日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第381回
「ヤブ医者」の「ヤブ」って何?

 民放のバラエティー番組で「ヤブ医者」の「ヤブ」の語源について教えてほしいと言われ、辞書編集者の立場でお答えしたことがある。
 ところがそれからひと月もたたないうちに、先にNHKがやはりバラエティー番組でその語源を取り上げていた。「ヤブ医者」がブームになっているなどということはないであろうから、バラエティー番組のネタにしやすい話題なのかもしれない。
 “辞書編集者の立場”とわざわざ断ったのには理由がある。民放もNHKも、「ヤブ」は地名の「やぶ(養父)」によるという説を採用しようとしていた(採用した)のだが、どの国語辞典もその説は採用していないからである。
 この「養父」は兵庫県養父市のことなのだが、同市はこの説を市のホームページで紹介している。もちろんその説を否定するつもりは毛頭ないし、養父市とこのことで論争したいと思っているわけでもない。だが、辞書的には確証とは言えないまでも、必ずしもそうとは言えない証拠がいくつかあるので、ここで触れておきたい。
 その前に養父市が主張する、地名「やぶ(養父)」説について触れておこう。「養父」説は、江戸中期の森川許六(もりかわきょりく)編の俳文集『風俗文選』(1707年)を根拠としている。同書にそれによると、但州ヤブ(養父)に名医がいたのだが、それにあやかろうとする者が数多く出てヤブの名が蔓延(まんえん)したとある。
 これについて、養父市は、

 〈「養父の名医の弟子と言えば、病人もその家人も大いに信頼し、薬の力も効果が大きかった。」と「風俗文選」にもあるように、「養父医者」は名医のブランドでした。しかしこのブランドを悪用する者が現れました。大した腕もないのに、「自分は養父医者の弟子だ」と口先だけの医者が続出し、「養父医者」の名声は地に落ち、いつしか「薮」の字があてられ、ヘタな医者を意味するようになったのではないでしょうか。〉

と述べている。さらに養父市は、この名医は徳川5代将軍綱吉のときの養父出身の奥医師がモデルだったとしている。
 だが、「やぶ」に関してはもう一つ有力な説がある。「やぶ」は「野巫(やぶ)」で、本来は呪術(じゅじゅつ)で治療を行っていた者の意だったというものだ。これに「藪」「野夫」などの漢字を当てて田舎医者の意となり、あざけって言うようになったというものである。実は「やぶ」の語源説を載せているほとんどの国語辞典では、この説が有力だと見なしている(ただし『新明解国語辞典』は「『やぶ』は『やぼ』と同源で、事情に暗い意」としている)。
 『日本国語大辞典』で引用している「やぶ医者」「やぶ医」の用例はいずれも江戸時代になってからのものであるが、それよりも古い「やぶ医師」の例がある。このような例だ。

*康富記‐応永二九年〔1422〕六月一五日「只藪医師ばかり被聞食入之条如何」

 『康富記』は中原康富(やすとみ)という室町時代の公家の日記である。この部分は、ただやぶ医者ばかり呼ぶのはどういうことかと憤慨しているのである。
 さらに医者の呼称である「薬師(くすし)」に「薮」を付けた、「藪薬師」の例が鎌倉時代の仏教説話集にある。

*米沢本沙石集〔1283〕三・二「さるほどに医師よべとて、藪薬師(ヤフクスシ)のちかぢかにありけるをよびてみすれば」

これらの用例から「やぶ」を「藪」と書いた例はけっこう古くからあったことがわかる。少なくとも綱吉の時代よりも400年前に「藪薬師」はいたのである。
 昔は「野巫(やぶ)」と呼ばれる呪術医も多く、それらは病気を治すことのできない者がほとんどだったのではないか。それ故に、そのような者たちをおとしめて「野巫」を「薮」「野夫」と表記して、診断治療の下手な医者を「やぶ薬師」「やぶ医師」「やぶ医者」と呼ぶようになったのではないだろうか。
 「養父」説もそれなりに面白いのだが、各国語辞典は断定はしていないものの「野巫(やぶ)」説を採用しているのは、このような理由からである。

キーワード: