日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第321回
油断も隙も“ない”のか“ならない”のか?

 先ずは以下の文をお読みいただきたい。夏目漱石の『吾輩は猫である』の一節である。

 「ほんとに此頃の様に肺病だのペストだのって新しい病気許(ばか)り殖(ふ)えた日にゃ油断も隙(すき)もなりゃしませんのでございますよ」(二)

 いかがであろうか。オヤ?と思いになったことはないだろうか。冒頭でなぜこの一節を引用したのかというと、「油断も隙もなりゃしません」の部分に注目していただきたかったからである。
 お手元に国語辞典があったら、「油断」という語を引いていただきたい。おそらくその子見出し、あるいは例文に「油断も隙も……」という表現が載せられていると思うのだが、その「……」の部分をよく見ていただきたいのである。ほとんどの辞典はその部分は「ない」となっていて、「油断も隙もない」の形で示されているはずである。
 だが、この『吾輩は猫である』の例はというと、「油断も隙もなりゃしません」つまり「油断も隙もならない」の形なのである。だが、もちろんこれは漱石独自の用法ではない。「油断も隙もならない」の用例は、江戸時代に大田全斎という儒学者が編纂した国語辞書『俚言集覧』(1797年以降成立)にも掲載されていて、現時点ではこれがもっとも古い例だと言える。
 一方、「油断も隙もない」の使用例は、『日本国語大辞典』(『日国』)を見る限り明治時代以降のものだけなのである。そのいちばん古い例は、田山花袋の小説『妻』(1908~09)の「机を並べた人々が、皆なかれの敵で〈略〉油断も隙も無いやうに思はれる」という例である。
 だとすると、「油断も隙もならない」が古い形で、明治後期以降「油断も隙もない」が優勢になっていくと言えるのかもしれない。現代語が中心の国語辞典は、『大辞泉』『広辞苑』『大辞林』も含めて、「油断も隙もない」の形しか載せていない。だが、『日国』は「油断も隙もならない」の用例もあることから、見出し語の形は「油断も隙もない」と「油断も隙もならない」と両形を示している。
 ちなみに「油断も隙もできない」という形で使われている例が、薄田泣菫、国枝史郎にある。バリエーションなのか、思い違いなのかよくわからず、扱いに困っている。

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