第435回
漱石と「収束」

 第430回で「収束」と「終息」について書いたのだが、「収束」について、『日本国語大辞典(日国)』がらみで補足したいことがある。といっても、辞書編集者の勝手な想像、いやむしろ妄想に近い話かもしれない。それでもよろしければ、お付き合いいただきたい。
 『日国』に引用されている「収束」の、「おさまりのつくこと。決着がつくこと。」という意味の用例は、夏目漱石の『道草』(1915年)だということはそのときに書いた。その例に関して問題はないのだが、疑問が二つある。一つは、なぜ『日国』では、この意味の例は『道草』だけなのかということ。もう一つは、『道草』以前の例が実際になかったとして、漱石はなぜ「収束」を「おさまりのつくこと」の意味で使ったのかということである。
 最初の疑問は、疑問といえるほどのものではないかもしれない。わざわざ『日国』に載せるような「収束」の適切な例が、『道草』以前も以後もなかっただけなのだろうから。
 二つめの疑問はどうだろう。この意味での「収束」の例は、『道草』例が現時点ではもっとも古いことになる。今後、これよりも古い用例が見つかる可能性もあるが、『道草』以前の例がないのは、「収束」がこの意味で使われるようになったのは、漱石がかかわっていたからだと考えることはできないだろうか。
 そこで、漱石が『道草』以外の作品で「収束」を使っていないか、改めて探索してみることにした。だが、残念ながら代表的な小説やエッセーからは見つからない。そのときふと思いついたのが、『文学論』である。『文学論』は、漱石が1903~05年に東京帝大英文科で行った講義内容に加筆訂正したものである。内容はかなり難解で、ひとことで説明するなら、「文学的内容の形式」を「焦点的印象又は観念」を意味する F と「これに附着する情緒」を意味する f が結合した「F+f」からなるものとして、その多様な組み合わせを論じたものである。この講義を行うに当たって、漱石は科学関係の書物をかなり読み込んだらしい。
 私が漱石の『文学論』に目をつけたのは、いささかわけがある。「収束」のおさまりがつくという意味は、数学の、ある値に限りなく近づくことという意味や、光学で多くの光線が一点に集まるこという意味から来ているのではないかと思ったからだ。『文学論』のために漱石が科学関係の本を読み込んでいたのなら、ありえるのではないかと。すると案の定「収束」は使われていた。私は、比較的近いところで2か所見つけたのだが、一つはこんな例である。

 「他の小説にあっては観察をうくる事物人物が発展し収束し得るが故に読者は之を以て興味の中枢とするを得べきも」(第四編・第八章)

難解な文章だが、おさまりがつくという意味の例だと考えて間違いなさそうだ。そしてこの例が、『日国』としても『道草』よりも古い例として引用できる。
 それともう一つ、こじつけかもしれないが『文学論』には興味深いことがある。『道草』との関係である。『道草』は『文学論』のほぼ10年後に書かれたのだ、主人公健三は漱石自身と思われ、おのれの研究に心血をそそいでいた人物として描かれている。それは『道草』の内容からすると、ちょうど『文学論』の時代と重なっていそうなのである。だとすると、どちらにも「収束」が使われていたのは、ただの偶然ではないような気がするのだ。
 今のところ状況証拠しかないが、今後もし、おさまりがつくという意味で「収束」を初めて使ったのは漱石だということが解明されれば、これほど喜ばしいことはない。でも、私の単なる妄想でしかなく、最初に使ったのは他の人だったとしても、それはそれですごい発見だと思う。そう思うのは辞書編集者だけかもしれないが。

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