第160回
「少年老いやすく学なり難し」の作者は誰?
2013年05月20日
第157回の『「立ち振る舞い」という言い方』で、個人的な思い込みについて書いたが、今回は辞書にも思い込みはあるという話である。
「少年易老学難成(少年老いやすく 学なりがたし)」という漢詩の一節をご存じの方も大勢いらっしゃると思う。「若いと思っているうちにすぐに年老いてしまい、志す学問は遅々として進まない。年月は移りやすいので寸刻をおしんで勉強せよということ」(『日本国語大辞典 第2版』)である。
この詩句は長い間、中国南宋の思想家朱熹(しゅき)の作だと信じられてきた。朱熹(1130~1200)は朱子(しゅし)とも呼ばれ、その学説朱子学は日本にももたらされ、江戸時代には幕府から官学として保護を受けた。この詩はその朱熹の「偶成詩」だと言われていたのである。なぜそうなったのかというと、明治時代の漢文教科書に朱熹の作として掲載されていたかららしい。各辞典は何の疑問も抱かずにそれを踏襲していたのである。ただ、朱熹の詩文集にこの詩がないということは一部では知られていたことであったらしい。
先行する他の辞典を真似るからそういうことになるのだと言われればそれまでなのだが、朱熹作という思い込みはごく最近まで続いていた。
ところが、平成になって間もない頃、作者問題を論じた画期的な論文が、柳瀬喜代志氏、岩山泰三氏という2人の研究者から相次いで発表された。紙面の都合で詳細は省くが、いずれも日本の禅僧の作であるという説である。
たまたまではあるが、岩山泰三氏には『日本国語大辞典 第2版』の編纂作業にご協力いただいていた。そのため岩山氏のご教示もあって、第2版では朱熹説は疑問で、江戸時代初期に五山派の禅僧の詩を集成した『翰林五鳳集(かんりんごほうしゅう)』に収録されている、室町前期の五山僧惟肖得巖(いしょうとくがん)の作ではないかという補注を付け加えた。
だが、さらに第2版刊行後の2005年に、朝倉和氏が室町時代に京都の相国寺(しょうこくじ)の住持だった観中中諦(かんちゅうちゅうたい)(1342~1406 )の語録・詩文集『青嶂集』にこの詩が見えるとし、これが当該詩の出典としては最も古い作品であると指摘した。朝倉氏の説は『日本国語大辞典 第2版』には間に合わなかったのだが、今後第3版の改定作業ではこの説も検討することになるであろう。
これらの諸説を受けて、近年は朱熹説は疑問であるとしている辞典も増え始めている。作者問題は必ずしも決着をみたわけではないが、地道な研究が長年の辞書の思い込みを変えつつあるのである。
「少年易老学難成(少年老いやすく 学なりがたし)」という漢詩の一節をご存じの方も大勢いらっしゃると思う。「若いと思っているうちにすぐに年老いてしまい、志す学問は遅々として進まない。年月は移りやすいので寸刻をおしんで勉強せよということ」(『日本国語大辞典 第2版』)である。
この詩句は長い間、中国南宋の思想家朱熹(しゅき)の作だと信じられてきた。朱熹(1130~1200)は朱子(しゅし)とも呼ばれ、その学説朱子学は日本にももたらされ、江戸時代には幕府から官学として保護を受けた。この詩はその朱熹の「偶成詩」だと言われていたのである。なぜそうなったのかというと、明治時代の漢文教科書に朱熹の作として掲載されていたかららしい。各辞典は何の疑問も抱かずにそれを踏襲していたのである。ただ、朱熹の詩文集にこの詩がないということは一部では知られていたことであったらしい。
先行する他の辞典を真似るからそういうことになるのだと言われればそれまでなのだが、朱熹作という思い込みはごく最近まで続いていた。
ところが、平成になって間もない頃、作者問題を論じた画期的な論文が、柳瀬喜代志氏、岩山泰三氏という2人の研究者から相次いで発表された。紙面の都合で詳細は省くが、いずれも日本の禅僧の作であるという説である。
たまたまではあるが、岩山泰三氏には『日本国語大辞典 第2版』の編纂作業にご協力いただいていた。そのため岩山氏のご教示もあって、第2版では朱熹説は疑問で、江戸時代初期に五山派の禅僧の詩を集成した『翰林五鳳集(かんりんごほうしゅう)』に収録されている、室町前期の五山僧惟肖得巖(いしょうとくがん)の作ではないかという補注を付け加えた。
だが、さらに第2版刊行後の2005年に、朝倉和氏が室町時代に京都の相国寺(しょうこくじ)の住持だった観中中諦(かんちゅうちゅうたい)(1342~1406 )の語録・詩文集『青嶂集』にこの詩が見えるとし、これが当該詩の出典としては最も古い作品であると指摘した。朝倉氏の説は『日本国語大辞典 第2版』には間に合わなかったのだが、今後第3版の改定作業ではこの説も検討することになるであろう。
これらの諸説を受けて、近年は朱熹説は疑問であるとしている辞典も増え始めている。作者問題は必ずしも決着をみたわけではないが、地道な研究が長年の辞書の思い込みを変えつつあるのである。
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