昨年秋に、『新明解国語辞典』と『明鏡国語辞典』の改訂版が刊行された。いずれも定評のある辞書なので、すでにお手もとに置いて使っているというかたも大勢いらっしゃることだろう。
 現在、私は辞書の編集は大型の『日本国語大辞典(日国)』にしかかかわっていないのだが、やはり小型の国語辞典の動向は気になる。『日国』のような大型の辞書と、『新明解』『明鏡』のような小型の辞書とでは編集の方針がまったく異なるからである。できれば小型の辞書の編集もまたやってみたいという願望もある。
 辞書の新版が刊行されたとき、私の興味はもっぱら、ことばの“揺れ”といわれているものをその辞書がどのように扱っているかということにある。
 そういった点に関する記述は、『新明解』よりも『明鏡』の方が詳しいので、先に新版の『明鏡』第3版をパラパラと見ていたら、「開いた口が塞(ふさ)がらない」という項目でこんな注記を見つけた。
 「素晴らしい活躍に驚く意で使うのは誤り。『×ホームランの連発に開いた口がふさがらない』」
 この注記は、第2版にはなく、今回新たに追加されたものである。確かに、「開いた口が塞がらない」は、あきれ返った状態や、あきれてものも言えないさまをいう語で、相手の行為や何かの情景を見て、そのひどさやどうしようも無いさまに驚きあきれるときに使われることが多い。だから、この注記を新たに加えた意図は、わからないでもない。
 だが、私だったら、ということがあるのでそれをここで書いておきたい。
 『日国』で「開いた口がふさがらぬ」を引いてみると、まず、
 「あきれ返った状態。あきれてものも言えないさま」
 という意味が示されている。これは『明鏡』などにもある意味なので問題ないだろう。ところが、(2)として、もう一つ意味が示されているのだ。
 「うっとりしている状態。我を忘れたさま」
というもので、以下のような用例が引用されている。

 *浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵〔1748〕三「師直は明いた口ふさがれもせずうっとりと」

これだけだとわかりにくいので、前後を少し補って説明すると、高師直 (こうのもろなお)が豪華な贈り物の目録を見てうっとりしているといった場面である。この「明いた口ふさがれもせず」は素晴らしい活躍に驚くという意味ではく、心奪われてぼうっとしているということだが、といって、あきれ返るということでもない。これは『明鏡』では×になるのだろうか。
 実は、大型の国語辞典と小型の国語辞典では編集方針が異なると書いたのは、まさにこのことなのである。『日国』は用例主義なので、現在は使われていない意味であっても、用例さえあればその意味を載せることがある。時としてその用例が、現在は“誤用”とされているものであっても。だが、小型の国語辞典は今の用法を記述するものなので、過去の使用例はほとんど無視する。どちらが正しいということではなく、あくまでも方針の違いなのだ。
 ただ、私がもしまた小型の辞書の編集に携わることができて、「開いた口が塞がらない」に注記を施すことになったら、『明鏡』のように「誤り」とは断定しないだろう。「言動などのあまりのひどさに、あきれたり驚いたりするときに使うことが多い」くらいにしておくと思う。

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 まずは、2020年3月2日の「東京新聞」首都圏ニュースに掲載された記事の見出しをお読みいただきたい。

 「本田五段 苦敗でカド番に 棋王戦第3局」

 何のことだろうとお思いになったかもしれないが、今回話題にしたいのは、「カド番」に追い込まれた将棋の本田五段のことではない。ここで使われている、「苦敗」という語についてである。この語は、国語辞典の見出し語にはなっていないが、辞書によっては解説の中に登場する不思議なことばなのである。
 いささか持って回った言い方をしてしまったが、こういうことだ。たとえば、『大辞泉』の「苦杯を嘗(な)める」の「補説」を見ると、

 「『苦杯』を『苦敗』と書くのは誤り」

と書かれている。他にも、『明鏡国語辞典』は第3版(2021年)になって、同様の注記が追加された。
 確かに、「苦杯をなめる」は苦い経験をするという意味で、この意味で「苦敗をなめる」とするのは誤りである。「苦杯」はにがい酒を入れたさかずきのことで、それから転じて、にがい経験の意味になった語だからである。
 「苦敗をなめる」と書いてしまうのは、2つのケースが考えられるのではないだろうか。
 ひとつは、単純に「くはい」は同音の「苦敗」と書くのだろうと思って、そう書いてしまったということ。これは単なる書き間違いと言ってもよい。
 もうひとつは、「苦敗」という、にがい敗戦、悔しい負けという語があって、そのような負けをこうむるという意味で、「苦敗をなめる」と言ってしまったということ。もちろん、「苦敗」などという語は辞書には立項されていないのだから、やはり誤用だということもできる。だが、冒頭の新聞の見出しに「苦敗」が使われていることを思い出していただきたい。しかも、「苦敗」の使用例は冒頭の例だけではない。

 「阪神・ロサリオ、7番降格も不発 大拙攻で松坂にまた“苦敗”」(2018年8月2日「サンケースポーツ」)

などという、阪神ファンにはその通りとしか言いようのない例もある。ここでは「苦敗」にクオーテーション・マークを付けているので、辞書に無い語、まだ認知されていない語だということを暗に示しているようだ。
 このような例が複数あるということは、まず「苦敗」を新たに辞書に立項するかどうか検討する必要があるのかもしれない。そして、もし「苦敗」を新語として辞書に載せるのであれば、「苦敗をなめる」はにがい敗戦を経験するという意味になるかもしれないということまで検討すべきなのではないだろうか。この意味での「苦敗」と「なめる」を結びつけても、意味的に不自然さは感じさせないからである。
 さらに細かなことだが、「苦敗」を立項するのなら、「『苦杯』を『苦敗』と書くのは誤り」という注記は、「『苦杯』の意味で『苦敗』と書くのは誤り」とすべきなのではないかと思う。
 将来そんな辞書が出てくるだろうか。

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 政治家が好んで使う語のランキングを調べたら、間違いなくこの語はトップテンに入るだろう。「善処」のことである。
 そう思って、第1回国会(1947年5月)から国会会議録で検索してみることにした(2020年12月まで)。ただし、単に「善処」で検索すると21,127件もある。その中には自分から「善処する」と言っているのではなく、相手に「善処」を求めているものもあったので、政治家が好んで使いそうな形をいくつか想定して検索してみた。私が思いつかなかった言い方も他にあると思うが、以下のような結果となった。

「善処したい」 2,668件
「善処いたしたい」 3,630件
「善処してまいりたい」 1,006件
「善処してまいる」 130件
「善処する所存」 34件
「善処していきたい(行きたい)」 667件

これらを多いとみるべきかどうか・・・・・・

 当然のことながら、「善処」は政治用語ではない。にもかかわらず、『日本国語大辞典(日国)』で「善処」を引いてみると、「事に応じて、適切に処置すること。うまく処理すること」という語釈に続いて、まず政治にかかわる用例が引用されている。このような例だ。

*内閣告諭号外‐昭和一四年〔1939〕八月一一日「事変の推移に善処し、国際政局の情勢に対応し」

 1939年に内閣が発した告諭からのものだが、近現代史に詳しいかたなら、この日付を見て、何に対しての告諭か即座におわかりかもしれない。「事変」とは、この年に満州国とモンゴル(外蒙古(もうこ))の国境ノモンハン付近で起きた、日本とソ連両軍の大規模な武力衝突「ノモンハン事件」のことである。
 告諭では「事変の推移に善処し」と書かれているが、この9日後の8月20日から、ソ連軍から大規模な総攻撃を受け、日本の部隊の多くは壊滅的な大敗を喫してしまった。さらに8月23日には独ソ不可侵条約が成立し、この事態を予測できなかった平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣は同じ月の28日に総辞職している。何を「善処」しようとしたのだろうか、という気がしないでもない。
 話を「善処」という語に戻すと、この告諭の例が『日国』では「善処」の最も古い例になっている。だが、だからといって、このとき初めて「善処」が使われたということではない。『日国』第2版編纂時には、これ以上古い例が見つけられなかったのである。
 ただ、帝国議会会議録検索システムの方で検索すると、1923年(大正12年)12月11日の「第47回帝国議会 衆議院 開院式勅語奉答文起草の件委員会 第1号」に、

「聖旨を奉体し慎重審議協戮して災後に善処し上」

という使用例のあることがわかる。これは、「開院式勅語奉答文起草の件」とあるように、帝国議会では開院式(現在の開会式に当たる)に天皇から開会の勅語を賜わる式を行っていたのだが、その勅語に対する奉答文の文案に関する討議内容のようだ。もし、この開院式勅語奉答文が文書化されていて、そこに「善処」が使われていたら、現在の『日国』の「善処」の例よりも16年ほど古い例ということになる。ただ、現時点では未確認である。
 難解な語が多いので『日国』によって語句の説明をしておく。「聖旨」:天子の思し召し、「奉体」:うけたまわって、よく心にとめること。また、それを実行すること、「協戮」:ともに心や力をあわせて、事に当たること、という意味である。また「災後」はこの年の9月1日に起きた「関東大震災」以後ということである。
 「善処」の古い例が、政治家が使っているものが多いというのは、私の調べ方が偏っているせいなのかもしれないが、政治家が好んで使う語であることは間違いないだろう。
 適切に処置をすると言っているだけで、具体的な内容には触れないでも済むところが、このことばが好まれる最大の理由なのかもしれない。だが、もちろんそれは「善処」のせいではなく、使う側の意識の問題である。

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 政治用語ではないのだが、政治家が好んで使う語がある。今回取り上げる「是々非々」も、間違いなくその一つだろう。よいことはよいと、悪いことは悪いと、公平な立場で判断するという意味の語である。
 インターネットで公開されている「国会会議録検索システム」でこの語を検索してみると、2020年12月10日現在、全体で398件使われている。最新の使用例は、2020年10月30日の「第203回国会参議院本会議第3号」にある

 「私ども日本維新の会は、菅政権に対しても前政権と同様、是々非々主義で対してまいります」

というものである。
 「是々非々」には出典があり、中国、戦国時代(前313年ころ~前238年ころ)の思想書『荀子(じゅんし)』に出てくる。読みやすくするために書き下し文にすると、以下のような内容である。

 「是を是とし非を非とする、これを知といい、是を非とし非を是とする、これを愚という」(修身)

 この「是々非々」はけっこう古くから政治家が好むことばだったらしく、最初に示した「第203回国会参議院本会議第3号」の例にある「是々非々主義」について、『日本国語大辞典(日国)』は面白い例を引用している。

*新しき用語の泉〔1921〕〈小林花眠〉「是々非々主義(ゼゼヒヒシュギ)〈略〉これが原政友会総裁の常套句となってから、その不断の行動と性格とに照らし見て、言外の意味を蔵する一種の新流行語となった」

 「是々非々主義」は大正時代に平民宰相と呼ばれた原敬(はらたかし)の決まり文句で、一種の流行語になっていたというのである。『新しき用語の泉』は当時の新語辞典である。だが、実は原は、この新語辞典が刊行された年の11月4日に、東京駅で暗殺されてしまう。
 「是々非々主義」という語も国会でしっかりと使われ続けていて、「国会会議録検索システム」によれば、これまでに35件見つかる。
 ところで、私が「是々非々」を「国会会議録検索システム」で検索する気になったのは、政治家がしばしばこの語を口にするのに気づいたからだが、もう一つ大きな理由がある。『日国』の「是々非々」の解説の中で、太宰治の小説『ロマネスク』(1934年)のこんな例を見つけたからなのだ。後半を補って引用する。

 「彼の気質の中には政治家の泣き言の意味でない本来の意味の是々非々の態度を示さうとする傾向があった。それがために彼は三島の宿のひとたちから、ならずもの、と呼ばれて不潔がられてゐた」(喧嘩次郎兵衛)

 太宰は政治家が「是々非々」を使う心理を見抜いていたのだ。そしてそれをさりげなく小説の中で使ってみせる。この言語感覚こそ、私が太宰を愛してやまない理由の一つなのである。

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 教師となって教えることを、「教鞭をとる」という。たとえば、『日本国語大辞典(日国)』で引用されている、国木田独歩作の短編小説『日の出』(1903年)の例のように、

「校長大島氏は四五人の教員を相手に二百余人の生徒の教鞭を採って居られます」

と使う。
 「教鞭」の「鞭」はむちのことで、今では考えられないことだが、かつては教師が授業で教えるためにむちを用いることがあった。このむちは、授業のとき教師が出来の悪い生徒や言うことを聞かない生徒を打つためのものというよりも、教授内容を指示するのに用いるものだった。これを手にとって指導することから、「教鞭をとる」で、教師となって学生や生徒に教えるという意味になったのである。
 ところが物がむちであるため、これで生徒を打つ教師がいたことも確かなようだ。やはり『日国』で引用されているものだが、中勘助の『銀の匙』(1913~15年)にこんな例がある。

「中沢先生は〈略〉どうかしてかっとすれば教鞭でもってぐらぐらするほどひとの頭をぶったりした」(後・一)

 この「中沢先生」のような教師は、昔はけっこういたのかもしれない。私が中学生だったときに、むちではないが「精神注入棒」と書いた棒を授業で使う教師がいた。黒板を指し示すためのものだったのだが、あるとき私の同級生が質問に答えなかったというだけで、それでめった打ちにされるというとんでもない事件がおきた。いつの時代のどこの話かとお思いかもしれないが、戦前のことではない。
 話がいささか脱線したが、実は新聞ではこの「教鞭をとる」を使わないようにしているらしい。たとえば、共同通信社の『記者ハンドブック』で「教鞭を執る」を見ると、「教える」「教壇に立つ」などと書き換えるようにしている。なぜそのように書き換えなければならないのか。
 「鞭」という漢字は常用漢字でないため、「教べん」と書くと意味がよくわからなくなることから、「教鞭」を使わないように書き換えるのだろうかと考えたのだが、そうではなさそうなのだ。というのは、別の用字用語集である時事通信社の『最新用字用語ブック』を見ると、『記者ハンドブック』にはない[注]が添えられている。そこには、「『鞭』が体罰を連想させるため、言い換える」という説明がある。おそらく、『記者ハンドブック』も同様の判断なのだろう。
 だが、これは実に不思議な理由だ。確かにかつてはむちで生徒を打つこともあったかもしれない。だが、「教鞭をとる」は教えるという意味の普通の慣用句なのである。しかも「鞭」という漢字は「鞭撻」という熟語でもよく使われるが、この「鞭撻」だって本来の意味はむちで打って懲らしめるということである。それが、努力するように励ますことをいうようになり、「御指導御鞭撻のほどお願い申しあげます」と広く使われるようになったのである。
 ことばづかいはあまり神経質になりすぎて制限を加えると、なんだか息苦しくなりそうだ。

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