日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧
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徳川家治(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府10代将軍(在位1760~86)。幼名竹千代。9代将軍家重(いえしげ)の長子。母は梅渓(うめたに)氏お幸(こう)。元文(げんぶん)2年5月22日生まれ。1760年(宝暦10)9月に将軍就任。祖父吉宗(よしむね)は家治の幼少時には、不肖の家重に

徳川家継(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府第7代将軍。6代将軍家宣(いえのぶ)の三男。母は家宣の側室輝子(てるこ)(月光院)。兄2人の夭死(ようし)により、家宣没後、1713年(正徳3)4歳で将軍職就任。在職わずか4年だったが、間部詮房(まなべあきふさ)、新井白石(あらいはくせき)の

徳川家宣(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府第6代将軍。3代将軍家光(いえみつ)の三男甲府藩主綱重(つなしげ)の長子。初名綱豊(つなとよ)。綱重が正室を迎える前の子であったので、一時家老新見正信に養われ、1670年(寛文10)甲府藩邸に戻り、1678年(延宝6)甲府25万石を継ぐ。翌年

徳川家綱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府第4代将軍。3代将軍家光(いえみつ)の長男。母は増山氏で於楽之方(おらくのかた)という。寛永(かんえい)18年8月3日誕生。幼名は竹千代。1644年(正保1)家綱と命名。翌1645年従三位権大納言(じゅさんみごんだいなごん)となる。1650年

ナス(日本大百科全書・世界大百科事典)
ナス科(APG分類:ナス科)の多年草。熱帯では低木状になるが、栽培上は一年草として扱われ、霜にあたれば枯死する。おもにアジアで賞用される果菜で、欧米諸国での栽培は多くない。草丈は早生(わせ)品種で50~60センチメートル、晩生(おくて)品種では

核兵器(日本大百科全書)
核分裂や核融合など、原子核反応によるエネルギーを爆発的に発生させ、大量破壊や殺傷のために用いる兵器。▲核兵器の種類世界最初の核兵器は核分裂兵器で、1945年(昭和20)7月に完成し、8月6日には広島に、9日には長崎に投下され、二つの都市は壊滅した

十返舎一九(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸後期の洒落本(しゃれぼん)、黄表紙(きびょうし)、滑稽本(こっけいぼん)、合巻(ごうかん)作者。本名重田貞一(しげたさだかず)、通称与七。十返舎は香道の十返(とがえ)しにちなみ、一九は幼名市九による。酔斎、十偏舎、十偏斎などとも号す。前半生の伝記

曲亭馬琴(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸後期の小説家。姓は滝沢、名は興邦(おきくに)、のち解(とく)と改める。字(あざな)は子翼、瑣吉(さきち)。通称は清右衛門、笠翁(りつおう)、篁民(こうみん)。別号は大栄山人(だいえいさんじん)、著作堂(ちょさどう)主人、飯台陳人、乾坤(けんこん)

トマト(日本大百科全書・世界大百科事典)
ナス科(APG分類:ナス科)の多年草。栽培上は一年草として扱われる。茎は長さ1~2メートルになるが、自然には直立できず地面にはう。茎の下部が地面に接するところからは不定根を出す。葉は長さ15~45センチメートルの羽状複葉で、柔毛がある。小葉は5~9

イワシ(日本大百科全書・世界大百科事典)
硬骨魚綱ニシン目に属する海水魚のうち、マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシの総称、またはこれらの近縁種を含めたものの総称。ときにはマイワシだけをさすこともある。これらの魚種は、一般に漁獲量も多く、日本の水産上重要な種類であるばかりでなく、魚をはじめ

アサガオ(日本大百科全書・世界大百科事典)
ヒルガオ科(APG分類:ヒルガオ科)の不耐冬性一年草。広い意味でアサガオというと、熱帯アジア原産のニホンアサガオと、熱帯アメリカ原産のアメリカアサガオI.hederacea(L.)Jacq.(P.hederaceaChois.)(またはセイヨウ

ヒマワリ(日本大百科全書・世界大百科事典)
キク科ヒマワリ属の総称。一年草または多年草。普通、全株粗剛毛に覆われる。頭花は長花柄上に単生、またはまばらな散形花序をなす。北アメリカを中心に約160種知られ、花壇、切り花、または鉢植えにして観賞する。ヒマワリ(向日葵)sunflower

花火(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
火を扱う技術を一般に火術というが、そのなかでも芸術的な分野をなすものを花火という。すなわち花火は、火薬などが爆発しまたは燃えるときの光、火花、火の粉、音、煙などを巧みに組み合わせて、主として観賞の用に供するもので、その現象そのものをさすこともあれば、

送り火(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
門火(かどび)ともいい、一般には盆が終わり、精霊(しょうりょう)を送るため、家の入口、四つ辻(つじ)、墓などで焚(た)く火のこと。所によっては葬式の出棺のまぎわ、あるいは婚礼のおり娘が生家を出るとき、家の入口で火を焚く習俗があり、これも送り火とか門火

玉音放送(日本大百科全書・世界大百科事典)
1945年(昭和20)8月15日正午から、昭和天皇自らが太平洋戦争終結の決定を国民に伝えるために行った録音放送。それまでは、天皇は神聖なものであるからラジオに出ることはなかった。この年7月26日に日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言が出されたが

彰義隊(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争の佐幕派の軍事集団。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた将軍徳川慶喜(よしのぶ)が江戸に帰り上野に謹慎した1868年(慶応4)2月12日、旧一橋(ひとつばし)家家臣17名が江戸雑司谷(ぞうしがや)に会合して慶喜の復権と薩摩

白虎隊(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争期における会津藩の少年正規軍。1868年(慶応4)正月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた旧京都守護職の会津藩主松平容保(かたもり)は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜(よしのぶ)が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を

長月(日本大百科全書・日本国語大辞典)
陰暦9月の異称。語源は明らかではないが、中古以来、夜がようやく長くなる月の意の夜長月の略称といわれてきた。稲熟(いなあがり)月、稲刈(いなかり)月、穂長月などが変化したものとする説もあり、近時では、9月は5月と並ぶ長雨の時季で「ながめ」とよぶ物忌みの

通言総籬(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
洒落本(しゃれぼん)。1787年(天明7)刊。山東京伝作、山東鶏告(けいこう)画。書名の総籬は吉原の大店(おおみせ)の意で、吉原の大店松葉屋の世界を背景にその言語、風俗を描出している。前々年刊行の黄表紙『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』

遊子方言(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
洒落本(しゃれぼん)。小本(こほん)1冊。1770年(明和7)ごろ江戸刊。作者田舎(いなか)老人多田爺(ただのじじい)の正体は『莘野茗談(しんやめいだん)』(平秩東作(へつつとうさく)著)にいう丹波(たんば)屋利兵衛か。丹波屋は大坂の本屋だったが

小野小町(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安前期の歌人。生没年・伝未詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。小野氏の出であるが、父母も身分もつまびらかでない。小野氏系図や中世歌書には、良真(よしざね)(当澄(まさずみ)・常澄とも)の女(むすめ)とするが、いずれも後世の付会らしく、また近代以後、篁

一心太助(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
生没年不詳。『大久保実記武蔵鐙(むさしあぶみ)』の「松前屋五郎兵衛之伝記」に登場する魚屋。同書によると、もと大久保彦左衛門(ひこざえもん)(忠教(ただたか))の草履取(ぞうりとり)で、のち江戸・両国あたりで魚の行商を営み、彦左衛門にその侠気

キュウリ(日本大百科全書・世界大百科事典)
ウリ科(APG分類:ウリ科)の一年生つる草。インドのヒマラヤ山麓(さんろく)原産で、インドでは3000年以前から栽培された。中国へは漢の時代に張騫(ちょうけん)(?―前114)によって西域(せいいき)から導入されたと伝えられ、このことから胡(こ)(西

ポツダム宣言(日本大百科全書・世界大百科事典)
1945年(昭和20)7月に開かれたポツダム会談で協議されたうえ、同年7月26日、米英中三国政府首脳の連名で日本に対して発せられた降伏勧告の宣言。この宣言は全部で13項からなり、日本がこのまま戦争を継続すれば日本の国土は完全に荒廃してしまうこと(3項

フランス革命(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
フランス革命とは1789年7月14日から1799年11月9日(共和暦8年ブリュメール18日)にかけてフランスに起きた革命をいう。▲革命の意義この革命は、思想、法律、政治、社会全領域に及ぶもので、自然権思想を武器とし、絶対王制の法構造を打ち破り、私的所

タコ(日本大百科全書・世界大百科事典・新選漢和辞典)
軟体動物門頭足綱八腕形目に属する動物の総称。[奥谷喬司]▲形態この目Octopodaの仲間の体は柔らかく、一見頭のようにみえる丸い外套(がいとう)膜の袋は胴で、この中に心臓、肝臓、消化管、生殖巣などの内臓が収まっている。本来の頭部は目のあるところで、

鳥羽・伏見の戦(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争最初の内乱。王政復古後、新政府内部において、討幕派は公議政体派を抑え、前将軍徳川慶喜(よしのぶ)に辞官納地を命じた。慶喜は大坂に退いて主導権回復を策したが、討幕派の関東での挑発、攪乱(かくらん)工作にのり、江戸薩摩(さつま)藩邸を焼

江戸開城(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1868年(慶応4)4月に行われた新政府軍への江戸城明渡し。同年正月3日の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いにおいて幕府軍は敗北し、大坂にいた徳川慶喜(よしのぶ)は海路江戸に帰った。2月、維新政府は東征軍を結成して東海、東山、北陸の三道から進軍を開始

小栗忠順(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末の幕臣。慶応(けいおう)期の徳川幕府を支えた中心人物の一人。江戸の生まれ。幼名を剛太郎、また襲名を又一ともいう。のち豊後守(ぶんごのかみ)、さらに上野介(こうずけのすけ)と改めた。1859年(安政6)目付となり、1860年(万延1)には日米修好通

山内豊信(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末期の土佐藩主。文政(ぶんせい)10年10月9日生まれ。分家山内豊著(とよあきら)の長男、宗家豊惇(とよあつ)の養子。1848年(嘉永1)15代目の藩主となり、隠居後、容堂(ようどう)と号す。分家出身のため苦労したが、ペリー来航後の対外的危機の緊迫