日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第304回
「初老」は何歳?

 「初老」という語が表す年齢を、何歳くらいだとお思いだろうか。だいたい60歳前後であろうか。とすると私自身もそうだということになるのだが。
 「初老」は老人の域にはいりかけた年ごろという意味だが、古くは40歳の異称だったのである。「初老」の用例は、『日本国語大辞典』(『日国』)で引用された、菅原道真(すがわらのみちざね)の漢詩文集『菅家文草(かんけぶんそう)』(900年頃)にある「題白菊花」と題された七言律詩の一句がもっとも古い。菅原道真は後世、学問の神の天神様としてあがめられた人である。こんな句である。

 「霜鬚秋暮驚初老」

 秋の日の暮れ方に、霜のように白くなったあごひげに気づいて自分も40歳になったのかと愕然(がくぜん)とするという意味である。この漢詩を作ったとき道真はまさに数えで40歳であったと推定される。個人差はあるかもしれないが、現代でも40歳近くなると髪の毛に限らずひげにも白いものが増えてくるであろう。初めて自分のそんな姿を見たときの驚きを詠んだ詩である。思い当たる方も多いかもしれない。
 だが、寿命が延びた現代では、たとえひげや髪に白いものが増えてきても、40歳を「初老」という人はいないと思われるし、当人たちもそうは思わないであろう。そのため、最近の辞書は、50歳から60歳前後をさすとしているものが多い。
 『日国』にも、岡茂雄氏という出版社の経営者として数々の名著を世に送り出した方の以下のような文章が引用されている。

 「いいたい放題を喚き合って、なんのこだわりもない。これが五十前後から六十前後までの初老(当時としては)の集まりである」(『本屋風情』1974年)

 わざわざ「当時としては」と断っているが「初老」は「五十前後から六十前後まで」という感覚は現在もあまり変わっていないかもしれない。
 さらに、『日国』の語釈は、「女性では月経閉止期、男性では作業能力が衰えはじめたときから老化現象が顕著になるまでの期間」とかなり具体的である。
 蛇足ながら、「初老」の前と後の年ごろの人を何と呼ぶかというと、前者は「中年」、後者は「老年」であろう。「中年」は青年と老年と間の年ごろという意味だが、今はふつう40歳代から50歳代にかけてをいうことが多いそうである。
 「老年」も「初老」と意識される年齢の範囲が変わったことにより、今は60歳または70歳以上をいうことが多いかもしれない。
 このような年齢を表すことばは、寿命が延びたことにより本来よりも上の年齢をさすようになっているので、辞書もそんな配慮が必要となっている。

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