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日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧

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クリミア戦争(日本大百科全書・世界大百科事典)
1853年から56年にかけて、ロシアと、トルコ・イギリス・フランス・サルデーニャの連合軍との間で行われた戦争。クリミア半島がその舞台となったところから、こうよばれる。[外川継男]▲原因戦争の直接のきっかけは、フランス国内のカトリックの人気取りを目ざす
独ソ戦争(日本大百科全書・世界大百科事典)
第二次世界大戦の重要な一局面をなす1941~45年のソ連とドイツ・イタリアなど枢軸同盟国との戦争。ソ連では「大祖国戦争」Velikaya otechestvennaya voina Sovetskogo Soyuzaとよぶ。41年6月22日ドイツ軍の全面的なソ連領侵攻で始まった。ここに1939年9月以来の英独戦争は
地政学(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
スウェーデンの政治学者チェレーンRudolfKjellén(1864―1922)によって第一次世界大戦直前につくられた用語で、政治地理学が世界の政治現象を静態的に研究するのに対し、地政学はこれを動態的に把握し、権力政治の観点にたって、その理論を国家の
養生訓(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸時代に出た心身の養生法を説いた最も著名な書。著者は福岡藩の学者貝原益軒。八巻。正徳三年(一七一三)著者八十四歳の著。医薬の知識をもつ父の指導で少年期に医薬および食物の性をほぼ知るに至った彼は、長い浪人期に医者になるつもりで再度長崎へ行く。
おくのほそ道(日本大百科全書・世界大百科事典)
芭蕉(ばしょう)の俳諧(はいかい)紀行。1689年(元禄2・芭蕉46歳)の3月27日、門人河合曽良(かわいそら)を伴って江戸を旅立ち、奥羽、北陸の各地を巡遊、8月21日ごろ大垣に入り、さらに伊勢(いせ)参宮へと出発するまでの、約150日間にわたる旅を
世間胸算用(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
浮世草子。五巻五冊。井原西鶴作。元禄五年(一六九二)正月刊。各巻四章、合計二十編の短編を集めた町人物。題名の下に「大晦日(おおつごもり)は一日千金」と副題し、また、「元日より胸算用油断なく、一日千金の大晦日をしるべし」(序文)と記すように、当時の経済
百科事典(日本大百科全書・世界大百科事典)
あらゆる自然的・人工的な事物、現象、事項および行動に関して解説を行い、さらに具体的に理解を助けるために挿画、地図、写真、図、表などを添えて、それらの項目を五十音(またはイロハ順)あるいはアルファベット順に配列した事典。近年は特定分野ないし一事項に
辞典(日本大百科全書)
ことばや文字をある視点から整理して配列し、その読み方、意味などを記した書物(日本国語大辞典など)をいう。辞書、辞彙(じい)、字典、字彙、字引などともいう。[彌吉光長]▲種類一般に文字または綴字(てつじ)の標目を五十音またはアルファベット順に配列し
東欧(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
東ヨーロッパと同義。一般的には、ヨーロッパを東西に二分したときの東部にあたる地域をさす。その範囲は時代によりまた場合により変わる。当初ローマ帝国分裂後の東ローマ帝国の版図をさした。ついでカトリック教会に対する東方教会の影響下にある地域、あるいは
バルト三国(日本大百科全書・文庫クセジュ)
ヨーロッパ北東部のバルト海沿岸に位置するエストニア、ラトビア、リトアニアの三国をさす。ラトビアとエストニアは、13世紀初頭にドイツの帯剣騎士団に支配された。リトアニアは独立を維持し、1386年に大公ヤギェウォJagiełłoがポーランド・リトアニア
NATO(北大西洋条約機構)(日本大百科全書・世界大百科事典)
北大西洋条約に基づく同盟。略称はNATO(ナトー)。1949年にベルギー、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、イギリスの西欧10か国とアメリカ、カナダの全12か国により発足。冷戦後に旧東側の
源範頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
生没年不詳平安・鎌倉時代前期の武将。父は源義朝。母は遠江国池田宿の遊女。源頼朝の異母弟。通称蒲冠者。史料上の初見は『吾妻鏡』養和元年(一一八一)閏二月二十三日条でこの時頼朝の命により志田義広追討のため下野国に出陣している。これ以前の経歴は不詳だが
公暁(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一二〇〇-一九鶴岡八幡宮寺別当。鎌倉幕府三代将軍源実朝を殺した。正治二年(一二〇〇)に生まれる。父は二代将軍源頼家、母は賀茂重長の娘。幼名善哉。父が将軍を廃せられて殺されたのち、元久二年(一二〇五)鶴岡八幡宮寺別当尊暁の門弟になる。建永元年(一二〇六
北条時房(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一七五-一二四〇鎌倉時代中期の連署。安元元年(一一七五)生まれる。北条時政の三男、義時の弟。文治五年(一一八九)四月、元服して五郎時連と称し、七月には奥州征伐に従軍。蹴鞠をよくし,二代将軍源頼家に近侍した。建仁二年(一二〇二)六月、時房と改名
運慶(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
?-一二二三鎌倉時代初期の仏師。康慶の子。長子湛慶が建長六年(一二五四)八十二歳であった(蓮華王院本堂中尊千手観音像銘)ことから逆算して、ほぼ一一四〇年代の出生と推定される。治承四年(一一八〇)焼亡の東大・興福両寺の復興造像に康慶とともに一門を率いて
猿蓑(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
江戸前期の俳諧撰集(はいかいせんしゅう)。去来(きょらい)、凡兆(ぼんちょう)共編。其角(きかく)序、丈草(じょうそう)跋(ばつ)。1691年(元禄4)5月成り、同年7月3日、京の井筒屋庄兵衛(しょうべえ)の手により刊行。乾(けん)、坤(こん)2冊。
野ざらし紀行(甲子吟行)(日本大百科全書・世界大百科事典)
芭蕉(ばしょう)の俳諧(はいかい)紀行。一巻(一冊)。別名「甲子吟行(かっしぎんこう)」。1685年(貞享2)成立。書名は冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉(かな)」による。1684年8月門人千里(ちり)を伴い、芭蕉は深川の草庵(そうあん)を
好色一代男(井原西鶴集)(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
けした所が恋のはじまり桜もすぐ散ってしまって嘆きの種だし、月も限りがあって山の端にはいってしまう。そんなはかない眺めよりもと、限りのない、女色・男色の二道に打ち込んで、夢介と替名を呼ばれる太尽は、その
石川啄木(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八八六-一九一二明治時代の歌人、詩人。名は一、中学時代翠江・麦羊・白蘋(はくひん)と号した。明治十九年(一八八六)二月二十日岩手県南岩手郡日戸村(岩手郡玉山村)に生まれた。父一禎(いってい)は曹洞宗常光寺の住職、母かつは南部藩士工藤条作常房の娘で
二葉亭四迷(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六四-一九〇九明治時代の小説家。本名長谷川辰之助。元治元年(一八六四)二月二十八日(文久二年(一八六二)十月八日説、元治元年二月三日説もある)、江戸市ヶ谷の尾張藩上屋敷(東京都新宿区、現在陸上自衛隊市谷駐屯地)に生まれた。父は尾張藩士長谷川吉数
桂太郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八四七-一九一三明治時代の軍人、政治家。弘化四年(一八四七)十一月二十八日、萩藩士馬廻役百二十五石の桂与一右衛門信繁と母喜代子の長男として、長州萩平安古(山口県萩市平安古町)に生まれる。はじめ寿熊と称し、のち太郎と改名。海城と号す。藤田与次右衛門
ガリレイ(Galileo Galilei)(岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
イタリアの物理学者,天文学者.ピサに生まれる.ピサ[1589]およびパドヴァ[92-1616]の各大学数学教授.ピサの聖堂の吊灯を見て振子の等時性を発見した[1583].ピサの斜塔で落体の実験を行い,アリストテレスの自然学の誤りを正し,近代的力学成立
シェークスピア(デジタル版 集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
イギリスの劇作家,詩人。中部イングランド,ウォリックシャーの小さな町ストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれた。誕生日は4月23日とされるが,それは記録に残る受洗日の4月26日から逆算して,後世がそのように定めたものである。父親ジョンは,近隣の
ジャンヌ・ダルク(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
15世紀前半、イギリスのランカスター王家が仕掛けてきた戦争(後期百年戦争)の最中、神の命令を受けたと称して現れ、フランスのバロア王家を支援したロレーヌ出身の女。2年後、異端として殺された。今日われわれのみるジャンヌ・ダルクは、国民国家意識の高揚した
東京スカイツリー(日本大百科全書)
2012年(平成24)5月に、東京都墨田(すみだ)区に開業した電波塔。高さは東京タワーの2倍近い634メートル。完成時点で、自立式鉄塔としては高さ世界1位、人工建造物としてはドバイのブルジュ・ハリファ(828メートル、2010年完成)に次ぎ、世界2位
五・一五事件(日本大百科全書・世界大百科事典)
1932年(昭和7)に起きた海軍青年将校を中心としたクーデター事件で、血盟団事件の第二陣として計画されたもの。1931年の十月事件失敗後、海軍青年将校は井上日召(にっしょう)らと結んでクーデター計画を進めてきた。32年の血盟団事件で団員が検挙されると
源実朝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一九二-一二一九鎌倉幕府第三代将軍。一二〇三―一九在職。幼名千幡。建久三年(一一九二)八月九日鎌倉で誕生。父は源頼朝、母は北条政子。正治元年(一一九九)正月十三日父が急死、兄頼家が第二代将軍となった。建仁三年(一二〇三)の八月二十七日
源行家(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一一八六平安・鎌倉時代前期の武将。本名義盛。為義の十男、熊野新宮に住し新宮十郎と呼ばれた。治承四年(一一八〇)四月八条院蔵人となり行家と改名、同年五月に挙兵した以仁王の令旨を奉じ東国に下向、源頼朝をはじめとする諸国源氏の蜂起を促した。
大江広元(世界大百科事典・日本大百科全書)
鎌倉前期の幕府の重臣。式部少輔大江維光の子で,明経博士中原広季の養子となり,鎌倉に下るまでは外記として文筆の職にあった。源頼朝と親しかった,同じ広季の養子親能の関係から頼朝に招かれ,1184年(元暦1)以来,幕府の公文所ついで政所の別当となり
五輪書(世界大百科事典・日本大百科全書)
江戸初期の兵法書。二天一流の流祖宮本武蔵の著。仏教の〈五大〉,地水火風空にかたどって5巻に分かれ,地の巻は兵法の大意,水の巻は兵法の利,火の巻は合戦の理,風の巻は他流の評論,空の巻は兵法の奥義について述べている。1643年(寛永20)から45年
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