第335回
「ご存じ」か?「御存知」か?
2016年10月17日
『鞍馬天狗』という小説をご存じの方は大勢いらっしゃると思う。大仏次郎(おさらぎ・じろう)が1924年から1965年まで書き続けた連作時代小説で、幕末の主に京都を舞台に、勤王の志士、鞍馬天狗が新撰組を相手に神出鬼没の活躍をする作品である。その「鞍馬天狗」シリーズの中に『御存知鞍馬天狗』(1936~37)という長編がある。
『鞍馬天狗』は幾度となく映画化、ドラマ化されていて、この「御存知鞍馬天狗」というタイトルも、小説とは内容が異なるもののたびたび映画やテレビ時代劇のタイトルに使われているから、何となく聞いたことがあるという方もかなりいらっしゃることであろう。
さて、ここでひとつ注目していただきたいことがある。このコラムの冒頭で「ご存じ」と書いたのだが、「鞍馬天狗」ではそれを「御存知」とすべて漢字で書いている点についてである。
つまり、「存じ」と書くべきか、「存知」と書くべきかという問題である。
そもそも「ごぞんじ」とはどういう語かというと、「知る」「思う」などの謙譲語「存(ぞん)ずる」からできた名詞「存じ」に「ご」がついたものである。知っていらっしゃること、承知していらっしゃることといった意味で使われる。この「(ご)ぞんじ」は『日本国語大辞典』(『日国』)によれば、すでに鎌倉時代頃から使用例が見られる。
ところが、紛らわしいことに、それとは別に「存知」という語も存在した。「ぞんち」あるいは「ぞんぢ」とも発音される語で、存在を知っていること、知って理解していることという意味や、心得て覚悟していることという意味で使われたのである。
この「存知」を「存じ」の当て字と見る説もあるようだが、「存知して」のように「存知」をサ変動詞として用いた例もあり、動詞「存ずる」の名詞化「存じ」を、スルを伴ってサ変動詞化することは不自然であることから、「存知」と「存じ」とはもとは別語であったと考えられている。
「存知」は、『日国』によれば和製漢語の可能性もあるという。「存知」は本来は「ぞんち」と発音されていたが、それが後に「ぞんぢ」と第3音が濁音となったことにより、「じ」と「ぢ」の発音の違いがなくなり、また、「ご承知」など類義の語があることなどから、混同したと考えられる。
大方の国語辞典は「御存知」を当て字であるとし、新聞でも「ご存じ」と書くようにしている。
★神永曉氏、語彙・辞書研究会「辞書の未来」に登場!
「日本語、どうでしょう?」の著者、神永さんが創立25周年の語彙・辞書研究会の第50回記念シンポジウムにパネリストとして参加されます。現代の日本において国語辞書は使い手の要望に十分応えられているのか? 電子化の時代に対応した辞書のあり方とは一体どういうものなのか? シンポジウム「辞書の未来」ぜひご参加ください。
語彙・辞書研究会第50回記念シンポジウム「辞書の未来」
【第1テーマ】日本語母語話者に必要な国語辞書とは何か
[パネリスト]
小野正弘(明治大学教授)
平木靖成(岩波書店辞典編集部副部長)
【第2テーマ】紙の辞書に未来はあるか
――これからの「辞書」の形態・機能・流通等をめぐって
[パネリスト]
林 史典(聖徳大学教授)
神永 曉(小学館 出版局「辞書・デジタルリファレンス」プロデューサー)
日時 2016年11月12日(土) 13時15分~17時
会場 新宿NSビル 3階 3J会議室
参加費【一般】1,800円【学生・院生】1,200円 (会場費・予稿集代等を含む)
くわしくはこちら→http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/50/index.html
『鞍馬天狗』は幾度となく映画化、ドラマ化されていて、この「御存知鞍馬天狗」というタイトルも、小説とは内容が異なるもののたびたび映画やテレビ時代劇のタイトルに使われているから、何となく聞いたことがあるという方もかなりいらっしゃることであろう。
さて、ここでひとつ注目していただきたいことがある。このコラムの冒頭で「ご存じ」と書いたのだが、「鞍馬天狗」ではそれを「御存知」とすべて漢字で書いている点についてである。
つまり、「存じ」と書くべきか、「存知」と書くべきかという問題である。
そもそも「ごぞんじ」とはどういう語かというと、「知る」「思う」などの謙譲語「存(ぞん)ずる」からできた名詞「存じ」に「ご」がついたものである。知っていらっしゃること、承知していらっしゃることといった意味で使われる。この「(ご)ぞんじ」は『日本国語大辞典』(『日国』)によれば、すでに鎌倉時代頃から使用例が見られる。
ところが、紛らわしいことに、それとは別に「存知」という語も存在した。「ぞんち」あるいは「ぞんぢ」とも発音される語で、存在を知っていること、知って理解していることという意味や、心得て覚悟していることという意味で使われたのである。
この「存知」を「存じ」の当て字と見る説もあるようだが、「存知して」のように「存知」をサ変動詞として用いた例もあり、動詞「存ずる」の名詞化「存じ」を、スルを伴ってサ変動詞化することは不自然であることから、「存知」と「存じ」とはもとは別語であったと考えられている。
「存知」は、『日国』によれば和製漢語の可能性もあるという。「存知」は本来は「ぞんち」と発音されていたが、それが後に「ぞんぢ」と第3音が濁音となったことにより、「じ」と「ぢ」の発音の違いがなくなり、また、「ご承知」など類義の語があることなどから、混同したと考えられる。
大方の国語辞典は「御存知」を当て字であるとし、新聞でも「ご存じ」と書くようにしている。
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【第1テーマ】日本語母語話者に必要な国語辞書とは何か
[パネリスト]
小野正弘(明治大学教授)
平木靖成(岩波書店辞典編集部副部長)
【第2テーマ】紙の辞書に未来はあるか
――これからの「辞書」の形態・機能・流通等をめぐって
[パネリスト]
林 史典(聖徳大学教授)
神永 曉(小学館 出版局「辞書・デジタルリファレンス」プロデューサー)
日時 2016年11月12日(土) 13時15分~17時
会場 新宿NSビル 3階 3J会議室
参加費【一般】1,800円【学生・院生】1,200円 (会場費・予稿集代等を含む)
くわしくはこちら→http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/50/index.html
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