日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第374回
「降臨」は何が降りてくるのか?

 まずは『日本国語大辞典(日国)』の「降臨」の語釈をお読みいただきたい。

 「神仏やその徳などがこの地上に来臨すること。神仏が天下ること。」

 これにより「降臨」の主体は、神や仏などであることがわかる。だが、最近見かけた以下の文章はいかがであろうか。

 「天才棋士降臨・藤井聡太」
 「ふなっしー地上降臨5周年プロジェクト」

 若き棋士の藤井聡太さんは、当然のことながら「神仏」などではない。ふなっしーも、このキャラクターを人間界に送り出したという梨神様神社なるものまで作ってしまったらしいのだが、だとしても「降臨」という語を使うのは違和感がある。これらの使用例は、「降臨」の意味が本来のものから外れ、拡散していると考えられる。
 「降臨」の意味がこのように拡散し始めたのは、「パズル&ドラゴンズ(パズドラ)」などのゲームアプリで使われたからと言われている。
 『日国』によれば、「降臨」の最も古い用例は以下のものである。

*観心寺文書‐承和四年〔837〕三月三日・観心寺縁起実録帳案(平安遺文一・六一)「右当寺者、先師和尚経行之伽藍、北斗七星降臨之霊山也」

 「観心寺文書(かんしんじもんじょ)」は、大阪府河内長野(かわちながの)市の観心寺の所蔵文書である。この部分は観心寺の由来を述べたもので、この寺はもともと亡くなった師である和尚が、本尊の前で読経しながらめぐり歩く儀式を行った建物だったといっているのである。面白いのは北斗七星が降臨した霊山だったと述べている点で、実はこの「観心寺文書」の例は、日本での「北斗七星」の最も古い例と考えられる。平安時代から北斗信仰があったのであろう。信仰の対象であるから、「北斗七星降臨之霊山也」と「降臨」を使っていても何ら問題はない。
 「降臨」というと、年配のかたは「天孫降臨」ということばをすぐに思い浮かべるのではないだろうか。「天孫降臨」の「天孫」とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のことで、この瓊瓊杵尊が大神の命を受けて、葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるために、高天原(たかまのはら)から日向(ひゅうが)の高千穂(たかちほ)峰に降りて来たことをいう。
 いずれにしても「降臨」は、本来は神仏などが天下ることをいっていたのである。
 だが、ことばというのはもとの意味が薄まって拡散してしまうのはよくあることなので、天才と言われる藤井聡太さんやキャラクターのふなっしーがこの世に現れることに対して使っても違和感を覚える人は少なくなっているのかもしれない。そうなると、現時点で国語辞典に書かれた「降臨」の意味は、ほとんどは冒頭で引用した『日国』と同じような内容なので、意味が合わないという人も出てくるかもしれない。
 どの時点で新しい意味を辞書の語釈に付けくわえるべきなのか、悩ましい問題である。

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