日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第385回
「やさしみ」という言い方はおかしいのか?

 「み」という接尾語がある。辞書的には、「形容詞または形容動詞の語幹に付いて名詞をつくる」(『日本国語大辞典(日国)』)と説明されている。さらに具体的にどういうものかというと、「その性質・状態の程度やその様子を表わす。『さ』と比べると使われ方は限られる。『厚み』『重み』『苦み』『赤み』『面白みに欠ける』『真剣みが薄い(たりない)』など」とある。つまり「厚・い」「重・い」「苦・い」「赤・い」「面白・い」という形容詞や、「真剣・だ」という形容動詞などの語幹(「・」印の前の部分)について名詞をつくるものである。このような接尾語は、他には、引用した『日国』の解説にもあるような「さ」がある。
 余談だが、私が辞書編集者になったばかりのころ、このようなある語に付いて別の品詞をつくる接尾語には「げ」「さ」「み」「がる」があるので、「げさみがる」と続けて覚えるとよいと教え込まれた。ただしこうした接尾語がどのような語に接続するかは語によって異なり、「み」「さ」は名詞をつくり、「げ」は形容動詞の語幹(形容動詞の変化しない部分)を、「がる」は動詞をつくるという違いがあるということも教わった。「げさみがる」という言い方が何だか面白くて、すぐに覚えることができた。
 前置きが長くなったが、最近この名詞をつくる接尾語「み」の使用範囲が、若者の間に広まっているようなのである。例えば、「おいしみ」「うれしみ」「やばみ」「つらみ」といったような。本来「おいしい」「うれしい」「やばい」「つらい」を名詞化したいのなら、語尾は「さ」にして、「おいしさ」「うれしさ」「やばさ」「つらさ」とすべきところである。先に引用した『日国』にも「『さ』と比べると使われ方は限られる」とあるように、接尾語「み」は「さ」に比べて使用範囲が限られているはずなのだ。
 にもかかわらず、このような「おいしみ」「うれしみ」「やばみ」「つらみ」が広まっているというのはどういうことなのであろうか。勝手な想像だが、若者にとっては従来の用法から逸脱したことばを使った方が、お互いに共感を得やすいということがあるのかもしれない。
 これを日本語の乱れと感じる人も多いであろうが、私のような辞書編集者にとっては、若者の造語力のセンスに脱帽せざるを得ないというのが本音である。従来なかったから、自分が聞いたことも使ったこともないことばだから誤りだと感じる人はけっこういるのだが、ことばはかなり柔軟なのである。もちろんそうさせているのは人間なのだが。
 例えば、「優(やさ)しみ」という語をみなさんはどのように感じるだろうか。そんな言い方など聞いたことがないというかたもいらっしゃるかもしれない。私のパソコンのワープロソフトも、「やさしみ」は「優しみ」とは変換しなかった。「優しさ」は変換するのに。実際、インターネットではこの「やさしみ」に対して否定的な意見も散見される。
 ところが、『デジタル大辞泉』で「やさしい」を引いてみると、その[派生]語として、「やさしげ[形動]やさしさ[名]やさしみ[名]」と書かれている。このように「やさしみ」も認めているのにはわけがある。
 というのも、『日国』にも「やさしみ」が立項されていて、例えば

*めぐりあひ〔1888〜89〕〈二葉亭四迷訳〉二「仮令その響には自然人の魂を奪ふほどの柔和(ヤサシミ)は有ったとはいへ」

という例が引用されているからだ。『めぐりあひ』はロシアの作家ツルゲーネフの小説の翻訳である。「やさしみ」の例は『日国』にも複数引用されているが、それ以外にも多数ある。
 若者が使う「おいしみ」「うれしみ」「やばみ」「つらみ」もこうした「やさしみ」の造語法と何ら変わらず、さらに増えていくものと思われる。

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