日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。隔週月曜日にお届けします。


 『日本国語大辞典(日国)』は国語辞典だが、いわゆる百科語と呼ばれる語も多数収録されている。百科語とは、社会・文学・科学・歴史・演劇・美術・医学などあらゆる分野の事項に関する専門的な語をいい、広く日常生活の中で使われている語をいう国語とは区別している。
 ただ、収録語数50万語の『日国』にどれくらいの数の百科語が立項されているのかと聞かれると、はっきりと答えることはできない。百科語と考えるべきかどうか判断に迷う語が多数あるからだ。『日国』の場合、多くの国語項目には文献からの用例を添えているので、そうした用例があるかないかで多少判断は可能である。だが、実際にはそれほど単純なことではない。国語項目として扱われる語でありながら、専門分野でも使われていて、独自の意味をもたされている語があるからだ。たとえば、天気予報で使われる語がそうである。
 その中には「晴れ」「雨」「霧」といった語だけでなく、「しばらく」「一時」といった期間や時間を表す語も含まれる。これらの語は、日常生活の中でも普通に使われるが、天気予報ではかなり限定的な意味で使われている。
 たとえば「しばらく」はどうだろう。『日国』では、「少しの間。一時。ちょっと」という意味や、「久しく。少し長い間」という意味などがあるとしている。だが、気象庁が公開している予報用語によると、この語は、
 「2~3日以上で1週間以内の期間を指し、状況によって過去の期間をいう場合と未来の期間をいう場合がある」
と説明されている。『日国』の語釈にくらべて、かなり具体的、かつ限定的である。
 「一時(いちじ)」もそうだ。『日国』では、「少しの間」という意味だが、予報用語としては、
 「現象が連続的に起こり、その現象の発現期間が予報期間の1/4未満のとき」
とやはり具体的である。
 「時々(ときどき)」は、
「現象が断続的に起こり、その現象の発現期間の合計時間が予報期間の1/2未満のとき」
だという。そして、予報で言う「断続的」は「現象の切れ間がおよそ1時間以上」ということなのだそうだ。
 曖昧さを極力排除しなければならない天気予報では、こうした取り決めはとても重要だと思う。だが、このような意味を国語辞典にも載せられるかというと、まったく別の問題になってくる。一般的な国語としての意味とはまったく異なるものだからだ。
 ただ、辞典によっては予報用語の意味を載せているものが存在しないわけではない。私が編集にかかわった辞典だが、『現代国語例解辞典』では予報用語としての「一時」「ときどき」の違いを補注でだが触れている。このような内容だ。

 「天気予報では、雨が連続して降り、その合計時間が予報期間の四分の一未満のときは『一時』といい、雨が断続して降り、その合計時間が二分の一未満のときは『時々(ときどき)』という」(「一時」の補注)

 『現代国語例解辞典』ではそう記述したものの、『日国』第2版ではこれを採用しなかった。『日国』ではそこまで踏み込む必要はないと考えたからである。では『日国』の次の版ではどうすべきか。私はやはり躊躇するだろうが、他の編集者はどう考えるだろうか。

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 三重県松阪市にある、松浦武四郎誕生地に行ったときのことである。武四郎は、第494回「伊勢方言と横光利一」でも書いたが、「北海道」の名付け親として知られている。誕生地というのは、旧伊勢街道に面した武四郎の実家である。ただ武四郎はその家で育ったわけではないらしい。
 そこは現在、主屋、離れ、蔵などが保存されている。その主屋に靴を脱いで上がり、内部をしばし見学したのち、再び靴を履こうとしていたときのことである。70歳代とおぼしき男性のスタッフから、「靴すべり」を使ってくださいね、と声をかけられた。「靴すべり」?
 「靴べら」のことだとすぐにわかったが、初めて聞く語である。このあたりの方言かと思い、三重県出身の同行者に聞いてみたところ、知らないと言う。
 家に帰り『日本国語大辞典(日国)』を引いてみたが、載っていない。インターネットで検索して、ようやく関西方面で使われているらしいと知った。富山県でも使われているという報告もある。
 「靴べら」は、靴を履くときに、かかとの部分にあてて足を入れやすくするための、先端がへらのようになったものである。『日国』では、水上滝太郎の小説『大阪の宿』(1925~26)が最も古い用例だが、それが初出ということはないだろう。ただ、日本には靴を履く習慣はなかったわけだから、靴べらが使われるようになったのは間違いなく明治以降のことだろう。
 日本人が「靴べら」を使うようになって、それを最初から「靴べら」と呼んでいたかどうかは疑問である。と言うのは、『改正増補和英語林集成』(1886年)に「Kutsuhame クツハメ」という語があるからだ。『和英語林集成』は、幕末に出版された日本最初の和英・英和の部からなる辞典である。アメリカの宣教師で医師だった、ジェームズ・カーチス・ヘボンが編纂したもので、『改正増補和英英和語林集成』はその第3版に当たる。この版で用いられた日本語のローマ字つづりを「ヘボン式」と呼んでいる。
 『改正増補和英英和語林集成』の「Kutsuhame クツハメ」の項には、英語による説明がある。

The horn used in putting on a tight shoe, shoe・horn.

horn は角製品、shoe・horn は「靴べら」のことである。
 この「靴はめ」がどこで使われていたのか、他の使用例が見つからないのでよくわからない。後に「靴はめ」ではなく、「靴べら」が定着する経緯も不明である。「靴べら」は形状から生まれた語、「靴はめ」はその使用方法から生まれた語といえるが、何らかの理由で形状の方が優勢になったのだろう。「靴すべり」はそのどちらとも違う名称だが、“すべる”のは靴ではなくかかとではないかとツッコミを入れたくなる。
 話がいささかそれたが、実は松阪で聞いた「靴すべり」を立項している国語辞典がある。『岩波国語辞典(岩国)』で、私が調べた限り、他に「靴すべり」を立項している辞典はない。ただし、扱いは空見出し(参照見出し)で、語釈は「靴べら」に送っている。
 『岩国』で「靴すべり」が空見出しながら立項されたのは、2009年刊行の第7版からである。このときに、「靴すべり」という人もけっこういると判断して載せたのだろうか。その当時も今と変わらぬ辞書編集者だった私は、「靴すべり」が広まったという記憶はない。そして『岩国』は現在の第8版も同じ形で「靴すべり」が立項されている。
 私が「靴すべり」という語を知らなかったから言うわけではないが、あまり一般的ではない、ひょっとするとごく一部の地域でしか使われていない語であるにもかかわらず、あえて立項した理由は何だったのだろうか。編集部の考えを聞いてみたいものである。

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 『日本国語大辞典(日国)』で「勉強」という語を引いてみると、他辞書とは違う意味が最初に示されている。
 「努力をして困難に立ち向かうこと。熱心に物事を行なうこと。励むこと。また、そのさま」
そしてその次の意味も、
 「気がすすまないことを、しかたなしにすること」
というもので、この意味も他辞書にはたぶんない。
 ほとんどの人が真っ先に思い浮かべる学問や技術を学ぶという意味は、3番目になってようやく出てくる。なぜそのようなことになったのだろうか。
 実は、「勉強」に学ぶという意味が加わったのは、それほど古いことではないからである。「勉強」のもともとの意味は、『日国』で示された最初の意味、努力をして困難に立ち向かうこと、熱心に物事を行うことなのである。この意味の「勉強」は、中国古代の礼(れい)の規定やその精神を記した儒家の経典『礼記』に見える。『日国』にも引用されているが、それは、

 「或利而行之、或勉強而行之、及其成功一也〔或(あるひ)は利して之(これ)を行ひ、或は勉強して之を行ふ、其の功を成すに及んでは、一(いつ)なり〕」(中庸)

というものである。「或勉強而行之」は、あるものはむりに努めてこれ(「道」と「徳」のこと)を行うという意味である。
 日本では「勉強」はこのような意味で長い間使われていた。それがいつごろから学ぶという意味をもつようになったのか、その時期はよくわからない。
 杉本つとむ著『語源解』によると、『近思録』に「学者固当勉強〔学ぶ者は固(もと)より当(まさ)に勉強すべし〕」とあり、『近思録』は「日本では江戸時代によく読まれ、現代日本語の〈勉強〉の源流となった」のだという。『近思録』は中国、宋代の朱子学の書である。ただ、『近思録』の「勉強」は学ぶという意味ではなく、やはり努力するという本来の意味で使われている。この場合は、学ぶ者が努力すべきことはもちろんであるという意味になる。
 『語源解』の説が正しいとすると、この『近思録』で使われた「勉強」が、江戸時代のいつのころからか、学ぶという意味に変化したものと思われる。ただ、学ぶという意味で使われた「勉強」の例は、江戸時代のものは現時点では見つかっていない。明治初年のものが最も古い。
 たとえば福沢諭吉は『学問のすゝめ』(1872~1876年)の中で、励む意にも学ぶ意にもとれそうな「勉強」を使っている。福沢も、蘭学を学ぶ以前は漢学を学んでいるので、『近思録』に接した可能性はある。
 また、明治の初めに洋学者で教育家だった中村正直がサミュエル・スマイルズ著『Self Help (自助論)』を翻訳した『西国立志編』(1870~71年)の中には、以下のような文章がある。

 「勉強を居恒(きょこう〈注〉ふだん)の習ひとして、凡(およ)そその知るところのものを、有用の実物練習に運転(〈注〉めぐらしむける)する事」(二・七)

この「勉強」は間違いなく学ぶ意味である。中村正直は江戸幕府直轄の昌平坂学問所で学んでいる。ここでは朱子学を正学としていた。
 ただ、だからといって学ぶという意味をこの2人が考え出したということではない。彼らの周辺で、同じように学問を身につけることを目指していた者たちが使い始めたに違いない。
 「勉強」はまさに努力して励まなければならないものだということから生じた意味だったのだろう。楽して身につくような学問などないのかもしれない。

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 議員に当選すると、呼ばれるようになる敬称がある。それは「先生」。
 この「先生」という呼び名を、いくつかの地方議会では廃止しようという動きがあるらしい。最近も大阪府議会で、そうした提案がなされたようだ。ただ、長年そのように呼びならわしてきたためか、すぐに廃止することは難しいようだ。
 議員になると、なぜ「先生」と呼ばれるようになるのだろうか。
 確かなことはわからないが、かつて書生たちがお世話になっている家の主人を「先生」と呼んだことから始まったという説がある。書生とは、他人の家に世話になって、家事を手伝いながら勉学する若者のことである。ただ書生を家においたのは議員に限らず、実業家や医者、弁護士などもいた。だから、その人たちもやはり「先生」と呼ばれていた。
 たとえば小栗風葉の小説『青春』(1905~06)に、以下のような例がある。

 「此時丁度庭口の木戸を開けて書生が入って来た。『先生、俥が来ますた。』と東北訛(なまり)」(秋・二)

 この「先生」は医師、それも怪しげな医師である。
 「先生」は学問や技術・芸能を教える人、特に、学校の教師をいう語である。議員だけでなく、弁護士や医師も「先生」と呼ばれるのは、この小説のようなことがあったからかもしれない。
 議員に対して言う「先生」がいつ頃から広まったのか、その手がかりをつかめないものかと思い、「帝国議会会議録検索システム」で「先生」を検索してみた。するとテキスト化されている「第89回帝国議会 貴族院 昭和二十年勅令第五百四十二号(承諾を求むる件)特別委員会 第1号」(1945年11月29日)以降「先生」が頻出することがわかった。テキスト化されていないため検索に引っかからなかっただけで、おそらく戦前から使われていたのだろう。だが、残念ながら確実なことはわからない。
 ところで、国語辞典で「先生」を引いてみると、おもしろいことがわかる。辞典によって、どのような職業の人間を「先生」と呼んでいるのか、その例が異なるのだ。以下、主立った辞典の例を掲げてみる。

 『日本国語大辞典』第2版:学者、教員、師匠、医師、議員
 『デジタル大辞泉』:教師、師匠、医師、代議士
 『大辞林』第4版:師匠、教師、医師、弁護士、国会議員
 『広辞苑』第7版 教師、医師、弁護士
 『新明解国語辞典』第8版:教育家、医師、芸術家、芸道の師匠
 『明鏡国語辞典』第3版:教師、師匠、医師、弁護士、代議士
 『岩波国語辞典』第8版:教師、医者
 『三省堂国語辞典』第8版:師匠、教師、医師、芸術家、弁護士、国会議員
 『現代国語例解辞典』第5版:学者、教師、技芸の師匠、医師、芸術家、
 弁護士、代議士
 『新選国語辞典』第10版:教員、医師、文士、議員

 教師、医師といったところは共通しているが、それ以外はけっこうまちまちなのである。しかも「議員」は『広辞苑』『岩波国語辞典』には見当たらない。同じ版元の辞典というのは気になるところだが、判断理由は部外者の私には想像も付かない。「議員」を「先生」と呼ぶ人がいることを知らなかったわけではないだろう。辞典に載せるまでもないと考えたか、あるいは「議員」に対する呼び名としては適切でないという昨今の風潮を早くも反映させたのか。もし後者だとしたらすごいと思う。私ならけっこう悩む気がするからだ。「議員」に対する呼び名として、「先生」は適切でないという意見には賛同できても、そのように呼ぶ人がいる限り、やはり議員の呼称でもあるという説明は、辞典には残しておきたくなるだろう。
 なお、以下は蛇足である。「代議士」「国会議員」としている辞典がいくつか見受けられるが、「代議士」とは国会議員、特に衆議院議員を指す語である。1890年の帝国議会の開設以降、衆議院議員は国民より公選されたことからそのように言われるようになった。別に揚げ足を取ろうと思っているわけではないが、「先生」は現在では衆議院議員を含む国会議員だけでなく、地方公共団体の議員に対しても使われている。そのため、「国会議員」「代議士」と限定するのではなく、広く「議員」とした方が現状にふさわしい気がするのである。

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 三重県松阪市にある、松浦武四郎の生家を見に行ったときのこと、思いがけず懐かしい語と再会した。
 松浦は幕末から明治にかけて、当時蝦夷地と呼ばれていた北海道に再三調査のために渡り、紀行文や地図を数多く残した人物である。明治維新後、蝦夷地開拓御用掛として新政府から蝦夷地に代わる名称を考えるよう依頼され、松浦が提出したいくつかの候補の中から「北加伊道」が取り上げられ、これが後に「北海道」となった。
 懐かしい語といっても、特別な思い入れのある語ではない。若いときに小説の中で出会って、長い間意味がわからなかった語である。松浦の実家はきれいに保存されていて、その厨房の壁に「主な伊勢弁(松阪弁)」という表が貼られていた。その表の中でその語を見つけたのである。
 「かいだるい」という語なのだが、私は学生時代に横光利一の『王宮』(1938年)という短編小説を読んでいて、その語と出くわした。それは冒頭に出てくる。

 「もの憂くてかひ怠い。歌も聞こえない。午前だのにもう午後のやうである」

 「かひ怠い」などという語を見たことも聞いたこともなかった私は大いに悩んだ。そもそも「もの憂くてかひ怠い」は、一体どこで切れるのかと。「もの憂くてか/ひ怠い」とも思ったが、変である。「ひだるい」という語は知っていたが、空腹であるという意味の語が唐突に使われるわけがない。「もの憂くてか」も意味が通らない。手元の国語辞典を引いても、「かひ怠い」はどれにも載っていなかった。
 この語が、方言だと知ったのは、『日本国語大辞典(日国)』の編集をするようになってからである。横光は「かひ怠い」と書いているが、現代仮名遣いでは「かいだるい」である。
 松浦武四郎誕生地には伊勢市内の小学校で校長をなさっていたかたと訪ねたのだが、「かいだるい」は三重のあたりではよく使う方言だという。その場にいたスタッフも即座に同意していた。
 「かいだるい」は、『日国』には、「かいなだるい(腕弛)」の変化した語として立項されている。「かいな」つまり「腕」がだるいということが原義で、身体や身体の一部が疲れてだるいという意味になったようだ。そこで引用されている例から推測すると、室町時代から江戸時代にかけて多く使われた語らしい。
 この語の変化した語が「かったるい」で、この語だったら私はよく使う。さらに変化した「けったるい」と言うこともある。
 ところで、なぜ横光利一が「かいだるい」を小説の中で使ったかである。横光は福島県東山温泉の生まれだが、幼年時代は父親の仕事の関係で各地を転々としている。比較的長く過ごしたのは、滋賀の大津と母の生家のあった伊賀(現・三重県)の柘植(つげ)である。まさに、「かいだるい」を使う地域で育ったわけだ。
 横光が『王宮』を書いたのは40歳前後のことである。幼少期に育った土地のことばが、自身の語彙として残っていて、何かの拍子に方言とは気づかずに無意識で使ったのかと思うとなんだかおもしろい。

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