「あわやホームラン」は正しいか?
2013年02月18日
最近はほとんど聞かなくなったが、以前はテレビやラジオの野球中継で、アナウンサーが「あわやホームラン!」などと叫んでいるのをよく耳にした。もちろんこの「あわや」は誤用なので、放送では意識して使わないようにしたのであろう。だが、インターネットでは、いまだにこれに類する誤用が検索に引っかかるのである。
「あわや」という語は、危険などが身近に差し迫っているさまを表す語で、「あわや自転車にぶつかるところであった」などのように「あわや…する」という言い方で使われることが一般的である。
この「あわや」は、古くは、何かことの起ころうとするときや驚いたときに発する感動詞であった。「ああまあ」とか、「ああっ」「あれっ」などといった意味合いである。たとえば、『日本国語大辞典 第2版』には『平家物語』の用例が引用されている。
「あやしのしづのを賤女(しづのめ)にいたるまで、あはや法皇のながされさせましますぞやとて〔=卑しい男女にいたるまで、「ああ、(後白河)法皇様がお流されになるぞ」と言って〕」(三・法皇被流)
この場合の「あはや」は「ああ」という驚きの感動詞である。このようにこの語は、追い詰められたり緊張したりした場面での驚きを表していたことから、現在一般に使われるような危うくの意味の副詞としての用法が生じたのである。
ところで、「あわや」には危機一髪のところで大事にいたらないですむというニュアンスもある。そのため、「あわやホームラン」は打者の側から見れば誤用だが、打たれた投手の側から見れば必ずしも間違いとは言えないということもある。このようなことから、NHKなどでは誤解を避けるために「あわや」を使わずに、「もう少しで」などと言うようにしているようだ。しかし、「あわやホームラン」は「もう少しでホームラン」と置き換えることはできるが、「あわや自転車にぶつかるところであった」の「あわや」を「もう少しで」に置き換えると、ニュアンスが違ってしまうような気がする。
「あわや」という語は、危険などが身近に差し迫っているさまを表す語で、「あわや自転車にぶつかるところであった」などのように「あわや…する」という言い方で使われることが一般的である。
この「あわや」は、古くは、何かことの起ころうとするときや驚いたときに発する感動詞であった。「ああまあ」とか、「ああっ」「あれっ」などといった意味合いである。たとえば、『日本国語大辞典 第2版』には『平家物語』の用例が引用されている。
「あやしのしづのを賤女(しづのめ)にいたるまで、あはや法皇のながされさせましますぞやとて〔=卑しい男女にいたるまで、「ああ、(後白河)法皇様がお流されになるぞ」と言って〕」(三・法皇被流)
この場合の「あはや」は「ああ」という驚きの感動詞である。このようにこの語は、追い詰められたり緊張したりした場面での驚きを表していたことから、現在一般に使われるような危うくの意味の副詞としての用法が生じたのである。
ところで、「あわや」には危機一髪のところで大事にいたらないですむというニュアンスもある。そのため、「あわやホームラン」は打者の側から見れば誤用だが、打たれた投手の側から見れば必ずしも間違いとは言えないということもある。このようなことから、NHKなどでは誤解を避けるために「あわや」を使わずに、「もう少しで」などと言うようにしているようだ。しかし、「あわやホームラン」は「もう少しでホームラン」と置き換えることはできるが、「あわや自転車にぶつかるところであった」の「あわや」を「もう少しで」に置き換えると、ニュアンスが違ってしまうような気がする。
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「満面の笑顔」「汚名挽回」「的を得る」……従来誤用とされてきたが、必ずしもそうとは言い切れないものもある。『日本国語大辞典』の元編集長で、辞書一筋37年のことばの達人がことばの結びつきの基本と意外な落とし穴を紹介。
