改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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太政大臣(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
令制における太政官(だいじようかん)の最高の官職で,日本固有の職。和訓では〈おおまつりごとのおおまえつぎみ〉といい,唐名では(大)相国。令では唐の三師(太師,太傅,太保),三公(太尉,司徒,司空)を兼ねる重職と位置づけられ,適任者のない場合には欠員と
恵美押勝の乱(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
奈良時代に恵美押勝(藤原仲麻呂)が起こした反乱。橘奈良麻呂の変を未然に鎮圧した藤原仲麻呂は,早世した長男真従の妻であった粟田諸姉をめあわせた大炊王を淳仁天皇として擁立し,またみずからを恵美押勝と称すること,私的に銭貨を鋳造し出挙(すいこ)を行うこと
律宗(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
中国仏教十三宗の一つ。戒律とくに《四分律》を所依(しよえ)として開宗された。東晋時代に《十誦律》《四分律》《摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)》などの律部経典が中国に伝訳されると,律に関する研究が盛んとなり,特に《四分律》が北魏の法聡と慧光(468-537
光明皇后(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
奈良前期の聖武天皇の皇后。諱(いみな)は安宿(あすかべ),出家して光明子という。藤原不比等の第三女,母は橘三千代。幼にして聡慧,早くから声誉高かったが,716年(霊亀2)16歳で皇太子首(おびと)皇子の妃となり,翌々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む
遣渤海使(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
728年(神亀5)から811年(弘仁2)まで約80年余にわたって日本から渤海へ派遣された13回の外交使節。渤海は698年旧高句麗領の大半を拠点とする高句麗人が各地の靺鞨(まつかつ)人を支配下に置く形で自立したが,当初より唐の冊封(さくほう)を受け
三世一身法(世界大百科事典・日本大百科全書)
723年(養老7)に出された墾田についての法令。日本の律令に規定された班田収授法には,墾田の取扱いについての明確な規定がなく,墾田に対する開墾者の権利もはっきりとは認められていなかった。そのため墾田のなかには収公されるものもあり,民間の開墾意欲を減退
遣隋使(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
大和朝廷と中国の王朝との公式な交渉は〈倭の五王〉時代からあった明証が中国の史籍に見いだされる。このころの交渉には多かれ少なかれ,朝鮮半島における外交問題を伴っていたのであるが,562年任那(みまな)(加羅)が新羅のために滅ぼされ,日本は朝鮮半島に
十七条憲法(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
7世紀初めに聖徳太子が作ったと伝える法制で,日本最初の成文法とされる。《日本書紀》推古12年(604)4月戊辰条には,〈皇太子親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法十七条を作る〉として,以下に17ヵ条から成る長文の条例の文章を掲げており,これがふつう十七条
ハギ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
古くから広く親しまれている日本の代表的な植物で,秋の七草の一つとしてよく知られている。古くは芽子と記し,ハギと読んだ。一般にハギと呼ばれる植物はマメ科ハギ属の中のヤマハギ節に属する数種類を含むもので,特定の種類ではなく,外観の似ている種類の総称である
イチジク(日本大百科全書・世界大百科事典)
おそらく栽培果樹としては世界で最古の歴史を有するクワ科の落葉樹。トウガキ,ナンバンガキともいう。無花果と書くのは,花が見あたらないままに果実ができることによる。原産地は小アジアまたはアラビア南部とされ,前2000年ころからイスラエルはじめ地中海沿岸
ブドウ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
ブドウ科ブドウ属に属する落葉植物で,果樹としてオレンジ類に次ぐ世界第2位の生産量をあげている。ブドウ属Vitisは暖温帯から温帯にかけて約70種が知られ,その多くのものが果実を食用に利用されている。つる性で巻きひげを他物にまきつけてよじ登る。葉は
サバ(日本大百科全書・世界大百科事典)
スズキ目サバ科サバ亜科に属する海産魚の総称。日本近海にはマサバScomberjaponicus,ゴマサバS.australasicus,およびグルクマRastrelligerkanagurtaの3種が分布する。このうち,グルクマは熱帯系で沖縄以南に分
明治維新(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
19世紀後半,国内矛盾と世界資本主義の圧力とが結びつくなかで,幕藩体制が崩壊し,近代天皇制国家が創出され,日本資本主義形成の起点となった政治的,経済的,社会的,文化的な一大変革を総称していう。〈明治〉という表現は,《易経》の〈聖人南面して天下を聴き,
大伴金村(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
5世紀末~6世紀前半ころの大和朝廷の豪族。生没年不詳。室屋の孫,談(かたり)の子で磐(いわ),咋(くい),狭手彦(さでひこ)の父。《日本書紀》によると,武烈・継体・安閑・宣化4朝の大連(おおむらじ)をつとめた。仁賢天皇の死後,大臣の平群(へぐり)氏を
磐井の乱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
6世紀の初めに起こった筑紫国造(くにのみやつこ)の反乱。仁賢記以後,物語部分をもたない《古事記》だが,継体記にはとくに〈此の御世に筑紫君石井,天皇の命に従はずして礼なきこと多し。故,物部荒甲(あらかひ)の大連,大伴金村の連二人を遣わして,石井を殺した
任那(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
朝鮮古代の国名。〈にんな〉ともいう。532年に滅亡した金海加羅国の別名であるが,562年までつづいた加羅諸国を指すこともある。任那は《日本書紀》など日本の史料と〈広開土王碑〉や《三国史記》など朝鮮の史料とでは,使用頻度,読み方,領域などに,相違が
昭和時代(世界大百科事典・国史大辞典)
昭和の元号を冠した時代(1926-89)を指すが,明治時代,大正時代のように,ある特定のイメージで語られる時代とはいえない。第2次世界大戦の敗北とその後の改革による変動があまりにも大きく,戦前と戦後とは,まったく違った時代といってもよいほどの大きな
明治時代(国史大辞典・世界大百科事典)
字義どおりには,1868年(慶応4・明治1)9月8日の明治改元から,1912年7月30日明治天皇の死にともない皇太子嘉仁(よしひと)親王が践祚し,大正と改元したときまでを指す。これは,明治天皇の践祚が1867年1月9日であるため,天皇の在位期間と一致
江戸時代(日本大百科全書・世界大百科事典)
安土桃山時代に続く時代。徳川家康が征夷大将軍になった1603年(慶長8)から,15代将軍徳川慶喜が大政を奉還して将軍を辞した1867年(慶応3)までの265年間を指す。この間,権力の中枢である幕府が江戸に置かれたのでこの呼称があるが,徳川氏が権力を
戦国時代(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日本史時代区分の一つで室町後期に一致する。始期と終期通常,応仁の乱の始まった1467年(応仁1)から,織田信長が足利義昭を奉じて入京した1568年(永禄11)までをさす。しかしこれには始期・終期ともに異説がある。すなわち始期については伊勢長氏
徳川家定(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府13代将軍。12代将軍家慶(いえよし)の嗣子。幼名政之助。家祥と称する。1853年(嘉永6)7月に宗家を相続,11月に将軍となり家定と改名した。アメリカ,ロシアなどとの和親条約締結後,57年(安政4)に通商を要求するアメリカ総領事ハリスを江戸
徳川家慶(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府12代将軍。11代将軍家斉(いえなり)の次男。母は押田氏の娘。幼名敏治郎。諡(おくりな)は慎徳院。1797年(寛政9)世子(せいし)となり西丸に入り,1837年(天保8)将軍職に就いたが,政治の実権はなお大御所家斉にあった。41年家斉の死後,
徳川家斉(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府11代将軍。三卿の一橋治済(はるさだ)の長男。幼名豊千代。母は岩本氏。1781年(天明1)10代将軍家治の養子に迎えられ,86年将軍職を継いだ。将軍家治は俊才の名が高かった三卿田安家の定信に嘱望したが,田沼意次は自己の権勢を維持するため定信を
徳川家治(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府10代将軍。9代将軍家重の長子。幼名竹千代。幼少から明敏で祖父吉宗に期待され,学芸に長じ囲碁,将棋も巧みだったという。1760年(宝暦10)父の譲りを受け将軍となる。86年に没するまで27年間の治世は,側用人田沼意次が実権をにぎり,一面新時代
徳川家継(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府7代将軍。6代将軍家宣の第3子。生母は勝田氏お喜世の方,月光院。1713年(正徳3)将軍宣下。治世は〈正徳の治〉の後半にあたり,側用人間部詮房(まなべあきふさ)が新井白石の助言をえて運営の中枢に立った。前代家宣の遺言の権威を頼りに,貨幣改鋳
徳川家宣(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府6代将軍。3代将軍家光の三男甲府藩主綱重の長子。幼名虎松。法号文昭院。綱重が正室を迎える前の子であったので,一時家老新見正信に養われ,新見左近と名のる。1670年(寛文10)甲府藩邸にもどり,76年(延宝4)元服して綱豊と名のり,78年甲府
徳川家綱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府4代将軍。3代将軍家光の長男。母は於楽之方(宝樹院)増山氏。幼名竹千代。1651年(慶安4)8月18日将軍宣下をうけ,11歳で将軍となる。このとき正二位内大臣に叙任。生来病弱で,家光の死の直後には慶安事件が起こるなど政情不安を招くが,保科正之
ナス(日本大百科全書・世界大百科事典)
ナス科の一年草(熱帯では多年草)で,ナスビともいう。果実を食用とする重要野菜である。インドの原産で熱帯から温帯地方に広く栽培される。中国での栽培はきわめて古く,《斉民要術》にすでに栽培,採種について記載されており,千数百年の歴史を有する。アラビア
十返舎一九(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸後期の黄表紙・洒落本・滑稽本・合巻作者。本名は重田貞一,通称は与七。十偏舎,十遍舎とも書く。駿河府中で武士の子として生まれ,若くして江戸に出て武家奉公をするが,まもなく大坂に移り,商家の養子となり,25歳で浄瑠璃《木下蔭狭間合戦
曲亭馬琴(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸後期の読本,合巻,黄表紙作者。本名滝沢興邦(おきくに),のち解(とく)。幼名は倉蔵また左七郎。通称清右衛門,笠翁また篁民。戯作号に,曲亭馬琴,著作堂主人,飯台陳人,玄同陳人,大栄山人,蓑笠漁隠(さりつぎよいん),信天翁など。狂名,変名は曲わの馬
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