日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第348回
「いたたまれない」は「いたたまらない」だった

 「あまりの恥ずかしさに、いたたまらない気持ちになる」
 この文章を読んでどのようにお感じになっただろうか。ひょっとすると、「いたたまらない」は「いたたまれない」の間違いではないかとお思いになったかたもいらっしゃるかもしれない。だが、「いたたまれない」も「いたたまらない」も江戸時代頃から両方とも使われていたらしく、意味や用法もほとんど区別がないようなのである。
 『日本国語大辞典』の「いたたまれない」では、江戸時代後期の人情本と呼ばれる小説の例が引用されている。

*人情本・花の志満台(1836~38)三・一七回「詰らなくなると、さア、彼奴(あいつ)めが我儘一杯(いっぺえ)を働いて、なかなか居(ゐ)たたまれねえ様にするから、忌々しさに出は出て見たが」

 一方「いたたまらない」のほうは、式亭三馬作の滑稽本『浮世風呂』(1809~13)の以下のような例である。

 「わたしが初ての座敷の時、がうぎ〔=ひどく〕といぢめたはな〈略〉それから居溜(ゐたたま)らねへから下(さが)らうと云たらの」

 『浮世風呂』のほうが成立は20年以上早いが、ほぼ同時期のものと考えていいだろう。ただ、語源を考えてみると、「いたたまらない」は「居・堪(たま)らない」、つまり「いることががまんできない」の意味だと考えられる。この「居る+たまる+ない」の「いたまらない」に、強調か口調のためにもう一つ「た」が挿入された形が「いたたまらない」だとされている。
 さらに、「たまらない」は「がまんできない」の意であるが、「……できない」の意味の場合、たとえば「止まる」が「止まれない」、「終わる」が「終われない」などと、当時から「……れない」の形となることがあるため、それに引きずられて「いたたまらない」も「いたたまれない」に変化したと考えられている。
 つまり、語源的には「いたたまらない」が元の言い方だと説明できるのである。だからというわけではなかろうが、現在でも「いたたまれない」「いたたまらない」どちらも使うが、「いたたまらない」のほうがやや古めかしい言い方に聞こえるような気がする。「いたたまれない」のほうが優勢だということはわかるのだが、小型の国語辞典では「いたたまらない」が完全に消滅してしまったわけではないのに、これを見出し語にしているものはほとんど無くなってしまった。残念なことである。

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