おかしくてたまらない、または、ばかばかしくてしかたがないことを、「へそが茶を沸(わ)かす」とか「へそで茶を沸かす」と言う。あざけりの意をこめて用いられることが多い。
 「へそ」はもちろん「臍」で、腹の中心にある小さなくぼみのことである。臍帯(さいたい=へその緒)のとれた跡で、胎児のときはこれを通じて栄養などが胎盤から循環していたということはよくご存じであろう。
 この「へそ」で茶を沸かすということが、なぜおかしくてたまらないという意味になるのか、不思議に思ったことはないだろうか。勝手な想像だが、「へそ」はお腹を代表する部分と考えられ、腹を抱えるほど大笑いしてお腹が痛くなるほどになると、その部分が煮え立つようになって、お茶が沸くほどだという洒落なのであろうか。
 「へそ」を使った、おかしくてたまらないという言い方は、江戸人の心をつかんだらしく、『日本国語大辞典(日国)』には以下のような、江戸生まれと思われる「へそ」関連のことばが立項されている。

 へそがくねる/へそが西国(さいこく)する/へそが入唐(にっとう)渡天(とてん)する/へそが宿替(やどが)えする/へそが縒(よ)れる/へそが笑(わら)う/へそを動(うご)かす/へそを宿替(やどが)えさせる/へそを撚(よじ)る

 「へそ」が実にいろいろなことをして見せてくれるのである。
 「西国(さいこく)する」は、西の方に行くということである。江戸から西であるから上方かと思きや、日本から見た西で、中国に行ったり(入唐)、果ては天竺(てんじく)すなわちインドまで渡ったり(度天)してしまうのである。
 だから、「へそ」は宿替え、すなわち引っ越しまでするということであろう。こうなるとことばで遊んでいるとしか思えない。
 この「へそが宿替(やどが)えする」を使って、江戸時代には『臍の宿かえ』(1812年)という咄本(はなしぼん)まで現れた。咄本は落語・軽口・笑話などを書き集めた本で、『臍の宿かえ』は芝居咄の創始者、初代桂文治の咄をまとめた笑話集である。
 「へそ」の語源は、もともとは「ほぞ(臍)」で、これは古くは清音で「ほそ」と言われていて、これが転じたものであるという説があるが、確証はない。「ほぞ」は今でも「ほぞをかむ」のような言い方が残っている。
 余談ではあるが、「へそ」も「ほぞ」も「臍」と書くが、「臍を噛む」は「ほぞをかむ」と読むべきであろう。理由は特にないのだが、それが伝統的な言い方だからである。ところがこれを「へそを噛む」と言う人がいる。
 たとえば太宰治の『先生三人』(1936年)という短いエッセーに、
 「百点満点笑止の沙汰、まさしく佐藤家の宝物だ、と殘念むねん、へそを噛むが如き思ひであつた」
とある。太宰は比較的ことば遣いが自由な人なので、これを完全な誤用と言い切る勇気はないのだが、通常では「ほぞをかむ」とすべきところである。
 閑話休題。とにかく「へそ」というなんともユーモラスな響きが、江戸の人の心をとらえたのかもしれない。

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 民放のバラエティー番組で「ヤブ医者」の「ヤブ」の語源について教えてほしいと言われ、辞書編集者の立場でお答えしたことがある。
 ところがそれからひと月もたたないうちに、先にNHKがやはりバラエティー番組でその語源を取り上げていた。「ヤブ医者」がブームになっているなどということはないであろうから、バラエティー番組のネタにしやすい話題なのかもしれない。
 “辞書編集者の立場”とわざわざ断ったのには理由がある。民放もNHKも、「ヤブ」は地名の「やぶ(養父)」によるという説を採用しようとしていた(採用した)のだが、どの国語辞典もその説は採用していないからである。
 この「養父」は兵庫県養父市のことなのだが、同市はこの説を市のホームページで紹介している。もちろんその説を否定するつもりは毛頭ないし、養父市とこのことで論争したいと思っているわけでもない。だが、辞書的には確証とは言えないまでも、必ずしもそうとは言えない証拠がいくつかあるので、ここで触れておきたい。
 その前に養父市が主張する、地名「やぶ(養父)」説について触れておこう。「養父」説は、江戸中期の森川許六(もりかわきょりく)編の俳文集『風俗文選』(1707年)を根拠としている。同書にそれによると、但州ヤブ(養父)に名医がいたのだが、それにあやかろうとする者が数多く出てヤブの名が蔓延(まんえん)したとある。
 これについて、養父市は、

 〈「養父の名医の弟子と言えば、病人もその家人も大いに信頼し、薬の力も効果が大きかった。」と「風俗文選」にもあるように、「養父医者」は名医のブランドでした。しかしこのブランドを悪用する者が現れました。大した腕もないのに、「自分は養父医者の弟子だ」と口先だけの医者が続出し、「養父医者」の名声は地に落ち、いつしか「薮」の字があてられ、ヘタな医者を意味するようになったのではないでしょうか。〉

と述べている。さらに養父市は、この名医は徳川5代将軍綱吉のときの養父出身の奥医師がモデルだったとしている。
 だが、「やぶ」に関してはもう一つ有力な説がある。「やぶ」は「野巫(やぶ)」で、本来は呪術(じゅじゅつ)で治療を行っていた者の意だったというものだ。これに「藪」「野夫」などの漢字を当てて田舎医者の意となり、あざけって言うようになったというものである。実は「やぶ」の語源説を載せているほとんどの国語辞典では、この説が有力だと見なしている(ただし『新明解国語辞典』は「『やぶ』は『やぼ』と同源で、事情に暗い意」としている)。
 『日本国語大辞典』で引用している「やぶ医者」「やぶ医」の用例はいずれも江戸時代になってからのものであるが、それよりも古い「やぶ医師」の例がある。このような例だ。

*康富記‐応永二九年〔1422〕六月一五日「只藪医師ばかり被聞食入之条如何」

 『康富記』は中原康富(やすとみ)という室町時代の公家の日記である。この部分は、ただやぶ医者ばかり呼ぶのはどういうことかと憤慨しているのである。
 さらに医者の呼称である「薬師(くすし)」に「薮」を付けた、「藪薬師」の例が鎌倉時代の仏教説話集にある。

*米沢本沙石集〔1283〕三・二「さるほどに医師よべとて、藪薬師(ヤフクスシ)のちかぢかにありけるをよびてみすれば」

これらの用例から「やぶ」を「藪」と書いた例はけっこう古くからあったことがわかる。少なくとも綱吉の時代よりも400年前に「藪薬師」はいたのである。
 昔は「野巫(やぶ)」と呼ばれる呪術医も多く、それらは病気を治すことのできない者がほとんどだったのではないか。それ故に、そのような者たちをおとしめて「野巫」を「薮」「野夫」と表記して、診断治療の下手な医者を「やぶ薬師」「やぶ医師」「やぶ医者」と呼ぶようになったのではないだろうか。
 「養父」説もそれなりに面白いのだが、各国語辞典は断定はしていないものの「野巫(やぶ)」説を採用しているのは、このような理由からである。

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 先ずは『日本国語大辞典(日国)』の「秋波を送る」という項目の語釈をお読みいただきたい。

 「女性が、相手の関心を引こうとして、こびを含んだ目つきで見る」

 さらにここには用例が3つ示されているのだが、そのうちのわかりやすい例をひとつ引用する。

*野分〔1907〕〈夏目漱石〉八「黒縮緬へ三つ柏の紋をつけた意気な芸者がすれ違ふときに、高柳君の方に一瞥(べつ)の秋波(シウハ)を送(オク)った」

 『日国』の語釈の内容通り、この夏目漱石の『野分』の例でも、高柳君に「秋波」を送ったのは、女性である芸者だ。
 では次に以下の文章をお読みいただきたい。劇作家岸田国士の『演劇漫話』(1926年)からの例である。

 「俗衆は、自分の観てゐる芝居の中に、自分の知つてゐる型を見出さなければ満足しないといふ恐ろしい習慣を失はずにゐるのです。新劇は、さういふ種類の観客に秋波を送つてはなりません」

 この例で「秋波」を送っているのは、女性ではない。それどころか新劇という、人格のないものなのである。このような例があるということは、『日国』の語釈が間違っているということなのであろうか。
 「秋波」の本来の意味は、美人の涼しげな美しい目もとという意味で、そこから、女性のこびを表わす色っぽい目つきのことをいう。従って「秋波を送る」は、女性の流し目のことをいうのである。
 だが最近では、岸田国士の例にもあるように、女性に限らず他人の関心を引くために媚びを売るという意味で使っている例が増えている。しかも面白いことに、そういった使用例が比較的目につくのは、政治の世界なのである。国会の会議録を見ると、「秋波」を送っている主体も、送られている対象も、政治家や政治団体、企業であったり、外国であったりする。あまりつやっぽい話ではなく、どちらかというと生々しい。
 そのようなこともあって、小型の国語辞典の中では、『三省堂国語辞典』『現代国語例解辞典』が男女間に限らず他人の関心を得るために媚びを得るという意味を載せている。さらに前者ではその行為は「下心をもって」だとまで踏み込んで説明している。
 このような新しい意味での「秋波」が広まるようになったのは、やはり意味が拡大しているということなのであろうが、本来の意味は知っていてもよさそうな気がする。

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 かつてコピーライターの糸井重里さんが作った「おいしい生活」という西武百貨店のキャッチコピーが、一世を風靡(ふうび)したことがある(1982年)。コピーで使われたことばを説明するのはやぼな話なのだが、この「おいしい」とは、豊かな暮らしという意味なのであろう。
 「おいしい」はもともとは、物の味のよいことをいう語であるが、最初から「おいしい」の形だったわけではない。元来は「いしい」の形で使われていたのである。「いしい」の原義は、よい、好ましいということだが、この場合は味がよいという意味の女房詞で、これに接頭語「お」が付いたのである。
 「いしい」については、キリシタン宣教師の日本語習得のために編集された『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603~04)にも載せられているのだが、ポルトガル語による説明を翻訳すると、「おいしい、あるいは、良い味のもの。この語がこの意味で用いられる時は、通常女性が用いる」(『日本国語大辞典』)とある。つまり男性が「おいしい」を使うことはその時代にはあまりなかったのであろう。
 一方の「うまい」も古くからあることばで、『万葉集』に以下のような長歌の使用例がある。
 「飯(いひ)はめど うまくもあらず 行き行けど 安くもあらず 茜(あかね)さす 君が心し 忘れかねつも」(巻16・3857)
 「夫君を恋い慕う歌一首」とある短い長歌で、ご飯を食べてもおいしくないし、歩き回っても心はやすまらない。あなたのお心が忘れられませんという意味である。現在でも恋い慕うあまり食が進まないということはあるだろう。
 また、残された例文から考えられることは、「うまい」の方が「いしい」「おいしい」よりも古くからある語だということである。ただ、「おいしい」が女房詞に由来する語だったこともあって、現在でも女性は「うまい」より「おいしい」を使う傾向が強いであろう。そして一般にも、「うまい」よりも「おいしい」の方がよりも丁寧な表現として理解されていると思われる。
 なお、「おいしい」を漢字で「美味しい」と書くのは当て字である。「美味」は「びみ」だが、「うまい」もこの字を使って「美味い」と当てていた。「美味い」と書かれた例は江戸時代からみられる。『日本国語大辞典』引用している以下の例がそれである。

*浮世草子・風流曲三味線〔1706〕四・一「口栄耀(くちえよう)にして朝夕美味ひもの好(ごのみ)をし」

 「口栄耀」は、食べるものに贅沢(ぜいたく)を尽くすこと、つまり口のおごっているさまをいう語である。
 「美味しい」の表記が現れるのは、明治になってからのようだ。たとえば、小説家で翻訳家でもあった内田魯庵の短編小説集『社会百面相』(1902年)に収められた『新妻君』という短編の以下のような例がある。

 「手製の氷菓子(アイスクリーム)を薦(すす)めて『家拵(うちごし)らへだから美味(おいし)くはないのよ』」

 「うまい」と「おいしい」とで受ける印象が違うのは、それぞれの語に以上のような歴史があったからである。

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 「改ざんに手を染めたのか」
 といっても、財務省の公文書改ざん問題について論じようというわけではない。「手を染める」ということばについてである。「手を染める」は手をつける、事業などに関係するという意味である。「そめる」はその行為がはじまるという意味で、現在では「染める」と書くことが多いのだが、もともとは「初める」あるいは「始める」と表記されていた。だが、なぜ「初(始)める」が「染める」と書くようになったのかはよくわからない。
 インターネットで検索すると、「手を染める」は、作家の谷崎潤一郎が昭和に入って使い始めたと言われていて、小説『吉野葛』を執筆中に谷崎の遊び心から「手を染める」が生まれたと書かれているものがあった。出どころはテレビのバラエティー番組である。谷崎の『吉野葛』(1931年)は大学生のときに読んで深く感銘を受けた小説なので、もしそれが本当ならとてもうれしい。
 だが、日本語の歴史を文献を通じて見てきた辞書編集者として確信をもって言えることだが、「手を染める」の表記は谷崎の創始ではない。なぜそのようなことが言えるのか。
 その根拠のひとつが、『名語記(みょうごき)』(1275年)という鎌倉時代の辞書にある。『日本国語大辞典(日国)』の「そめる(初)」の項目で引用されているのだが、一部を示すと以下のような内容だ。

 「みそむ、ききそむのそむ如何。これは、初の心につかへり。〈略〉そむは猶、ただ染の字なるべしとおぼえ侍(は)べり。いろをつけはじむる心地也。そむる義とこそ推せられたれ」

 「みそむ(初めて会う)」「ききそむ(初めて聞く)」という語の「そむ」について説明した部分である。どういう内容かというと、「そむ」は「初」という意味で使っている。〈略〉また「そむ」はやはり「染」の字だと思われる。色を付け始めるという意味であり、染めるという意味だと推測できる、というものである。これから何かをしはじめるという意味の「そめる」を「染める」と表記するのは少なくとも鎌倉時代から行われていたことがわかる。
 さらに『日国』では「そめる(染)」の解説の中で、「(「手をそめる」などの形で)ある物事を始める。その事に関係する」という意味で使われるとし、菊池寛の小説『藤十郎の恋』(1919年)の、

 「不義非道な色事には、一指をだに染めることをしなかった」

という例を引用している。
 さらにこれが決定打になるのだが、『日国』にはないこんな例がある。劇作家の岸田国士の『俳優教育について』という評論で、発表は1926年。『吉野葛』よりも5年古い。

 「興行師も一方旧劇といふものがある以上、わざわざこの不景気な新劇に手を染めようとせず、俳優志願者も、少し素質のあるものは、映画などに走り」

 このような例があっても、「手を染める」という表記を岸田国士が初めて使ったとは言えないであろう。用例はそのことばのアリバイになるものであるが、それを扱うのはとても難しい。「手を染める」谷崎潤一郎創始説が独り歩きしないよう願うばかりである。

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