第389回
「嫌気」は「イヤキ」か?「イヤケ」か?

 いやだと思う気持ちが起こることを、「イヤキがさす」「イヤケがさす」のどちらで言っているだろうか。どちらも使われていると思うのだが、私は「イヤケがさす」の方である。
 漢字で書くと「嫌気」「厭気」だが、この語は『日本国語大辞典(日国)』以外のほとんどの辞書は、「いやけ」を本項目にしている。なぜ『日国』だけ「いやき」が本項目なのであろうか。
 また、今でも「いやけ」ではなく「いやき」としか言わないこともある。取引相場で使われているのだが、相場の動きが思うとおりにならなくて悲観的気分になることや、悪材料が出てこれをきらうことを「いやき」と言う。なぜこれは、「いやけ」とは言わないのだろうか。
 これは以前書いたことがあるのだが、「味気ない」を「アジキナイ」と読むか「アジケナイ」と読むかと言う問題とまったく同じなのである。かつては、「○○気」の語は「○○キ」と読むのが本来の形だとされていた。
 今から半世紀以上も前のことだが、第五期国語審議会(1959~61年)でこの問題について審議を行っている。国語審議会は国語の改善、国語教育の振興などに関して調査・審議を行った、専門家や学識経験者で構成された当時の文部大臣の諮問機関である。現在では、文化庁の文化審議会へと引き継がれている。
 この第五期国語審議会の場で、「威張る」を「イバル」と言うか「エバル」と言うかという問題を取り上げた際に、これは母音「イ」「エ」の音が互いに通い合う現象で、「イボ・エボ(疣)」「シッキ・シッケ(湿気)」「アジキナイ・アジケナイ(味気無い)」「イヤキ・イヤケ(厭気)」なども同様の例であるとした。そして、関東・東北をはじめ、「イ・エ」の音の区別をしない地方は諸所にあり、これは一般的に「なまり」と考えられていることから、「イ」音の「イバル」を標準形としたのだが、この説明からすれば「イヤキ」の方が標準形ということになる。相場で使われる「いやき」も「いやけ」ではないことから、「いやき」の方が本来の形だったことがわかる。
 それほど昔のことではないにもかかわらず、現在の語感とはかなり違うことに驚かされる。「イバル」はいいとしても、「アジキナイ」「イヤキ」を現在では「なまり」と感じる人の方が多いのではないだろうか。この「イヤケ」も「アジケナイ」同様、かつては「なまり」とされながら、むしろこちらの方が主流になってしまった。
 このような傾向を無視することができなくなったからであろう、NHK『日本語発音アクセント新辞典』も「イヤケ」で示し、「イヤキ」を許容としている。
 『日国』が「いやき」を本項目としているのは、伝統派というか、引用している用例がそうだからなのだが、項目の扱いを見直す必要がありそうだ。

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