日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第361回
「飯盒炊爨」か「飯盒炊飯」か?

 あるとき、キャンプが趣味だという知人と、「飯盒」でご飯を炊くことを何と言うかということが話題になった。私が「ハンゴースイサン」でしょ、と言うと、30代のその知人は「スイサン」なんて聞いたことがない、自分は仲間も含めて「ハンゴウスイハン」と言っていると言うのである。
 「スイサン」「スイハン」は漢字で書くとそれぞれ「炊爨」「炊飯」だが、60代の私はキャンプは趣味ではないが「スイサン」と言っていた。ただし、「炊爨」の「爨」の字は難しく、私自身読むことはできるが、書けと言われるとかなり怪しい。「炊」も「爨」も、かしぐ、すなわち飯をたくことで、「炊爨」でもその意味になる。
 「炊爨」は『日本国語大辞典(日国)』では以下の例が最も古い。

*菅家文草〔900頃〕一〇・為小野親王謝別給封戸第三表「肩舁野蔬、以助黎民之炊爨」

 『菅家文草(かんけぶんそう)』は学問の神様菅原道真の漢詩文集である。訓みは「肩に野蔬を舁(にな)ひて、以(もっ)て黎民(れいみん)の炊爨を助けむことを」で、「野蔬」は食用とする草や野菜のこと、「黎民」は庶民のことである。
 一方の「炊飯」も飯を炊く、あるいは食事の用意を整えるという意味である。「炊飯器」などという語もあるので、現代語としては「炊爨」よりも馴染みのあることばであろう。
 ちなみに、「飯盒」は、かつての日本の陸軍が、兵士の一人一人に米や麦を携行させ,随時に炊飯させることを目的として開発したものである。片面がへこんだ独特の形をしているのは、背囊(はいのう)に着装して携行させたためである。曲げ物の弁当入れを「めんこ」と言う方言があることから、形が似ている飯盒も俗に「めんこ」と呼ばれていたらしい。
 『日国』では「飯盒炊爨」は見出し語として立項しているのだが、「飯盒炊飯」の項目はない。「飯盒炊爨」を見出しにしている辞典は他にも『大辞林』がある。だが、すべての国語辞典を確認したわけではないが、「飯盒炊飯」を見出し語としているものはひとつもないようである。唯一、『三省堂国語』が「飯盒」のところで、「炊爨」「炊飯」の両方を語例として挙げている。
 ほとんどの辞典にはまだ載せられていない「飯盒炊飯」だが、かなり広まっているのかもしれない。
 たとえば、最近のものではないが、1979(昭和54)年の「防衛白書」には以下のような使用例がある。文中にもあるように、陸上自衛隊に入隊したばかりの2等陸士の手記である。

(4)部隊における教育訓練
ア 陸上自衛隊
北部方面隊の1隊員の手記を紹介し,教育訓練の一端を説明することとする。
〔入隊から冬期訓練まで〕-北部方面隊のある2等陸士の手記から抜すい-
2月○日,いよいよ上富良野演習場での冬期演習がやってきた。(中略)
6日目,食事は各陣地まで温食配分ということであったが,運搬してくるうち冷えてカチカチとなってしまうので飯盒炊飯にならざるを得なかった。

 手記なのでこの隊員が書いた文章をそのまま引用している可能性はある。だが、新入隊員が「飯盒炊飯」と書いているということは、少なくともこの2等陸士が所属している隊ではそのように言っているのではないかと思わせる。「防衛白書」に使用例があるからと言って、自衛隊がすべて「飯盒炊飯」と言っているのかどうかはわからないが、自衛隊内にもそう言っている人が確実にいるという証拠にはなるであろう。
 最近では、キャンプで飯を炊く場合は飯盒ではなくコッヘルを使用することの方が多いのかもしれない。そうしたことも、「炊爨」が使われなくなった理由なのだろうか。

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