第260回
「おかあさん」
2015年05月04日
5月の第2日曜日は「母の日」である。今年は5月10日がその日なので、今回は「母の日」にちなんで、「おかあさん」という語について触れてみたい。
母親の呼称は「母(はは)」が古く、『万葉集』などにもその例が見られる。ただ、時代はやや下るが、12世紀頃から「ハハ」ではなく「ハワ」という表記も見られることから、「ハワ」と言っていた時代もあったと考えられている。
これに対して「おかあさん」はかなり新しい。『日本国語大辞典』によれば、近世に生まれた日常語で、「オカカサマ→オカアサマ(またはオカカサン)→オカアサン」と変化してできたのだという。最初の「オカカサマ」の「カカ」は時代劇などでもよく聞かれるが、文献での使用例は16世紀後半までさかのぼれる。ちょうど豊臣秀吉の時代に当たる。ただ、なぜ母親のことを「カカ」と言うかはよくわかっていない。女房詞(にょうぼうことば=室町初期頃から、宮中に仕える女房が用いた一種の隠語)に母親をいう「か文字」という語があることから、やはり母親をいう「かみさま(上様)」と何らかの関連があるのではないかと考えている人もいる。
「おかあさん」は江戸時代後期に上方で使われるようになった語のようで、その辺の事情は『守貞漫稿(もりさだまんこう)』(1837〜53)というその当時に書かれた随筆がわかりやすく伝えている。
「京坂ともに男女児より父を称して中以上は御爺様(おとっさん)母を呼で御かあさんと云、小民(=庶民)の子は『ととさん』『かかさん』と云」
一方、江戸では「おかあさん」はあまり広まらず、時代が明治に変わり20世紀になる頃からようやく良家の子女の間で使われるようになったのだという。それまではどう呼んでいたのかというと、やはり『守貞漫稿』に「おっかさん」、あるいは小民(=庶民)の子は「おっかあ」と呼んでいたとある。
「おかあさん」が急激に広まったのは1903(明治36)年の第一期国定読本「尋常小学読本-二」に書かれた、
「タロー ハ、イマ、アサ ノ アイサツ ヲ シテヰマス。 (略) オカアサン オハヤウゴザイマス。」
による。「読本」とは、第二次世界大戦前まで小学校で主に国語の授業で使われた教科書のことをいう。現在の検定教科書とは違い、当時はすべての小学生がこの教科書で学習したわけである。
この教科書に「おかあさん」が採用されたことが契機となり、以後急速に普及し、母親の呼称の標準語形として定着していくのである。
母親の呼称は「母(はは)」が古く、『万葉集』などにもその例が見られる。ただ、時代はやや下るが、12世紀頃から「ハハ」ではなく「ハワ」という表記も見られることから、「ハワ」と言っていた時代もあったと考えられている。
これに対して「おかあさん」はかなり新しい。『日本国語大辞典』によれば、近世に生まれた日常語で、「オカカサマ→オカアサマ(またはオカカサン)→オカアサン」と変化してできたのだという。最初の「オカカサマ」の「カカ」は時代劇などでもよく聞かれるが、文献での使用例は16世紀後半までさかのぼれる。ちょうど豊臣秀吉の時代に当たる。ただ、なぜ母親のことを「カカ」と言うかはよくわかっていない。女房詞(にょうぼうことば=室町初期頃から、宮中に仕える女房が用いた一種の隠語)に母親をいう「か文字」という語があることから、やはり母親をいう「かみさま(上様)」と何らかの関連があるのではないかと考えている人もいる。
「おかあさん」は江戸時代後期に上方で使われるようになった語のようで、その辺の事情は『守貞漫稿(もりさだまんこう)』(1837〜53)というその当時に書かれた随筆がわかりやすく伝えている。
「京坂ともに男女児より父を称して中以上は御爺様(おとっさん)母を呼で御かあさんと云、小民(=庶民)の子は『ととさん』『かかさん』と云」
一方、江戸では「おかあさん」はあまり広まらず、時代が明治に変わり20世紀になる頃からようやく良家の子女の間で使われるようになったのだという。それまではどう呼んでいたのかというと、やはり『守貞漫稿』に「おっかさん」、あるいは小民(=庶民)の子は「おっかあ」と呼んでいたとある。
「おかあさん」が急激に広まったのは1903(明治36)年の第一期国定読本「尋常小学読本-二」に書かれた、
「タロー ハ、イマ、アサ ノ アイサツ ヲ シテヰマス。 (略) オカアサン オハヤウゴザイマス。」
による。「読本」とは、第二次世界大戦前まで小学校で主に国語の授業で使われた教科書のことをいう。現在の検定教科書とは違い、当時はすべての小学生がこの教科書で学習したわけである。
この教科書に「おかあさん」が採用されたことが契機となり、以後急速に普及し、母親の呼称の標準語形として定着していくのである。
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