日本人名大辞典のサンプルページ一覧
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大正天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八七九 - 一九二六 一九一二―二六在位。明治十二年(一八七九)八月三十一日午前八時十二分、東京青山御所内御産所にて生誕。明治天皇第三皇子、生母権典侍柳原愛子。九月六日、嘉仁(よしひと)と命名、明宮(はるのみや)と称した
仁孝天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八〇〇 - 四六 一八一七―四六在位。諱は恵仁(あやひと)、幼称は寛(ゆた)宮。寛政十二年(一八〇〇)二月二十一日光格天皇の第六皇子として誕生。母は東京極院子(ただこ、贈内大臣勧修寺経逸の女))。文化四年(一八〇七)七月
後桃園天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一七五八 - 七九 一七七〇―七九在位。宝暦八年(一七五八)七月二日桃園天皇の第一皇子として誕生。母は関白一条兼香の女、皇太后富子(恭礼門院)。諱は英仁(ひでひと)。嫡出の皇子であるので、誕生の翌年正月十八日早くも儲君に定められ
中御門天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一七〇一 - 三七 一七〇九―三五在位。元禄十四年(一七〇一)十二月十七日東山天皇の第五皇子として誕生。母は新崇賢門院(内大臣櫛笥隆賀の女賀子)。諱は慶仁(やすひと)、幼称は長宮(ますのみや)。宝永四年(一七〇七)三月儲君に治定
東山天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一六七五 - 一七〇九 一六八七―一七〇九在位。諱は朝仁(あさひと)。幼称五宮。延宝三年(一六七五)九月三日霊元天皇の第四皇子として誕生。母は内大臣松木宗条の女宗子(敬法門院)。天和二年(一六八二)三月儲君に治定、同年十二月親王宣下
霊元天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一六五四 - 一七三二 一六六三―八七在位。諱は識仁(さとひと)、幼称は高貴宮(あてのみや)。後水尾天皇の第十九皇子として承応三年(一六五四)五月二十五日誕生。母は新広義門院(贈左大臣園基音の女国子)。誕生の年、後光明天皇の養子と定められ
後西天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一六三七 - 八五 一六五四―六三在位。寛永十四年(一六三七)十一月十六日後水尾天皇の第八皇子として誕生。母は贈左大臣櫛笥隆致の女隆子(逢春門院)である。幼称は秀宮、諱は良仁(ながひと)という。正保四年(一六四七)十一月叔父にあたる
後光明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一六三三 - 五四 一六四三―五四在位。寛永十年(一六三三)三月十二日後水尾天皇の第四皇子として誕生。母は贈左大臣園基任の女光子(壬生院)。諱は紹仁(つぐひと)、幼称は素鵞(すが)宮という。同十九年十二月十五日親王宣下、翌二十年十月三日
正親町天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一五一七 - 九三 一五五七―八六在位。諱は方仁(みちひと)。永正十四年(一五一七)五月二十九日生まる。後奈良天皇の第二皇子、母は参議万里小路賢房の女贈皇太后栄子(吉徳門院)である。天文二年(一五三三)十二月親王宣下および元服の儀を挙げ
後奈良天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四九六 - 一五五七 一五二六―五七在位。明応五年(一四九六)十二月二十三日後柏原天皇の第二皇子として権中納言勧修寺政顕第において誕生。母は豊楽門院藤原藤子(贈左大臣勧修寺教秀の女)。諱は知仁(ともひと)。永正九年(一五一二)四月八日親王宣下
後柏原天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四六四 - 一五二六 一五〇〇―二六在位。寛正五年(一四六四)十月二十日後土御門天皇の第一皇子として誕生。母は贈皇太后源朝子(贈内大臣庭田長賢の女)。諱は勝仁(かつひと)。文明十二年(一四八〇)十二月十三日親王宣下、同月二十日元服の儀あり
後土御門天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四四二 - 一五〇〇 一四六四―一五〇〇在位。嘉吉二年(一四四二)五月二十五日後花園天皇の皇子として誕生。母は嘉楽門院藤原信子(藤原孝長の女、贈太政大臣大炊御門信宗の養女)。諱は成仁(ふさひと)。長禄元年(一四五七)十二月十九日親王宣下あり
後花園天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四一九 - 七〇 一四二八―六四在位。名、彦仁(ひこひと)。応永二十六年(一四一九)六月十八日生まれる。父は、早世した兄治仁(はるひと)王のあとを継いで伏見宮第三代となった貞成(さだふさ)親王(後崇光院)。母は、右近衛少将庭田経有の娘幸子
称光天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一四〇一 - 二八 一四一二―二八在位。応永八年(一四〇一)三月二十九日、後小松天皇の第一皇子として生まれる。母は日野資国の女資子(光範門院)。諱は躬仁(みひと)、のち実仁。同十八年親王宣下、元服。翌十九年八月二十九日後小松天皇の譲りを受けて践祚
後小松天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三七七 - 一四三三 一三八二―一四一二在位。名、幹仁(もとひと)。永和三年(一三七七)六月二十七日、前内大臣三条公忠の押小路(おしこうじ)殿で生まれた。父は北朝五代後円融天皇、母は公忠の娘厳子(通陽門院)。永徳二年(一三八二)四月七日
後円融天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三五八 - 九三 一三七一―八二北朝在位。延文三年(一三五八)十二月十二日後光厳天皇の第二皇子として誕生。母は広橋兼綱の女崇賢門院藤原仲子(実父は石清水八幡宮祠官紀通清)。応安四年(一三七一)三月二十一日親王宣下あり、緒仁(おひと)と命名
後光厳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三三八 - 七四 一三五二―七一北朝在位。暦応元年(一三三八)三月二日光厳天皇の第二皇子として誕生。母は三条公秀の女陽禄門院藤原秀子。諱は弥仁(いやひと)。仏門に入る予定で日野資名に養育されたが、政局の急変によりにわかに皇位についた
後亀山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
 - 一四二四 一三八三―九二在位。南朝第四代の天皇。父は後村上天皇。母は阿野実為の女であることはほぼ確実で、吹上本『帝王系図』の付紙にもこの事実がみえる。実為女は嘉喜門院らしいが、確かなことはわからない。諱は煕成。弘和三年(北朝永徳三、一三八三)末
後二条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二八五 - 一三〇八 一三〇一―〇八在位。名、邦治(くにはる)。弘安八年(一二八五)二月二日生まれる。父は大覚寺統の後宇多天皇。母は亀山天皇の女御准三宮近衛位子(新陽明門院)の官女、前内大臣堀川具守の娘(後年、西華門院と宣下されたときに
四条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二三一 - 四二 一二三二―四二在位。諱は秀仁(みつひと)。寛喜三年(一二三一)二月十二日一条室町亭で誕生。後堀河天皇の第一皇子。母は藻壁門院藤原子(九条道家の娘)。同年四月十一日親王、十月二十八日皇太子となる
仲恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二一八-三四 一二二一在位。順徳天皇の皇子。母は九条良経女の立子(のち東一条院)。諱は懐成(かねなり)。建保六年(一二一八)十月十日に生誕し、間もなく翌月二十六日に立太子。順徳天皇が後鳥羽上皇(順徳父)の討幕計画に熱心に関わり譲位したため
六条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一六四-七六 一一六五―六八在位。二条天皇の子で、母は伊岐致遠の女。諱は順仁。長寛二年(一一六四)十一月十四日に生まれる。永万元年(一一六五)六月二十五日親王宣下をうけその日に受禅、七月二十七日即位。父二条天皇が病弱であったための即位
二条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一四三-六五 一一五八―六五在位。後白河天皇の第一子。諱は守仁。母は大炊御門経実の女贈皇太后懿子。康治二年(一一四三)六月十七日生まれる。鳥羽天皇の皇后美福門院得子に養育され、仁和寺覚性法親王の弟子となったが、久寿二年(一一五五)
近衛天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一三九-五五 一一四一―五五在位。諱は体仁(なりひと)。保延五年(一一三九)五月十八日、鳥羽上皇の皇子として誕生。母は権中納言藤原長実の女得子(美福門院)。同年七月親王となり、八月早くも皇太弟に立つ。永治元年(一一四一)十二月
後冷泉天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一〇二五-六八 一〇四五―六八在位。万寿二年(一〇二五)八月三日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第一王子として誕生。母は藤原道長の女嬉子。諱は親仁。長元九年(一〇三六)十二月二十二日、親王宣下。長暦元年(一〇三七)七月二日、十三歳で元服
後一条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一〇〇八-三六 一〇一六―三六在位。寛弘五年(一〇〇八)九月十一日一条天皇の第二皇子として誕生。母は藤原道長の女彰子。諱は敦成。同年十月十六日親王宣下。同八年六月十三日三条天皇の皇太子となる。時に四歳。長和五年(一〇一六)正月二十九日九歳で受禅
ド=ロ(日本人名大辞典)
フランスの宣教師。1840年3月27日生まれ。カトリック。慶応4年(1868)プチジャンの要請をうけて来日し,長崎の大浦天主堂で石版印刷による宗教書を刊行。のち外海(そとめ)地域の主任司祭。診療所をひらき,出津(しつ)教会などを建設したほか,地元民の教育や社会福祉事業につくした。大正3年
今川氏真(国史大辞典・日本人名大辞典)
一五三八-一六一四 戦国時代の武将。上総介。天文七年(一五三八)義元の子として生まれる。母は武田信虎の女。永禄元年(一五五八)すでに駿河にその発給文書がみられ、国務の一部を委ねられていたが、同三年父義元の討死により家督を相続した。しかし氏真にとって、桶狭間の敗戦の打撃は
井伊直親(日本人名大辞典)
戦国時代の武将。天文(てんぶん)5年生まれ。井伊直満の子。井伊直政の父。今川氏につかえ,桶狭間(おけはざま)の戦いで戦死した従兄(いとこ)井伊直盛の跡をつぎ,遠江(とおとうみ)(静岡県)井伊谷(いいのや)城主となる。謀反の風説がたったため,今川氏真(うじざね)に弁明におもむく途中
明石掃部(明石全登/あかしてるずみ)(日本人名大辞典・世界大百科事典・国史大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村らと活躍したが,慶長20年(1615)大坂落城の際に死んだとも,逃亡して元和4年に病死したともいう。
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