日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第357回
「色をな」してどうするのか?

 先ずは以下の文章をお読みいただきたい。『丹下左膳(たんげさぜん)』で有名な林不忘(はやしふぼう)の『稲生播磨守』(1935年)という作品の一節である。

 「奎堂は追い詰められたごとく、やむなく矢沢の耳へ何ごとか私語ささやく。矢沢は卒然として色をなし、にわかに恐怖昏迷の体。」

 この文章のどこに注目していただきたいのかというと、「色をなす」という語についてである。この語は、国語辞典を見ると、顔色を変えて怒るという意味だと説明されている。たとえば、「色をなして反論する」などと使われるが、これは血相を変えて、つまり顔色が変わるほど怒って反論するという意味である。
 だが、冒頭で引用した『稲生播磨守』では、怒りからではなく、どうやら驚き恐れて顔色が変わるという意味で使われているようなのである。
 「色」は、この場合は色彩のことではなく、表面にあらわれて人に何かを感じさせられるものをいい、「色をなす」の「色」は気持ちによって変化する顔色や表情のことである。「なす」は漢字で「作す」と書く。
 たとえば『日本国語大辞典』で引用している、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905~06)の、

 「只他(ひと)の吾を吾と思はぬ時に於て怫然(ふつぜん)として色を作す」

が本来の使われ方である。「怫然」はむっとして、という意味である。
 冒頭の例の場合は、「色をなす」ではなく「色を失う」というべきものである。「色を失う」は、驚いたり恐れたりして顔色が青くなるということから、意外な事態になってどうしてよいかわからなくなるという意味で使われている。
 「色をなす」の意味を「色を失う」と混同している人はけっこういるようで、他にもそのような使用例を目にすることがある。もちろんそのような混同した意味を辞典に載せることはできないのだが。

神永さんがジャパンナレッジ講演会に登場!
忖度、そもそも、忸怩、すべからく……国の最高機関である国会においても、本来の意味や使い方とは違う日本語がたくさん出現しています。国語辞典ひとすじ38年目の編集者が巷で話題の日本語をピックアップ。それぞれの言葉の歴史を紐解き、解説します。

日比谷カレッジ 第12回ジャパンナレッジ講演会
「アップデートされることば~辞書編集者を悩ます、日本語⑤」
■日時:2017年7月26日(水)19:00~20:30(18:30開場)
■会場:日比谷図書文化館4階スタジオプラス(小ホール)■定員:60名■参加費:1000円
■お申し込み:日比谷図書文化館1階受付、電話(03-3502-3340)、eメール(college@hibiyal.jp)にて受付。
くわしくはこちら→日比谷図書文化館

キーワード: