第317回
「負けず嫌い」はおかしな言い方か?
2016年06月13日
「あんな負けず嫌いな人はいないね」などと言うときの「負けず嫌い」だが、よくよく考えてみるとおかしな言い方だと思ったことはないだろうか。「負けず」と打ち消しの形なのだから「負けないのが嫌い」ということで、「負けるのが好き」という反対の意味になってしまうのではないかと。
国語辞典ではふつう「負けず嫌い」は、「負け嫌い」「負けじ魂」などの混交かとしているものが多い。確かに、「負け嫌い」という語は江戸時代から存在することが『日本国語大辞典』(『日国』)で確認できる。ただしその『詞葉新雅(しようしんが)』(1792年)という江戸時代の辞書の例は、「マケギライ 物ねたみする人」とあり、意味が若干異なるのだが。夏目漱石も、小説『坊っちゃん』(1906年)の中で、「山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌な大きな声を出す」と使っている。
一方、「負けじ魂」は、他人に負けてはならないと奮い立つ気持ちのことだが、面白いことに「負けず魂」という例もある。
だが、この国語辞典では主流とも言える「負けず嫌い」の「負け嫌い」「負けじ魂」混交説に異を唱えた方がいらっしゃる。
『日本語とタミル語』で有名な日本語学者の故大野晋氏である。氏は、「負けず嫌い」の「ず」は打ち消しの助動詞ではなく、意思を表す文語表現「むとす」が「むず」→「うず」→「んず」と変化し、江戸時代になって成立した「ず」であるとしたのである(『大野晋の日本語相談』)。
この「ず」は意志や推量の意で、たとえば、江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』(1814年)にある「すいた男に添せずとおもひきはめ」の「添せず」の「ず」がそれである。この場合は「添わせよう」という意味の駿河方言である。大野氏は、この「ず」はさらに中部地方や関東地方の一部、島根県にも方言として残っているとしている。
この「ず」だと考えると、「負けず嫌い」は「負けようとすることが嫌い」、つまり「負けるのが嫌い」ということになりそうである。
もちろん私にはこの大野説の適否を云々できる見識も知識もないし資格もないのだが、『日国』を見る限り、「負けず嫌い」の江戸時代の例は見当たらず、現時点の初出の例が中勘助の小説『銀の匙』(1913〜15)の「負けずぎらひの私とくやしがりのお薫ちゃんとのあひだには」と、かなり新しい点がいささか気になっている。
いずれにしても「負けず嫌い」は確かに不思議な言い方ではあるが、ふつうに定着している言い方ではあるので、もちろん間違った言い方ということはできないであろう。
神永さんの著書『悩ましい国語辞典』の文章がラジオで朗読されます!
「日本語、どうでしょう?」の記事がもとになった神永さん初の著書『悩ましい国語辞典―辞書編集者だけが知っていることばの深層―』がラジオ日本の番組「わたしの図書室」で朗読されます。日本テレビの井田由美アナウンサーが朗読を担当。井田アナの美声で、神永さんの文章がどう読まれるのか、こうご期待!
○ラジオ日本 6月23日(木)&30日(木)23:30~24:00
○四国放送 6月25日(土)&7月2日(土)5:00~5:30
○西日本放送 6月26日(日)&7月3日(日)23:00~23:30!
くわしくはこちら→http://www.jorf.co.jp/?program=toshoshitsu
国語辞典ではふつう「負けず嫌い」は、「負け嫌い」「負けじ魂」などの混交かとしているものが多い。確かに、「負け嫌い」という語は江戸時代から存在することが『日本国語大辞典』(『日国』)で確認できる。ただしその『詞葉新雅(しようしんが)』(1792年)という江戸時代の辞書の例は、「マケギライ 物ねたみする人」とあり、意味が若干異なるのだが。夏目漱石も、小説『坊っちゃん』(1906年)の中で、「山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌な大きな声を出す」と使っている。
一方、「負けじ魂」は、他人に負けてはならないと奮い立つ気持ちのことだが、面白いことに「負けず魂」という例もある。
だが、この国語辞典では主流とも言える「負けず嫌い」の「負け嫌い」「負けじ魂」混交説に異を唱えた方がいらっしゃる。
『日本語とタミル語』で有名な日本語学者の故大野晋氏である。氏は、「負けず嫌い」の「ず」は打ち消しの助動詞ではなく、意思を表す文語表現「むとす」が「むず」→「うず」→「んず」と変化し、江戸時代になって成立した「ず」であるとしたのである(『大野晋の日本語相談』)。
この「ず」は意志や推量の意で、たとえば、江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』(1814年)にある「すいた男に添せずとおもひきはめ」の「添せず」の「ず」がそれである。この場合は「添わせよう」という意味の駿河方言である。大野氏は、この「ず」はさらに中部地方や関東地方の一部、島根県にも方言として残っているとしている。
この「ず」だと考えると、「負けず嫌い」は「負けようとすることが嫌い」、つまり「負けるのが嫌い」ということになりそうである。
もちろん私にはこの大野説の適否を云々できる見識も知識もないし資格もないのだが、『日国』を見る限り、「負けず嫌い」の江戸時代の例は見当たらず、現時点の初出の例が中勘助の小説『銀の匙』(1913〜15)の「負けずぎらひの私とくやしがりのお薫ちゃんとのあひだには」と、かなり新しい点がいささか気になっている。
いずれにしても「負けず嫌い」は確かに不思議な言い方ではあるが、ふつうに定着している言い方ではあるので、もちろん間違った言い方ということはできないであろう。
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