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「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
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野白内証鑑(日本古典文学全集)
野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。
豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの印象派の画家。裸婦や少女たちの豊かな魅力を備えた作品によって、国際的にも、日本でも、もっとも親しまれている画家。1841年2月25日リモージュに生まれる。幼年時代、一家とともにパリに移住。1854年、陶器の工房に絵付(えつけ)職人として
エジソン(世界大百科事典)
アメリカの発明家,電気技術者。二重電信機,スズ箔蓄音機,カーボンマイクロホン,白熱電球,映画,アルカリ蓄電池,謄写印刷機などを発明,または改良したことで非常に著名である。貧しい材木商兼穀物商の家に生まれ,小学校には数ヵ月しかいかずに母親から教育を受け
ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
長篠の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天正三年(一五七五)五月二十一日織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼の軍を三河国設楽原(したらがはら、愛知県新城(しんしろ)市)で破った合戦。天正元年四月武田信玄が没し武田軍の上洛遠征が中断されると、徳川家康は再び北三河の奪回を図り、七月二十一日長篠城
姉川の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
元亀元年(一五七〇)六月二十八日(新暦八月十日)、現在の滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田付近の姉川河原において、織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉景健連合軍を撃破した戦い。織田信長は永禄の末年(永禄二年(一五五九)・同七年・同八―十年ごろという
武田勝頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五四六-八二戦国・安土桃山時代の武将。甲斐の武田信玄の四男。母は諏訪頼重の娘。天文十年(一五四一)六月、父晴信(信玄)が武田家当主となり、翌十一年信濃国諏訪郡を攻め、諏訪頼重を誅殺した際、その娘を側室として同十五年勝頼が生誕した。四男なので諏訪氏の
松平広忠(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五二六-四九戦国時代の三河国の武将。徳川家康の父。千松丸、仙千代、次郎三郎。父は清康、母は青木貞景女。大永六年(一五二六)岡崎生まれ。天文四年(一五三五)十二月に清康が尾張守山で死んだ時は十歳。織田信秀の来襲は撃退したが、桜井松平家の信定に追われて
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
春一番(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
冬から春へと季節が移るころ、冬のうちとは風向きの異なる強風が急に吹き出すことがある。この現象を戒めたことばで、漁業従事者たちの間で、海難防止の意味合いで使われだしたといわれる。春一(はるいち)ともいう。冬のうちの北風、西風を吹かせた西高東低型の気圧
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
神曲(集英社世界文学大事典・世界大百科事典)
全1万4233行からなる壮大な長編叙事詩で,均整のとれた構成はしばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。「地獄」Inferno,「煉獄(れんごく)」Purgatorio,「天国」Paradisoの3編からなり,各編は33歌から,また各連は3行からなる。「地獄編」の冒頭には
聖書(集英社世界文学大事典・世界大百科事典)
ユダヤ教およびキリスト教の聖典。人類の歴史において,聖書ほど広く世界に行き渡り,人々の心を深く捉え,その社会・文化あるいは思想の形成に多大な影響を与え,また熱心な研究の対象となってきたものはおそらくないであろう。その意味で,聖書は人類の大いなる遺産
アイルランド文学(集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
アイルランド文学は,文字に残されたものとしては,6世紀ごろまでさかのぼることができる。それまでの文学は口承によるもので,特別な修業を積んだ詩人たちが神々,英雄,美女,妖精(ようせい)の物語を語り伝えた。文字としては,石の角(かど)に長短の直線を刻み
ヘーゲル哲学(文庫クセジュ・日本大百科全書)
緒論一はじめにかつて、ヘーゲルは近代のアリストテレスであると言われた。じじつ彼の学説は、かつてひとりの哲学者によって構想された哲学体系のなかで、最も完結したものであり、そしておそらく最も深遠なものであろう。それは知の諸領域を一つのこらず網羅し
現象学(文庫クセジュ・集英社世界文学大事典・世界大百科事典)
第一部フッセル(1)A形相的なものI心理主義的懐疑論フッセルは心理主義と戦った。心理主義が、認識の主観と心理学的な主観とを、同一視するからである。心理主義の主張によれば、《この壁は黄色である》という判断は、この判断を言い表わしこの壁を知覚する私から
すさまじ(全文全訳古語辞典)
〔形容詞シク活用〕《動詞「すさむ」の形容詞化。「すさまし」とも》時期や周囲の状況と不調和になって、興味や面白みがなくなる感じを表す。現代語の「すさまじい」は、勢いの激しいようすや程度のひどすぎる意(❹)に用いられる。❶不調和でおもしろくない。興ざめで
こよなし(全文全訳古語辞典・日本国語大辞典)
〔形容詞ク活用〕❶他とくらべて相違がはなはだしい。格段の差がある。例「まみのほど、髪の美しげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかな、とあはれに見給ふ」〈源氏・若紫〉訳(尼君の)目もとの辺りや、髪が美しい感じに切りそろえられて
かしこし(全文全訳古語辞典)
〔形容詞ク活用〕[類義語]いみじ・ゆゆし本来は、霊力や威力のあるものに対する、恐れ多い、という気持ちを表す。その後、恐れ多い対象の性質や能力を表す例が増えて、すぐれている、の意を生じた。また、連用形「かしこく」の形で、はなはだしく、と程度を表す用法も
連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
暫(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の荒事劇の一つ。元来独立の狂言ではなく、江戸歌舞伎の狂言中に設定された類型的な一場の通称。危機的な場面に「しばらく、しばらく」と声をかけて主人公が登場することから『暫』と呼ばれた。初代市川団十郎の創始と伝えられ、内容を確認できる最古のものは
狩野探幽(国史大辞典・世界大百科事典)
一六〇二-七四江戸時代前期の狩野派画家。名は守信、幼名四郎次郎、また采女。探幽斎・白蓮子と号す。狩野孝信の長男として慶長七年(一六〇二)正月十四日京都に生まる。母は佐々成政の女。四歳にして習熟者のように描くほど早熟の天才であったと伝える。早くも同十七
春日局(国史大辞典・世界大百科事典)
一五七九-一六四三徳川三代将軍家光の乳母。お福ともいう。天正七年(一五七九)に生まる。父は明智光秀の重臣斎藤利三、母は稲葉通明女。父利三が山崎合戦で自刃(一説に磔刑)ののち、母方の一族稲葉重通の養女となり、その養子正成に嫁し、四男(正勝・正定・岩松
和泉式部(国史大辞典・世界大百科事典)
生没年不詳平安時代中期の女流歌人。和泉式部は女房名、また式部・江式部とも称された。父は越前守大江雅致、母は越中守平保衡の女。母が冷泉天皇皇后昌子(太皇太后)に仕えたこと(『中古歌仙伝』)、父が長保元年(九九九)に太皇太后宮大進、夫の和泉守橘道貞が同権
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
春の深山路(中世日記紀行集)(日本古典文学全集)
都住まいも、思いがけず、今年で四年になったであろうか。過ぎ去った三年の間は、ひきつづき、近親の不幸ゆえに、闇に惑う心持で過ごしながら、涙の間々には、出仕することもあったけれども、万事につけて物憂く思われて、日記に書き記すこともしなかった
ガンディー(日本大百科全書・世界大百科事典)
インドの政治指導者で思想家。「マハートマー(偉大なる魂)」「ラーシュトラ・ピター(国の父)」「バープー(父)」などいくつかの呼称をもち、今日なおインド人大衆の尊敬と親愛の的となっている。[内藤雅雄]▲アフリカ時代インド西部カーティアワール半島にあった
