日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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源実朝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
鎌倉幕府第3代将軍。源頼朝(よりとも)の二男。母は北条政子(ほうじょうまさこ)。幼名千幡(せんまん)。1203年(建仁3)北条時政(ときまさ)が2代将軍頼家(よりいえ)を倒したとき、後を継ぐ千幡に朝廷から実朝の名を賜り、征夷(せいい)大将軍に
大江広元(世界大百科事典・日本大百科全書)
鎌倉幕府前期の重臣。平安時代以来の学問の家柄である大江氏の出身。明法(みょうぼう)博士中原広季(ひろすえ)の養子となり中原姓を称したが、1216年(建保4)本姓に復した。初め、京の朝廷において外記(げき)として局務に携わる中堅官僚であったが
五輪書(世界大百科事典・日本大百科全書)
兵法(へいほう)二天一流(にてんいちりゅう)の基本的伝書で、流祖宮本武蔵玄信(むさしげんしん)(1584―1645)の遺書と伝えられる。全5巻。武蔵の自筆本は現存せず、写本としては、その没後20余年を経た1667年(寛文7)5月、高弟寺尾孫之丞
醒睡笑(世界大百科事典・日本大百科全書)
噺本(はなしぼん)(笑話本)。八巻。浄土宗の説教僧であった安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)が、京都所司代板倉重宗(いたくらしげむね)の懇請によって編集したもの。1623年(元和9)に完成し、28年(寛永5)3月17日に重宗に贈呈した。写本で伝わる
十字軍(世界大百科事典・日本大百科全書・文庫クセジュ)
11世紀末から13世紀にかけて8回以上にわたって西欧キリスト教徒が東欧、中近東各地に向けて行った軍事遠征の総称。公式遠征のほかに民衆巡礼団の自発的行動や、中近東の十字軍国家を起点とする近隣地域への進出なども広義の十字軍に含まれる
始皇帝(世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典・日本大百科全書)
中国、戦国の「七雄(しちゆう)」の一つ、秦(しん)国の王(在位前247~前221)、ついで秦帝国の初代皇帝(前221~前210)。辛亥(しんがい)革命(1911)に至るまで、2000余年も存続した皇帝支配体制の創立者として、歴史的に重要な人物である。
アイヌ(日本大百科全書・世界大百科事典)
アイヌは、日本列島北部に先住してきた独自の言語と文化をもつ民族である。アイヌ語でアイヌとは人間を意味し、自らの居住する領域を陸と海を含めてモシリとよんでいた。アイヌの占有的に生活する領域はアイヌモシリ、すなわち人間の大地、人間の世界を意味する
ロシア人(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
ロシア連邦の中核をなす民族。人口は旧ソ連領内に約1億4515万5000人(1989)で、その99.9%がロシア語を母語とする。本来の居住地はウラル山脈以西のヨーロッパ・ロシアであるが、16世紀以降のシベリア入植によって現在はシベリアの人口の90%以上
スターリン(日本大百科全書・世界大百科事典)
本名ジュガシビリДжугашвили/Dzhugashvili。ソ連の政治家。12月21日ジョージア(グルジア)のゴリという町の靴屋の子に生まれる。チフリス(現、ジョージア・トビリシ市)の神学校在学中にマルクス主義の洗礼を受け、職業革命家の道に入った
川端康成(日本大百科全書・世界大百科事典)
小説家。明治32年6月14日、大阪に生まれる。医師の父栄吉、母ゲンの長男。1901年(明治34)父、翌年母が亡くなり、大阪府三島郡豊川村大字宿久庄(しゅくのしょう)(現茨木(いばらき)市宿久庄)で祖父母に育てられた。小学校入学の年祖母、4年のとき姉
上総介広常(日本大百科全書・国史大辞典)
平安末期の武将。平忠常(ただつね)の子孫、常澄(つねずみ)の子。上総権介(ごんのすけ)に任じ、介八郎(すけのはちろう)と称す。その所領は上総国(千葉県中部)から下総(しもうさ)国(千葉県北部)に及び、この地方最大の勢力を誇った。保元(ほうげん)
静御前(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
生没年不詳。源義経(よしつね)の妾(しょう)。磯禅師(いそのぜんじ)の女(むすめ)で、もと京都の白拍子(しらびょうし)であった。義経が京都堀川第(ほりかわだい)で兄頼朝(よりとも)の刺客土佐房昌俊(とさぼうしょうしゅん)に襲われたとき、機転によって
沖縄(県)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日本最西端、有人島域としては日本最南端に位置する県で、「琉球(りゅうきゅう)」の別称もある。アジア大陸の東縁を九州の南から台湾島の手前の与那国(よなぐに)島まで、弓状にカーブを描いて伸びる1200キロメートルに及ぶ南西諸島(琉球列島)のほぼ南半分を
アルデバラン(日本大百科全書・世界大百科事典)
おうし座のα(アルファ)星の固有名。アラビア語で「後に続くものAlDabaran」の意で、同じおうし座のプレヤデス(すばる)よりも少し遅れて日周運動していることに由来する。日本でもいくつかの地方で「すばるの後星(あとぼし)」とよばれている。冬の夜空で
古本説話集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安末期の説話集。編者未詳。現存伝本は東京・梅沢記念館所蔵写本が唯一のもので、題簽(だいせん)、内題ともになく、本来の書名は不明。仮題が定着しているが、『梅沢本古本説話集』などともよばれる。所収説話の伝承関係から推定して1126年(大治1)から
多武峰少将物語(日本大百科全書・日本国語大辞典)
平安中期、10世紀後半の仮名文学。伝本の多くは「多武峯少将」とする。「物語」を書名に添えるのは江戸時代に入ってからである。『高光(たかみつ)日記』ともよばれるが、『河海(かかい)抄』(『源氏物語』の注釈書。14世紀)などに引く『高光日記』と同一か
御堂関白記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
藤原道長の日記。『法成寺摂政記(ほうじょうじせっしょうき)』『御堂日記』『入道殿御日記』などともいう。道長が晩年、法成寺を建立し、御堂殿、御堂関白殿とよばれたことによる呼称である。しかし道長は、内覧、摂政(せっしょう)、太政(だいじょう)大臣には
国際連合(日本大百科全書・世界大百科事典)
国際連合(以下国連と略称)は、国際連盟TheLeagueofNationsの後を受けて、第二次世界大戦直後に設立され、国際平和と安全の維持をおもな目的とする、普遍的な平和機構である。一般的には、この名称は、国連憲章Charter of the United Nationsに基づいて設立された
漢文学(日本大百科全書)
日本人の創作した漢詩および文学的な漢文。漢文学は日本人が中国の言語文字を用いて、日本人の思想感情を表現したものであることはいうまでもないが、中国の文学を崇拝、摂取して、自国の文学の発展に努力してきた。そのため中国文学の変遷に留意し、新しい傾向を追って
建武以来追加(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
室町幕府の発布した法令の集成。室町幕府は鎌倉幕府の継承者を標榜(ひょうぼう)したから、個々の法令は「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」に対する追加法と意識されたので、この名称がある。幕府の創立から永正(えいしょう)年間(1504~21)まで
元寇(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代のなかば、1274年(文永11)と1281年(弘安4)の2回にわたり行われた蒙古(もうこ)(元)の日本侵略。文永の役(ぶんえいのえき)・弘安の役(こうあんのえき)、蒙古襲来ともいい、当時は蒙古合戦、異国合戦と称し、元寇の語は近世以後定着した。
承久の乱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が鎌倉幕府を討とうとして挙兵し、敗れた内乱。[上横手雅敬]▲原因1202年(建仁2)朝廷で権力を振るっていた源通親(みなもとのみちちか)が没し、後鳥羽上皇が政治の実権を掌握した。幕府では将軍(鎌倉殿)源頼朝(よりとも)
満州国(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本が満州事変によってつくりあげた傀儡(かいらい)国家。1932年(昭和7)から1945年まで、中国東北地方と内モンゴルをおもな領域として存立した。[君島和彦]▲前史満州とは現在の中国東北3省(遼寧(りょうねい)、吉林(きつりん)、黒竜江
壇ノ浦の戦(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1185年(文治1)下関(しものせき)市東方の壇之浦で行われた源平最後の海戦。この年2月屋島(やしま)の戦いに敗れた平氏の総帥宗盛(むねもり)らは、長門彦島(ながとひこしま)(下関市)に拠(よ)る平知盛(とももり)の軍と合体、九州の源範頼(のりより)
東京大空襲(日本大百科全書)
1945年(昭和20)3月10日未明の東京下町(したまち)地区に対する爆撃を中心とする、アメリカ軍の大量無差別の航空爆撃作戦。沖縄戦や広島・長崎への原爆投下と並ぶ太平洋戦争中の日本における大戦災となった。米軍機の日本空襲は開戦翌年の1942年4月の
承平・天慶の乱(国史大辞典・日本大百科全書)
10世紀に東国と西国でほぼ時を同じくして起こった反乱。主謀者の名をとり、将門(まさかど)・純友(すみとも)の乱とも称す。[森田悌]▲将門の乱平将門の乱は939年(天慶2)を境に2段階に分かれ、前段階では東国開発領主間の私闘という性格が強かったが
平将門(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安中期の関東の武将。桓武(かんむ)平氏高望(たかもち)の孫。父は鎮守府将軍良持(よしもち)または良将(よしまさ)とも伝え、母を犬養春枝(いぬかいのはるえだ)の娘とするものもある。その行動は『将門記(しょうもんき)』に詳しい。下総(しもうさ)北部の
藤原基経(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安前期の官僚。藤原長良(ながら)(良房(よしふさ)の兄)の第3子で、母は藤原乙春(おとはる)。藤原良房の養子となり、養父を継いで氏長者(うじのちょうじゃ)となり、いわゆる藤原摂関家隆盛の基礎をつくりあげた。851年(仁寿1)に16歳で文徳
応天門の変(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
866年(貞観8)平安宮大内裏(だいだいり)の正門である応天門の炎上をめぐる政治的陰謀事件。応天門の炎上(閏(うるう)3月10日)からしばらくたって、門に火をつけさせたのは左大臣の源信(まこと)であると口火を切ったのが、時の右大臣藤原良相(よしみ)と
藤原京(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
694年(持統天皇8)12月から文武(もんむ)天皇を経て、元明(げんめい)天皇の710年(和銅3)3月の平城京遷都まで3代15年間の都城。その宮城である藤原宮が、畝火(うねび)・耳成(みみなし)・香具(かぐ)の大和(やまと)三山に囲まれた地にあった
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