日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第328回
「猫なで声」って誰の声?

 先ずは表題に注目していただきたい。「『猫なで声』ってどんな声?」の間違いではないかとお思いになった方もいらっしゃるのではないだろうか。だが、「誰の声?」としたのにはそれなりの理由があるのである。
 お手元に国語辞典があったら「猫なで声」を引いていただきたい。そしてもし複数の辞書をお持ちだったら、できれば引きくらべをしていただきたい。解説の内容が以下の3つのパターンに分かれているはずである。

 (1)ネコが人になでられる時に出すような、こびを含んだ声音(こわね)。
 (2)ネコを自分になつかせようと、甘く、柔らかく言いかける語調。
 (3)(1)(2)の両方を紹介しているもの。

 多数決で決めるようなことではないのだが、国語辞典ではおそらく(1)の意味が主流であろう。しかし、(2)の意味で使っているという方も大勢いらっしゃるのではないだろうか。
 『日本国語大辞典』を引くと、「猫なで声」のもっとも古い例は『人天眼目抄(史料編纂所本)』のものである。『人天眼目抄(にんでんがんもくしょう)』というのは、『人天眼目』という禅宗五派の綱要を記した書の注釈書で、文明3~5年(1471~73)にかけて曹洞宗の僧・川僧慧済(せんそうえさい)が行った講述の記録である。以下のような例だ。

 「をそろげに嗔(いか)る時もあり、又猫撫声(ねこなでごえ)になる時もあり」

 これだけだと少しわかりにくいのだが、原典に当たるとこの前に「子をそだてるやうだぞ」とあるので、この例はなでる側が呼びかける声を意味していると思われる。
 だが、もちろんなでられる側が発する声の例もある。江戸時代の寛永の末頃(1644年頃)に書かれた、仮名草子というジャンルの小説『祇園物語』には、

 「猫なで声をし、人に敬(うやまわ)れんとするものあり」

とある。読んでおわかりのように、なでられる側が発する声である。
 つまり、「猫なで声」はかなり古くから意味が揺れていたのである。それを考えると、国語辞典としては両方の意味を紹介しておいたほうが無難なのかもしれない。

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