古語から現代語までを網羅した大型の国語辞典は別にして、通常の国語辞典では「他者をいやしめる」という意味は載せていないのではないだろうか。
ただ、今後「他者をいやしめる」という意味が広く使われるようになれば、その意味を無視することはできなくなるであろう。動向を注意深く見守りたい語のひとつである。
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