国史大辞典のサンプルページ一覧

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懐風藻(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典)
漢詩集。1巻。撰者については、淡海三船説、葛井広成説、石上宅嗣説などがあるが未詳。751年(天平勝宝3)成る(序文による)。近江朝以降、奈良朝中期の天平ごろまでの約八十数年間のわが国の詩人64人の漢詩120首を、ほぼ時代順・作者別に配列して
御頭祭(国史大辞典)
長野県諏訪大社上社の四月十五日(例祭)の神事。古くは年中七十二度の神事中最も重んじられ、正月の頭郷御占・御符渡・境注連などの神事を経て四月に至るものであった。頭郷といって諏訪郡内十六ヵ村が定められており、輪番で少年一人を出させこれを神使とし、例祭前三十日間潔斎させた。
大殿祭(国史大辞典・日本国語大辞典)
宮廷殿舎の災害を予防し平安を祈願する宮中祭儀。『延喜式』宮内省・四時祭上ならびに祝詞に詳しい。屋船久久遅・屋船豊宇気姫・大宮売の三神を祭る。恒例には神今食・新嘗祭・大嘗祭の前後に行われ、臨時には宮殿の新築・移居や斎宮・斎王の卜定ののち行われた
鎮魂祭(国史大辞典)
古代宮廷祭祀の一つ。鎮魂の和訓は「みたまふり」または「みたましずめ」。その意義については諸説あるが、一般に天皇の魂を体内に安鎮せしめ、健康を祈る呪法と考えられている。『日本書紀』の天武紀が初見であるが、神祇令にも規定され、律令時代には十一月下の寅(または中の寅)の日
稲荷祭(国史大辞典)
京都市伏見稲荷大社の祭礼。古くは四月上卯日(三卯あれば中卯日)を式日とした。この祭礼は、まず三月中午日の御輿迎の儀に始まる(これを渡御祭または御出という)。当日は神璽を神輿に遷し、旅所に渡御があり、駐ること二十日で、上述の四月上卯日に還幸があって祭典が行われる。
大忌祭(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
広瀬大忌祭(『延喜式』祝詞)とも呼ばれ、奈良県北葛城郡河合町にある式内名神大社広瀬神社の八月二十一日(もと四月と七月の四日)の祭儀。祭神は若宇加能売(わかうかのめ)命で、さらに櫛玉命・穂雷命を配祀し、広瀬大忌神・広瀬河合神とも総称する。「わかうかのめ
御柱祭(世界大百科事典・国史大辞典)
長野県諏訪大社の特殊神事。この神事を地元では単に「おんばしら」と呼ぶ慣わしであり、祭の字を加える場合は「みはしらさい」と呼んでいる。諏訪大社は上社と下社から成り
春日祭(世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
奈良市春日大社の例祭。「かすがさい」ともいう。祭日は明治十九年(一八八六)から三月十三日。勅祭。氏神祭祀の伝統が知られ、また申祭(さるまつり)の称で名高い。春日社の創建に先立つ天平勝宝四年(七五二)の『万葉集』一九の光明皇太后の歌の詞書に
神嘗祭(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
天皇がその年に収穫した新穀の由貴(ゆき)の大御饌(おおみけ)を伊勢大神宮に奉る祭儀。『伊呂波字類抄』(加、諸社)にカミマヘノマツリとあり、『類聚名義抄』雑には、神嘗をカムニヘと訓んでいる。後世「かんなめ」「かんなへ」というのはこの「かんにへ」(神に奉る贄(にえ))
香取神宮(国史大辞典)
千葉県佐原市香取に鎮座。旧官幣大社。下総国の一宮。祭神は経津主神。古代の地形では東国の東端、大河の河口に近く、湖と入江が多く、しかも大洋に臨む地にあって、鹿島とならんで大和朝廷が早くから深い関係を持った神社である。カトリの名義は、『日本書紀』神代天孫降臨章第二の一書に
金峯山寺(国史大辞典)
奈良県吉野郡吉野町吉野山にある寺院。「山上(山上ヶ岳)一体、山下(吉野山)三体」の蔵王権現を祀る金峯山修験本宗大本山。現在、「きんぷせん」寺といい、蔵王権現の巨像を祀る巨大な蔵王堂(国宝)や二王門(同)を中心とし、一山は天台・真言両系の修験道寺院(単立寺院)で構成され
今川氏真(国史大辞典)
一五三八-一六一四。戦国時代の武将。上総介。天文七年(一五三八)義元の子として生まれる。母は武田信虎の女。永禄元年(一五五八)すでに駿河にその発給文書がみられ、国務の一部を委ねられていたが、同三年父義元の討死により家督を相続した。しかし氏真にとって、桶狭間の敗戦の打撃は
平城京(国史大辞典・世界大百科事典)
平城京へいぜいきょう和銅三年(七一〇)から延暦三年(七八四)までの都城。日本最初の本格的な都城といわれる藤原京とは設計上密接な関係があるが、同時にまた律令国家の確立期にふさわしく、規模・立地において両者には格段の差がある。左右京おのおの九条
大宝律令(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
律令時代盛期の基本法典。刑部親王らの撰。律六巻・令十一巻。施行期間は、令が大宝元年(七〇一)から、律が翌二年から、いずれも『養老律令』に代わった天平宝字元年(七五七)まで。『養老律令』に対して古律・古令という。かねてから夫の天武天皇とともに律令制定を命じていた
遣唐使(国史大辞典・世界大百科事典)
遣唐使けんとうし七世紀前半から九世紀にかけて、日本から唐に派遣された公式の使節。舒明天皇二年(六三〇)八月に犬上御田鍬らを派遣したのを最初とし、寛平六年(八九四)に菅原道真の建議によって停止されるまで、およそ二十回の任命があり、うち十六回が
養老律令(国史大辞典・世界大百科事典)
律令国家を規制した基本法典。律十巻・令十巻から成る。奈良時代の初め、政界の実力者になった右大臣藤原不比等は、さきにみずから実質上の編纂主任をつとめた『大宝律令』が、用字その他の点で若干の不備があることを考慮し、おそらく孫の首皇子(のちの聖武天皇、母は不比等の女宮子娘)
冠位十二階(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
飛鳥文化(国史大辞典)
文化史上、七世紀前半の推古朝を中心とする時期の文化をいう。七世紀後半の白鳳文化に先行する。朝鮮を経由して南北朝文化の積極的受容の行われたところに、先行および後続する時期の文化と異なる最大の特色が見出されるので、大陸文化との関連からまず見て行くこととする。
古墳文化(世界大百科事典・国史大辞典)
古墳によって示現された文化の意味。したがって、古墳時代の文化とは区別される。古墳時代の文化は、古墳時代に含まれる総括的な全般の文化を対象とするものであるが、古墳文化は古墳の文化であり、あたかも仏教文化・神道文化のごとき名称と同一に取り扱われなければならない
キリシタン(世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
十六世紀の中ごろヨーロッパから伝えられたキリスト教の呼称で、ポルトガル語のChristãoによるものである。幾利紫丹・記利支丹・幾利支丹・切支丹・吉利支丹などの漢字を宛てたが、「吉利支丹」は延宝八年(一六八〇)将軍徳川綱吉の諱を避けて、用いることを
イエズス会(世界大百科事典・国史大辞典・集英社世界文学大事典)
(ぜずすの)こんぱにや、あるいは御門派・耶蘇会(漢語)ともいう。イグナティウス=デ=ロヨラを中心として、フランシスコ=シャビエルら同志七人によって創立された司祭修道会。会を挙げてキリストへの奉仕に献げる精神から、創立者の名を会の名称に用いず
シャビエル(フランシスコ・ザビエル)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五〇六-五二。スペイン人イエズス会士。キリスト教(ローマ=カトリック)を日本に最初に伝えた。古記録には「しびえる」(寛永ころの日繰、祝日表)、「ジャヒエル」(『契利斯督(キリスト)記』)、「サベイリウス」(『西洋紀聞』)と表記され
今川氏真(国史大辞典・日本人名大辞典・日本大百科全書)
一五三八-一六一四 戦国時代の武将。上総介。天文七年(一五三八)義元の子として生まれる。母は武田信虎の女。永禄元年(一五五八)すでに駿河にその発給文書がみられ、国務の一部を委ねられていたが、同三年父義元の討死により家督を相続した。しかし氏真にとって、桶狭間の敗戦の打撃は
潜伏キリシタン(国史大辞典)
江戸幕府がキリスト教禁止令を出した慶長十八年(一六一三)から信仰を表明して復活した慶応元年(一八六五)までの約二百五十年間にわたり禁圧・迫害のため潜伏を余儀なくされたキリスト教信徒。宣教師の国外追放後も日本に残留潜伏した一部パードレ、イルマン
縄文時代(国史大辞典)
弥生時代以前の日本列島で土器が出現し使用された時代全体を縄文時代とする広義の見解と、その編年区分のうち最古の細隆線文土器・爪形文土器などが作られ使用された草創期は縄文土器文化以前の土器文化と考え、これを晩期旧石器時代・更新世最終末とする見解とがある。
弥生時代(国史大辞典)
弥生時代は、一般的には、狩猟採集社会である縄文時代に次ぐ時代、つまり水稲農耕が始まり、金属器をもつようになってから、古墳を標識とする古墳時代に入るまでの間とされている。弥生時代は、前期・中期・後期、または第I~V期に区分されている。かつてこの前期・中期・後期という区分に
古墳時代(国史大辞典)
弥生時代につづいた一時代について、その文化の代表的徴証である古墳の名を冠した時代区分の名称。古墳は三世紀終末あるいは四世紀の初頭に発達し、飛鳥時代はもとより奈良時代あるいは平安時代の一部にも存続したが、一応飛鳥時代などすでに確立されている時代区分と区別し
飛鳥時代(世界大百科事典・国史大辞典)
〔時代区分〕 飛鳥の地に都のあった時代をさすが、政権の所在地を時代区分の基準にすることに無理があって、飛鳥時代の範囲には諸説がある。(一)推古天皇が飛鳥豊浦宮に即位した崇峻天皇五年(五九二)から元明天皇が平城京に遷都した和銅三年(七一〇)までの一世紀
日本霊異記(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典・全文全訳古語辞典・日本国語大辞典)
平安時代初期の仏教説話集。薬師寺の僧景戒編。三巻。上巻三十五、中巻四十二、下巻三十九、計百十六縁(話)から成り、各巻に序文がある。正式な書名は『日本国現報善悪霊異記』。『日本霊異記』または『霊異記』と略称されることが多い。成立事情は複雑で延暦六年
竹取物語(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
一巻。『かぐや姫の物語』(『源氏物語』蓬生の巻)という呼称もあったようだが、現存本の状態から見ても、『源氏物語』絵合の巻にみえる「竹取の翁の物語」という呼称が最も一般的であったらしい。成立年代は、同じく『源氏物語』絵合の巻に「物語の出来(いでき)
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