第387回
「練習」と「稽古」はどう違うのか?

 「練習」と「稽古」はどう違うのかという質問を受けた。質問者は大相撲のファンなので、なぜ力士は「稽古」と言って「練習」とは言わないのか、と疑問に思ったのにちがいない。確かに、力士が一生懸命「練習」しても、あまり強くなれそうにもない気がする。どうしてなのだろうか。
 この2語は、能力や技術などを向上させるために繰り返し習うという点で共通している。似たような語に「訓練」があり、この語もかなり意味が近い。あと、外来語ではあるが「トレーニング」という類義語もある。
 以前私は『使い方の分かる 類語例解辞典』(小学館 1994年)という類語の意味の違いを解説した辞典を担当したことがあるのだが、この辞典でもこの4語を比較して解説している。この辞典の類語のグループは、すべてではないが大半は担当者である私が分類した。
 日本語の「練習」「稽古」「訓練」を比較してみると、なにかの技術をより上達させるときには「練習」「稽古」を使うが、なにかの技術や能力を身につけさせるときは「訓練」の方がしっくりきそうな気がする。だから、「バイオリンを〔練習する/稽古する〕」とはいえるが、「バイオリンを訓練する」が変なのはそのためなのであろう。
 そうしてみると、「練習」と「稽古」はかなり近い語のようだが、「稽古」の方がやや古めかしい言い方で、芸事や習い事、日本古来の武術などに用いられることが多い。茶道や華道、相撲や剣道、柔道などは「稽古」の方がしっくりくる。相撲の場合、「突き押しの練習をする」「投げ技の練習をする」と言えなくもないが、やはり相撲の技では「稽古」の方が適切であろう。
 ことば自体が古めかしいということもあるのだが、私の語感としては、「稽古」はその習う方法があまり科学的ではない印象を受ける。だからといって、もちろん「稽古」のやり方が「練習」よりも劣っているという意味ではない。
 ことばとしては「練習」「稽古」ともにけっこう古くから存在していたようで、『日本国語大辞典(日国)』にはいずれも平安時代の用例がある。「稽古」が古くからあるのはわかるのだが、「練習」という語も古いというのはちょっと意外な気がする。
 「練習」「稽古」のもっとも古い例ではないが、南北朝時代の連歌論集『連理秘抄』(1349年)に、「只堪能(かんのう)に練習して、座功をつむより外の稽古はあるべからず」という「練習」と「稽古」を同時に使っている例がある。ひたすら連歌の道に深く通じて学習し、連歌の一座に参加して経験を積むこと以外の修業はないといっているのである。今仮に「練習」を学習、「稽古」を修業と置き換えてみたが、明らかにこの2語を使い分けていて興味深い例である。
 もうひとつの「訓練」だが、こちらは明治時代になってからの用例しか見当たらない。
 なお「トレーニング」は英語のtraining からだが、練習、訓練、鍛錬などと訳される。スポーツで使われることが多く、「試合に備えてトレーニングを積む」などのように、体力の向上を図ったり、より高度な技術を目指したりすることをいう。ただし、スポーツに限らず「英語のトレーニング」などのように、あることを身につけるという意味でも用いられる。
 「稽古」ということばがふさわしい大相撲は今はちょうど地方巡業のときだが、力士たちはきっと巡業の中で、きっと稽古に励んでいることであろう。

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