日本人名大辞典のサンプルページ一覧

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渋沢喜作(国史大辞典・日本人名大辞典)
一八三八-一九一二明治時代の実業家。渋沢栄一の従兄で、栄一より二歳年長。天保九年(一八三八)六月十日、武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)に渋沢文平の子として生まれる。文久三年(一八六三)栄一らとともに攘夷を決行しようとしたが中止した。翌元治元年
安倍晋三(日本大百科全書・日本人名大辞典)
政治家。東京都生まれ。父親は元外務大臣安倍晋太郎(1924―1991)、祖父が元首相岸信介(きしのぶすけ)、大叔父が元首相佐藤栄作(さとうえいさく)という政治家一族に生まれる。小学校から大学までを東京都武蔵野市にある成蹊(せいけい)学園で学び
風の又三郎(日本架空伝承人名事典・日本人名大辞典・日本大百科全書)
宮沢賢治の童話『風の又三郎』(生前未発表)の主人公、高田三郎。三郎は、鉱石会社の技師である父の転勤で東北のある谷間の小学校分教場にやってきた。都会育ちらしく洋服を着、赤毛で色白く標準語を話す。三郎が転校してきた日は九月一日、二百十日のこと。三郎が
風魔小太郎(日本架空伝承人名事典・日本人名大辞典)
戦国末期に活躍したとされる相州乱波(らっぱ)の首領。『北条五代記』によれば、乱波とは「他家へ忍び入り、山賊、夜討、強盗して物盗ること上手なり。才智ありて、計略めぐらすこと、凡慮におよばず」といい、小太郎はこうした関東乱波のうち、小田原北条氏
与謝野晶子(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八七八 - 一九四二 明治から昭和時代にかけての歌人・詩人。本名しよう。明治十一年(一八七八)十二月八日、堺県甲斐町(大阪府堺市甲斐町)に生まれる。生家は菓子商駿河屋。父鳳(ほう)宗七・母つねの三女。堺女学校補修科卒。はやくから古典に親しみ
武者小路実篤(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八八五 - 一九七六 大正・昭和時代の小説家、劇作家、詩人、画家。明治十八年(一八八五)五月十二日東京麹町に、子爵実世・秋子(なるこ)の末子(四男)として生まれた。母は勘解由小路(かでのこうじ)氏の出。二歳のとき父を肺結核で失う
松平容保(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八三五 - 九三 江戸時代後期の京都守護職。陸奥国会津藩主。諱は容保、通称は之允、叙爵して若狭守・肥後守、号は祐堂・芳山。天保六年(一八三五)十二月二十九日江戸に生まれる。美濃国高須藩主松平義建の六男。母は古森氏。弘化三年(一八四六)
大正天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八七九 - 一九二六 一九一二―二六在位。明治十二年(一八七九)八月三十一日午前八時十二分、東京青山御所内御産所にて生誕。明治天皇第三皇子、生母権典侍柳原愛子。九月六日、嘉仁(よしひと)と命名、明宮(はるのみや)と称した
仁孝天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八〇〇 - 四六 一八一七―四六在位。諱は恵仁(あやひと)、幼称は寛(ゆた)宮。寛政十二年(一八〇〇)二月二十一日光格天皇の第六皇子として誕生。母は東京極院子(ただこ、贈内大臣勧修寺経逸の女))。文化四年(一八〇七)七月
後桃園天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一七五八 - 七九 一七七〇―七九在位。宝暦八年(一七五八)七月二日桃園天皇の第一皇子として誕生。母は関白一条兼香の女、皇太后富子(恭礼門院)。諱は英仁(ひでひと)。嫡出の皇子であるので、誕生の翌年正月十八日早くも儲君に定められ
中御門天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一七〇一 - 三七 一七〇九―三五在位。元禄十四年(一七〇一)十二月十七日東山天皇の第五皇子として誕生。母は新崇賢門院(内大臣櫛笥隆賀の女賀子)。諱は慶仁(やすひと)、幼称は長宮(ますのみや)。宝永四年(一七〇七)三月儲君に治定
東山天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一六七五 - 一七〇九 一六八七―一七〇九在位。諱は朝仁(あさひと)。幼称五宮。延宝三年(一六七五)九月三日霊元天皇の第四皇子として誕生。母は内大臣松木宗条の女宗子(敬法門院)。天和二年(一六八二)三月儲君に治定、同年十二月親王宣下
霊元天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一六五四 - 一七三二 一六六三―八七在位。諱は識仁(さとひと)、幼称は高貴宮(あてのみや)。後水尾天皇の第十九皇子として承応三年(一六五四)五月二十五日誕生。母は新広義門院(贈左大臣園基音の女国子)。誕生の年、後光明天皇の養子と定められ
後西天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一六三七 - 八五 一六五四―六三在位。寛永十四年(一六三七)十一月十六日後水尾天皇の第八皇子として誕生。母は贈左大臣櫛笥隆致の女隆子(逢春門院)である。幼称は秀宮、諱は良仁(ながひと)という。正保四年(一六四七)十一月叔父にあたる
後光明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一六三三 - 五四 一六四三―五四在位。寛永十年(一六三三)三月十二日後水尾天皇の第四皇子として誕生。母は贈左大臣園基任の女光子(壬生院)。諱は紹仁(つぐひと)、幼称は素鵞(すが)宮という。同十九年十二月十五日親王宣下、翌二十年十月三日
正親町天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一五一七 - 九三 一五五七―八六在位。諱は方仁(みちひと)。永正十四年(一五一七)五月二十九日生まる。後奈良天皇の第二皇子、母は参議万里小路賢房の女贈皇太后栄子(吉徳門院)である。天文二年(一五三三)十二月親王宣下および元服の儀を挙げ
後奈良天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四九六 - 一五五七 一五二六―五七在位。明応五年(一四九六)十二月二十三日後柏原天皇の第二皇子として権中納言勧修寺政顕第において誕生。母は豊楽門院藤原藤子(贈左大臣勧修寺教秀の女)。諱は知仁(ともひと)。永正九年(一五一二)四月八日親王宣下
後柏原天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四六四 - 一五二六 一五〇〇―二六在位。寛正五年(一四六四)十月二十日後土御門天皇の第一皇子として誕生。母は贈皇太后源朝子(贈内大臣庭田長賢の女)。諱は勝仁(かつひと)。文明十二年(一四八〇)十二月十三日親王宣下、同月二十日元服の儀あり
後土御門天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四四二 - 一五〇〇 一四六四―一五〇〇在位。嘉吉二年(一四四二)五月二十五日後花園天皇の皇子として誕生。母は嘉楽門院藤原信子(藤原孝長の女、贈太政大臣大炊御門信宗の養女)。諱は成仁(ふさひと)。長禄元年(一四五七)十二月十九日親王宣下あり
後花園天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一四一九 - 七〇 一四二八―六四在位。名、彦仁(ひこひと)。応永二十六年(一四一九)六月十八日生まれる。父は、早世した兄治仁(はるひと)王のあとを継いで伏見宮第三代となった貞成(さだふさ)親王(後崇光院)。母は、右近衛少将庭田経有の娘幸子
称光天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一四〇一 - 二八 一四一二―二八在位。応永八年(一四〇一)三月二十九日、後小松天皇の第一皇子として生まれる。母は日野資国の女資子(光範門院)。諱は躬仁(みひと)、のち実仁。同十八年親王宣下、元服。翌十九年八月二十九日後小松天皇の譲りを受けて践祚
後小松天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三七七 - 一四三三 一三八二―一四一二在位。名、幹仁(もとひと)。永和三年(一三七七)六月二十七日、前内大臣三条公忠の押小路(おしこうじ)殿で生まれた。父は北朝五代後円融天皇、母は公忠の娘厳子(通陽門院)。永徳二年(一三八二)四月七日
後円融天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三五八 - 九三 一三七一―八二北朝在位。延文三年(一三五八)十二月十二日後光厳天皇の第二皇子として誕生。母は広橋兼綱の女崇賢門院藤原仲子(実父は石清水八幡宮祠官紀通清)。応安四年(一三七一)三月二十一日親王宣下あり、緒仁(おひと)と命名
後光厳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一三三八 - 七四 一三五二―七一北朝在位。暦応元年(一三三八)三月二日光厳天皇の第二皇子として誕生。母は三条公秀の女陽禄門院藤原秀子。諱は弥仁(いやひと)。仏門に入る予定で日野資名に養育されたが、政局の急変によりにわかに皇位についた
後亀山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
- 一四二四 一三八三―九二在位。南朝第四代の天皇。父は後村上天皇。母は阿野実為の女であることはほぼ確実で、吹上本『帝王系図』の付紙にもこの事実がみえる。実為女は嘉喜門院らしいが、確かなことはわからない。諱は煕成。弘和三年(北朝永徳三、一三八三)末
後二条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二八五 - 一三〇八 一三〇一―〇八在位。名、邦治(くにはる)。弘安八年(一二八五)二月二日生まれる。父は大覚寺統の後宇多天皇。母は亀山天皇の女御准三宮近衛位子(新陽明門院)の官女、前内大臣堀川具守の娘(後年、西華門院と宣下されたときに
四条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二三一 - 四二 一二三二―四二在位。諱は秀仁(みつひと)。寛喜三年(一二三一)二月十二日一条室町亭で誕生。後堀河天皇の第一皇子。母は藻壁門院藤原子(九条道家の娘)。同年四月十一日親王、十月二十八日皇太子となる
仲恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一二一八-三四 一二二一在位。順徳天皇の皇子。母は九条良経女の立子(のち東一条院)。諱は懐成(かねなり)。建保六年(一二一八)十月十日に生誕し、間もなく翌月二十六日に立太子。順徳天皇が後鳥羽上皇(順徳父)の討幕計画に熱心に関わり譲位したため
六条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一六四-七六 一一六五―六八在位。二条天皇の子で、母は伊岐致遠の女。諱は順仁。長寛二年(一一六四)十一月十四日に生まれる。永万元年(一一六五)六月二十五日親王宣下をうけその日に受禅、七月二十七日即位。父二条天皇が病弱であったための即位
二条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一一四三-六五 一一五八―六五在位。後白河天皇の第一子。諱は守仁。母は大炊御門経実の女贈皇太后懿子。康治二年(一一四三)六月十七日生まれる。鳥羽天皇の皇后美福門院得子に養育され、仁和寺覚性法親王の弟子となったが、久寿二年(一一五五)
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