日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。隔週月曜日にお届けします。


 数十年前の話である。奈良県でバスに乗っていて、「せいぜいご利用ください」という車内放送に、おや?と思ったことがあった。聞き慣れない「せいぜい」の使い方だったからである。
 私にとって「せいぜい」は、以下のような意味で使う語だった。「出席者はせいぜい5,6人だろう」のように、たかだか、やっと、という意味、「上司の説得は難しいだろうけどせいぜいがんばりな」のように、期待はできないだろうけどできるだけ、といった意味である。いずれにしてもプラスの意味ではない。ところが車内放送は明らかにプラスの意味で使っていた。今でも同じような車内放送はあるのかもしれない。
 私の思い込みとは異なり、「ぜいぜい」の本来の意味は、「力の及ぶかぎり。できるだけ。つとめて。一心に努力して」(『日本国語大辞典(日国)』)だと知ったのは、かなり経ってからである。バスの車内放送は本来の意味で使っていたわけだ。
 それはそれでおもしろいと思ったのだが、さらにあるとき、この語の語釈を『日国』と『広辞苑』『大辞林』『デジタル大辞泉』と引きくらべていて、興味深いことに気づいた。同じ用例を引用しているのに、扱いが異なるのである。それは以下の2例だ(『日国』の引用の形式で示した)。

*天草本平家物語〔1592〕読誦の人に対して書す「マヨエル シュジャウヲ ミチビカントxeijeiuo (セイゼイヲ) ヌキンデ タマウ コト ココニ セツ ナリ」
*幸若・大臣〔室町末~近世初〕「せいぜいをつくして作りたつる、弓のながさは八尺五寸、まはりは六寸二分なり」

 「せいぜい」は漢字で「精々」と書くのだが、『日国』ではこの2例は、見出し語「精々」で引用しているわけではない。「精々」の用例は、近代以降のものしかなく、2例とも「せいせい 【精誠】」で引用しているのである。『日国』では、「精誠」は名詞・形容動詞で、「純粋で誠実なこと。まごころをこめること。また、そのさま」いう意味だとしている。
 この2例を他の辞書ではどう扱っているのか。
 『日国』は「精々」は副詞の扱いなのだが、『広辞苑』『大辞林』は副詞の他に『日国』にはない名詞の意味「つとめはげむこと」を付け加え、そこで幸若『大臣』の例を引用している。どちらも『天草本平家物語』の例は引用されていない。
 『大辞泉』は、「精々」にやはり『日国』にはない名詞の意味として「能力の及ぶ限界。力のかぎり」を加え、そこで『天草本平家物語』の例を引用している。幸若『大臣』の例はない。
 幸若『大臣』は『百合若大臣』とも言うが、たとえば新日本古典文学大系『舞の本』所収の『百合若大臣』を見ると、「せいぜい」は原本はかな書きだったようだ。ただ同書では「精誠」と漢字を当て、「精魂こめて」の意だと注釈を施している。『広辞苑』『大辞林』のように「精々」と解釈しておらず、『日国』と同じ判断をしているわけだ。
 この違いは何なのだろうか。『大辞林』が述べているように、「精々」は「精誠」から転じた語の可能性があるからかもしれない。『日国』によれば、「精誠」は古くは「せいぜい」と発音したこともあったらしく、どちらの意味にもとれそうな例がかなりある。『天草本平家物語』、幸若『大臣』の例もどちらの意味でも解釈できそうだ。しかも、『天草本平家物語』の例はローマ字、幸若『大臣』の例はかな書きで、漢字表記がないために判断に迷う。
 『日国』によると、「精誠」という表記は室町時代以降の古辞書にある。ところが、「精々」の表記が見られるのは近代の辞書になってからでけっこう新しい。そのようなこともあって、『日国』では「精々」の用例は明治以降の確実なものだけにして、漢字表記のない例は「精誠」と見なしたのである。
 他の辞書の判断の理由がどのようなことだったのか、私には想像がつかない。『日国』だけが正しいと言うつもりは毛頭ないので、できればそれを知りたいところである。細かなことながら、ことばの用例と意味の扱いは、辞書によって見解に相違が生じることはけっこうあり、答えは一つとは限らないからである。
 辞書としては筋の通った用例の扱いができればいいのであって、そのためにせいぜい気をつけなければいけないと思った次第である。

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 「雑草という草はない」は、植物学者・牧野富太郎のことばとして知られている。牧野は、NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公槙野万太郎のモデルである。
 この牧野のことばは、これまで牧野が語ったものだという確実な根拠は見つかっていなかったらしい。
 その根拠になる史料が、ついに見つかったようだ。1年ほど前の高知新聞の記事(「『雑草という草はない』は牧野富太郎博士の言葉  戦前、山本周五郎に語る 田中学芸員(東京・記念庭園)が見解」2022年8月18日)でその詳細が報じられている。木村久邇典(くにのり)著『周五郎に生き方を学ぶ』(1995年、実業之日本社)にその根拠となる内容が記載されているというのだ。木村は山本周五郎の研究者として知られている。
 若かりし頃雑誌記者をしていた周五郎が牧野のもとに取材に行ったとき、周五郎が「雑草」ということばを口走ると、牧野はなじるような口調で「世の中に“雑草”という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」と言ったのだそうだ。
 「雑草という草はない」ということばは、辞書にできるだけ草の名を載せたいと思っている辞書編集者としても、まさにその通りだと思う。
 ただ、辞書にかかわる者としては別のことも気になる。「雑草」という語は、いったいつ頃から使われていたのかということである。
 というのは、『日本国語大辞典(日国)』によれば、「雑草」の例は『和蘭字彙(おらんだじい)』(1855~58年)の「onkruid 雑草」という用例が一番古い。『和蘭字彙』は幕末に刊行された蘭日辞書である。長崎のオランダ商館長ドゥーフが編纂した『ドゥーフハルマ』を、蘭方医の桂川甫周(かつらがわほしゅう)らが編集して刊行したものである。オランダ語onkruid の訳語を「雑草」としているところから、「雑草」はそれ以前に使われていた語に違いないと私なりに推測していたのである。
 そこで調べてみると、『日国』第2版には載せられなかったが、『和蘭字彙』よりも50年ほど古い『本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』(1803~06年)で「雑草」の用例を見つけることができた。『本草綱目啓蒙』は小野蘭山(おのらんざん)述の本草書である。同書の巻17に「雑草」という小見出しがあり、いくつかの植物がそこに分類されている。「百草(ひゃくそう)」という語も見える。「百草」は、『日国』によればいろいろな草という意味である。
 ところが、現行よりも古い用例が見つかったので、『日国』の次の版では文句なしに採用できると喜び勇んでいたところ、いささか判断に迷う用例が他に見つかってしまった。ちょうど、『和蘭字彙』と『本草綱目啓蒙』の間となる、小西篤好(あつよし)著の『農業余話』(1828年)と、宮地簡著の『農家須知(のうかすち)』(1840年)の用例である。
 前者には「雑草」に「ザツグサ」、後者には「ざう(ママ)くさ」とふりがなが付けられている。「雑」という漢字は、ゾウ(ザフ)が呉音、ザツが慣用音である。この2つの例を見る限り、この時代「雑草」の読みは一定していなかったのかもしれない。しかも、呉音、慣用音の違いはあるが、「草」はいずれも「くさ(ぐさ)」と読んで重箱読みになっている。「雑草」を意味する語は、古くは単に「草」と言っていたようなので、そのためなのだろうか。「雑草」は「ザッソウ」以外に読めないだろうと思っていただけに、『農業余話』と『農家須知』の用例をどのように扱うべきなのか実に悩ましい。ふりがなのない『和蘭字彙』『本草綱目啓蒙』の用例は「ざっそう」と読みたいのだが、そうなると『農業余話』『農家須知』の用例はどうしたらいいのだろう。補注にすべきなのだろうか。
 なお、以下は蛇足である。かねがね、「害虫」という語はあるのに、なぜ「害草」という語はどの辞書にも載っていないのだろうかと不思議に思っていた。その「害草」の用例が、『農業余話』で見つかったのである。「雑草」の用例のすぐ近くにあった(上巻・苗代)。この「害草」は「ガイサウ」と読ませている。それはそれで、思いがけない収穫だった。

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■日時:2023年6月22日(木)19:00~20:30
■場所:日比谷図書文化館地下1階 日比谷コンベンションホール(大ホール)
■参加費:1000円(税込)
くわしくはイベントインフォメーションをご覧ください。
お申し込みは日比谷図書文化館のお申し込みフォームをご覧ください。

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 「お見知り遠足」という語があるらしい。熊本周辺で使われている語だと、NHK熊本局のアナウンサーから教えてもらった。
 私にとっては初めて聞く語だったので、調べてみると、主に熊本の他、大分、福岡などの学校、幼稚園、保育園で使われているらしいということがわかった。
 さらに文献での使用例を探してみると、多くはないが見つかる。それらをすべて確認したわけではないが、筆者は九州の人が多いように見受けられる。
 それにしても、なぜ九州のこれらの地域限定で、「お見知り遠足」という語が使われるようになったのだろうか。学校、幼稚園、保育園で使われていることから考えると、方言研究者が言う「学校方言」の一種なのかもしれない。「学校方言」とは、学校生活と関係の深いことばで、限られた地域の学校社会で通用する表現のことである。たとえば、通学区域のことを、主に東日本では「学区(がっく)」、西日本では「校区(こうく)」、北海道の一部や北陸などではで「校下(こうか)」と言うが、これも「学校方言」である。
 「見知り」は「どうかお見知りおきください」などと言うときの「見知る」と同じだろう。初対面の者同士が顔見知りになるという意味に違いない。「見知る」には、見て知る、見てわかる、よく知っている、という意味の他に、面識がある、交際してよく知る、という意味もある。
 これが、「遠足」と結びついたのはなぜなのだろうか。あくまでも推測の域を出ないのだが、九州地方で「見知り」という方言があったからかもしれない。
 「見知り」は、『日本方言大辞典』(小学館)によると、鹿児島県肝属(きもつき)郡では「よそから来た者が村の仲間入りをすること」という意味で使われていた。
 また、熊本県玉名(たまな)郡では、「よそから来た者が村入りするために出す酒肴料(しゅこうりょう)。また、村や青年会などの共同作業に参加しなかった者に課す過怠金」を言ったようだ。
 「見知り祝」という語もある。「他村から嫁入りした者が村への仲間入りのためにする挨拶」だという。鹿児島県肝属郡で使われている。
 「見知りじゃ」という語は、「見知り合いの宴」のことだそうだが、この「じゃ」が何なのかわからない。福岡市で使われていたようだ。このような「見知り」の意味、風習が、「遠足」と結びついて残っているのかもしれない。
 ところで、これらの地域以外では、「お見知り遠足」的な遠足をふつうなんと呼んでいるのだろうか。千葉県出身の私の記憶では、そのような特別の意味をもった遠足はなかった気がする。小学6年生の最後の遠足をいう、「お別れ遠足」はあったが。
 ちなみに、主に大分県らしいが「努力遠足」というのもあるらしい。バスなどの乗り物を使わずに、歩いて目的地に行く遠足のことらしい。おそらくこれも、大分限定の学校方言なのだろう。「徒歩遠足」ではなく「努力」としたのは、遠足はただの物見遊山ではないという何か教育的な理念があるのかもしれない。

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 「流石」という珍しい名字がある。それを知ったのは、私がよく行く焼鳥屋の店主がこの名字だったからだ。ルーツは、今の富士河口湖町あたりらしい。店主の名は「さすが」である。ただ名字として、「ながれいし」「ながれ」「りゅうせき」などと読ませることもあるらしい。由来はよくわからないようだ。
 「流石」は通常「さすが」と読むので、「さすが」を「流石」と書くのは、古くから行われてきたことだろうと思い込んでいた。だが、どうもそうではないらしい。
 「さすが」は、たとえば「こんなことまで知っているなんてさすがだ」「日が落ちるとさすがに冷えてくる」「そんな言い方をされるとさすがに腹が立つ」といった使い方をする。ほとんどの国語辞典に、「流石」という漢字表記が示されている。
 ところが、『日本国語大辞典(日国)』には以下のような記載がある。形容動詞の「さすが」は、副詞「さ」、動詞「す」、助詞「がに」が連なって一語化し、その「に」を活用語尾としたものだというのである。そして副詞としての「さすが」は、「さすがに」の「に」を切り捨てた形だと説明されている。
 つまり、いくつかの語が複合してできた語だというのである。そのため、平安時代頃までは主に仮名書きされ、この語に当てた様々な漢字表記が生まれたのは、中世になってかららしい。
 『日国』には、平安時代から明治中期までに編まれた辞書のなかから代表的なものを選んで、そこに記載された表記を『日国』と対照させて示した欄がある。それによると「さすが」には以下の表記があったことがわかる。

 【雅】文明・天正・饅頭・書言
 【流石】文明・書言・ヘボン・言海
 【有繋】易林・書言・言海
 【遉】書言・言海
 【指鹿・有声】文明
 【左流・声】伊京
 (「文明」文明本節用集(室町中)・「天正」天正十八年本節用集(1590年刊)・「饅頭」饅頭屋本節用集(室町末)・「書言」和漢音釈書言字考合類大節用集(1717年刊)・「ヘボン」〔和英語林集成(再版)〕(1872年刊)・「言海」(1889~91年)・「易林」易林本節用集(1597年刊))

 これらの表記の中で「流石」が一般化したのは、近世になってかららしい。
 この「流石」という表記は、中国の唐代にまとめられた『蒙求(もうぎゅう)』の「孫楚漱石(そんそそせき)」にもとづくといわれている。このような故事だ。
 昔、中国の晋(しん)の孫楚(そんそ)が隠居しようとして、「石を枕(まくら)にしたり、流れに漱(くちすす)いだりして自由な生活をしよう」と言うところを、「石に漱ぎ、流れに枕しようと思う(漱石枕流(そうせきちんりゅう))」と誤って言ったために、友人が聞きとがめた。ところが孫楚は、「流れに枕するとは、自分の耳を洗うため、石に漱ぐとは、歯をみがくためだ」とこじつけたというのである。この故事から、「漱石枕流」は負け惜しみの強いことをいう。夏目漱石の「漱石」の号は、この故事から生まれたことも広く知られている。
 だが、私にはなぜ「漱石枕流」から「流石」の表記が生まれたのか、以前から不思議であった。関連がわからなかったのである。
 それが『言海』を増補改訂した『大言海』にある以下のような記述を見つけ、短いながら少しばかり納得できた(片仮名を平仮名に直した)。

 「通俗に、流石の字を当つ、是れは、小石は、急流に流れはすれど、淀み淀みして流るる義にして、躊躇(ためら)ふ義なるべし(孫楚が、漱石枕流の説は、附会、甚し)」

 「附会、甚し」、つまり「漱石枕流」の説はひどいこじつけだと否定しているのである。また、「躊躇ふ義なるべし」というのは、「さすが」のそれはそうだが、やはりという意味についていっているのだろう。
 それにしても現在では出所不明の「流石」という表記のみ残り、他の表記が廃れてしまったのはどういうわけなのだろうか。こじつけとはいえ故事に結び付けられた「流石」の表記だけが、人々の心に残ったということなのだろうか。

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第503回
 

 「毒」という漢字は、健康や生命を害するものという意味をもつ。それが物質なら「毒薬」だし、人の心をきずつけるものという意味なら、「毒手」「毒舌」などがある。「毒婦」も、近年話題になった「毒親」の「毒」もそれだろう。
 だが「毒」には、普段使われることはめったにないが、別の意味がある。「ひどい」「はげしい」といった意味である。実は最近その意味の熟語と出会い、しかもそれらの語がすべて『日本国語大辞典』に立項されていないことを知り、いささか悔しい思いをした。
 「毒寒」「毒熱」「毒暑」という語である。これらの「毒」は「ひどい」「はげしい」という意味で、それぞれ、ひどい寒さ、はげしい熱、ひどい暑さということだろう。
 「毒寒」「毒熱」は、近世初期の日本人イエズス会士ハビアンがキリシタンの立場から神儒仏を批判した書物『妙貞問答(みょうていもんどう)』(1605年)の中にあった、以下のような例である。

「此地中ニ獄所ヲ定メサセラレ、毒寒毒熱ノ責ヲ以テクルシメ玉フ事、其時ヨリ今ニ終ラズ」(下)

 ハビアンはこの『妙貞問答』著述後、キリスト教を捨てるのだが、それはまた別の話。キリシタンの間では「毒寒」「毒熱」は「インヘルノ(地獄)」を表現する際に常用されたのかもしれない。というのも、ほぼ同時期に宣教師の日本語修得のために編纂(へんさん)された『日葡辞書』にも両語とも立項されているからである。
 それらは、「Docunet (ドクネッ)」「Doccan(ドッカン)」の形で見出し語があり、ポルトガル語で書かれた訳には、「インヘルノ(地獄)のような寒さ(熱さ)」(日本語訳は『邦訳 日葡辞書』岩波書店によった)と説明されている。
 さらに用例を探してみると、「毒寒」は見つからなかったものの、「毒熱」にこんな用例があった。平安後期の説話集『今昔物語集』のものである。

「大きなる鐘蛇の毒熱の気に焼かれて、炎盛りなり」(巻14・3)

 この説話は、安珍・清姫で知られる、道成寺の「鐘巻(かねまき)」の説話である。ただ、この場合の「毒熱」は、異常な熱さというだけでなく、何か毒気を含んだ熱のような気がする。
 そういった目で探してみると、多くの戦国大名に重んじられた医師曲直瀬道三(まなせどうさん)が注をほどこし再編した医学書『類証弁異全九集』(1566年頃)には、

「癰疽瘡癤イデキテ毒熱内ヲ攻、未ダ膿トナラザル時」

という用例もある。「冬葵子(とうきし)」というアオイの種子の効能について書かれた部分で、この「毒熱」も体内にこもった毒気を含んだ熱のように読める。「毒熱」に異なる2つの意味があったのかどうか、検討の必要がありそうだ。
 単に異常な熱さという意味で使われた用例も存在する。たとえば、江戸後期の儒学者松崎慊堂(こうどう)の日記『慊堂日暦』には、「毒熱終日」(天保4年7月12日)、「晴、毒熱」(同年7月20日)、「毒熱苦悶」(天保10年7月23日)などと数例見られる。
 「毒暑」は古い時代の例は見つからなかったが、こんな例があった。

「毒暑(ドクショ)迫人(ヒトニセマル)」(宇喜多小十郎編『雅俗作文自在引』下 1881年)

 『雅俗作文自在引』は手紙文などの文例が示された書物である。「小暑」のところにあるので、その時季に使うべきあいさつ語の例のようだ。だが、それが広まることはなかった。確かに「毒暑人に迫る候、皆々さまにはお変わりなくお過ごしのことと拝察いたします」などという書き出しの手紙がきたら、ギョッとするに違いない。
 幸田露伴も「毒暑」を使っている。

「一切の苦悩や種々の疲労も、家庭の薬、妻の安慰によって忘れることは、譬へば毒暑に甘雨に逢ふが如しと思うて居る」(『春の夜語り』1916年)

 「毒熱」「毒暑」は漢籍の用例もあるのだが、長くなるので省略する。前者は杜甫、後者は白居易のものである。
 この3語を『日国』第2版に収録できなかったのはとても残念だったが、いずれ漢籍例まで引用した形で追加立項できるだろう。
 辞書編集者にとってことば探しとは、新しいことばだけを追い求めることではないのである。

●神永さんの本を朗読!
4/27(木)、5/4(祝)の2週にわたって神永さんの『やっぱり悩ましい国語辞典』が、ラジオ日本の朗読番組「わたしの図書室」で紹介されます。読み手は日本テレビの井田由美アナウンサー。
「串カツ」は東西で違う?「ちちんぷいぷい」の語源は?「恋愛」を定義すると?さて本の内容を井田アナの落ち着いた声に乗せるとどうなるのか?こうご期待。
放送は4/27(木)、5/4(祝)いずれも23:30~24:00、ラジオ日本。
くわしくはラジオ日本-わたしの図書室のページをご覧ください。

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