そんなにぐあいよくいくものではないという意味で、「そうは問屋がおろさない」という言い方がある。そのような安値では問屋が卸し売りをしないということから生まれた言い方らしい。『日本国語大辞典(日国)』にも立項されていて、

*春潮〔1903〕〈田山花袋〉八「此奴め、樺島男爵になる気だナ、さう安くは問屋では卸さん」

などといった用例が引用されている。『日国』では、この『春潮』の例がもっとも古い。
 ところが、この「そうは問屋が卸さない」を、「そうは問屋が許さない」だと思っている人がいるらしい。そのためだろう、文化庁は2006年と2015年の2回、この言い方の使用実態の調査を行っている。ただ10年間でそれほどの変化はなかったようで、「そうは問屋が卸さない」を使う人は、前者が67.7パーセント、後者は70.4パーセント、「そうは問屋が許さない」は、前者が23.5パーセント、後者が23.6パーセントという調査結果になっている。
 だがこの調査結果は、私にはいささか意外なものであった。というのも、文化庁の二度の調査で「許さない」派が20パーセント以上いることになっているにもかかわらず、その実際の使用例を見つけるのはけっこう難しいからである。ひょっとすると、口頭では「許さない」と言ってしまうのかもしれないと思って国会の会議録を検索してみたのだが、たった1例しか見つからない。文化庁がこの言い方について2回も調査をしたネタの出所を知りたいところである。
 ただそうはいっても、「許さない」の使用例がまったく存在しないというわけではない。私が見つけた例だが、以下のようなものがある。一つは浮世粋史が書いた『明治浮世風呂』(1887年)のもの。

 「弗相場(どるそうば)や米の直段(ねだん)も俄(にわか)にどしどし騰(あが)るを附(つけ)こみ濡手で粟とる山師の見込も相場うまくは問屋で許さぬとんとん評子(ひょうし)で青息(あおいき)ふくやら」(七)

 「相場うまくは問屋で」というのは、「そうはうまくは問屋で」というしゃれだろう。『明治浮世風呂』は江戸時代の『浮世風呂』を模して世相を風刺したものだが、浮世粋史が何者なのかよくわからない。国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができるためその本(明治20年共隆社 銀座)の奥付を見ると、「著述兼出版人 千葉茂三郎」とある。だが、その千葉も何者なのか私には調べがつかなかった。
 もう一つは、植物学者の牧野富太郎の随筆集『植物一日一題』(1953年)にある。

 「ショウブは菖蒲から来た名であるから、それをそのまま菖蒲と書けば問題はなかりそうだが、そうは問屋がゆるさない。普通の人はショウブを菖蒲としているが、これは大変な間違いで菖蒲はけっしてショウブではない。」(菖蒲とセキショウ)

 文化庁は、「そうは問屋が卸さない」が本来の言い方とされるとしているが、もちろんそのことについて異存はない。問屋だから、やはり「卸さない」と続けた方が自然だろうから。だが、それぞれの用例をくらべてみると、現時点では「許さない」の例が古いというのはどうしたわけなのだろう。「許さない」は文化庁もいうように本来の言い方ではないにしても、現時点で「卸さない」よりも古い例があるということは、必ずしも誤用とは断定できない気がするのである。
 もちろん、「そうは問屋が卸さない」を使った方が無難だと思うが。

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 日本では、1873年(明治6)に太陽暦が施行され、昼夜を24時に等しく分けた太陽時による定時法が用いられることになった。それ以前の時刻法は「不定時法」と呼ばれるもので、昼(夜明けから日暮れまで)と夜(日暮れから夜明けまで)をそれぞれ6等分して、2×6で一日を12刻としていた。ただしこの場合、季節によって昼夜の長さが異なるため、昼と夜とで一刻の長さは一定しない。
 昼夜の長さは異なっていても、一日は12刻なので、一日や一昼夜を「二六時(にろくじ)」といい、さらに終日、一日中を意味する「二六時中」ということばが使われていた。
 ところが1873年以降、一日が24時間になったために、新たに「四六時中」ということばも生まれた。「二六時中」の「二」を「四」に変えたわけだ。「二六時中」は、昼と夜の2と、それぞれを6等分した6からなり、それなりに意味があったのだが、「四六時中」は単に24時にするために数字を合わせただけなので、ことばの趣はあまりないような気がする。
 ただ、この「四六時中」が生まれたのは、太陽暦が施行されてすぐのことだったようで、『日本国語大辞典(日国)』には、

*音訓新聞字引〔1876〕〈萩原乙彦〉「四六時中 シロクジチュウ 一昼一夜廿四時ナリ」

というわずか3年後の用例が引用されている。この『音訓新聞字引』は書名からもおわかりのように辞書なので、辞書の用例だからだめだということではないのだが、誰かが書いた用例も欲しいところである。「これからは『二六時中』ではなくて、『四六時中』と言わなければならないな」といったような。おそらくそのような使用例が先行してあったから『音訓新聞字引』に「四六時中」が収録されたのではないだろうか。その先行する「四六時中」の例を見つけ出したいと思っているのだが、残念ながら現時点では見つかっていない。
 さらにもう一つ。「四六時中」という語が生まれたからといって、「二六時中」が死語になったわけではない。『日国』では、「二六時中」の例は、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905~06)が一番新しいものだが、「二六時中」を最後に使ったのが漱石だったわけではない。例えば、香納諒一(かのうりょういち)のミステリー小説『無限遠』(2009年 ただし1993年の『春になれば君は』の加筆改題本)にも、

 「しかも、新住民の研究者たちはみな階級ごとに、同じ広さで同じ間どりの家に住み、職場でのステイタスと人間関係を二六時中背負わされている」(疑惑・Ⅱ)

のように、比較的最近になってからも使う作家がいる。おそらくこの語へのこだわりがあるのだろう。この語の意味がだんだん通じなくなっていく可能性はあるのだが、「四六時中」とは逆に、どこまでこだわりをもって使う人がいるのか、これも追いかけてみたいのである。
 いずれも辞書編集者としてのささやかな願いなのだが。

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 まずは『日本国語大辞典(日国)』の「助長」という項目で引用した、以下の用例をお読みください。

*生活保護法〔1950〕一条「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い〈略〉その自立を助長することを目的とする」

 ここで使われている「助長」の意味を、皆さんはどのように考えるだろうか。実は私は、「助長」は好ましくない傾向をさらに強めるというマイナスの意味だと長い間思い込んでいた。従って、この「自立を助長する」のような、ある物事の成長や発展を助けるというプラスの意味で使うのは、誤用ではないかと思っていたことがある。
 そう思っていたのは実はわけがあって、「助長」は中国の故事による語で、本来は決してプラスの意味ではなかったからである。その故事は、中国、戦国時代の儒者、孟軻(もうか)の思想を伝える『孟子』の「公孫丑(こうそんちゅう)・上」に出てくる。苗の生長を早めようとした宋の人が、苗を引き抜いて駄目にしてしまったというものである。それから、「助長」は不要な力を添えて、かえって害になるという意味で使われるようになったのである。
 そのような理由から、『日国』の「助長」で引用している唯一の古典例『山鹿語類』(1665年)も、「不義の機以て助長せしむるなり」と「不義」というマイナスの事柄に対して使っている。『山鹿語類』は、儒者で兵学者だった山鹿素行(やまがそこう)の談話を門人が編さんしたものである。
 ところが、『日国』の「助長」で引用されている明治以降の4例のうち、冒頭の「生活保護法」を含めた3例は、プラスの意味で使っている。助長する対象は、内田魯庵(うちだろあん)の評論『戦後の文学』(1895年)では「文明の進歩」だし、長塚節(ながつかたかし)の小説『土』(1910年)では「天性」である。私の勝手な印象なのかもしれないが、法律では「助長」をプラスの意味で使っているケースの方が多い気がする。例えば、『学校教育法』(1947年)には、「幼稚園は、〈略〉その心身の発達を助長する」(77条)などとあるからだ。法律では従来なかった意味を積極的に認めたということなのだろうか。いずれにしても、これらは本来の「助長」の意味からすると、誤用とはいえないまでも新しい意味ということになる。「助」と「長」なので、プラスの意味だと感じるのは無理からぬことなのだ。
 『日国』で引用している近代のマイナスの意味の例は、法学者末川博(すえかわひろし)のエッセー『彼の歩んだ道』(1965年)で、「健康についての不安」である。もちろん、マイナスの意味の使用例がこれしかなかったということではない。
 各辞書を引き比べてみると、この語の扱いの違いは顕著である。『日国』のように、「好ましくない傾向をいっそう強めること。転じて、物事の成長発展に外から力をそえること。」といったように、本来はマイナスの意味だったことを強調しているものもあるし、『日国』の語釈の後半部分だけを載せ、特にマイナスの意味については触れていないものもある。
 私は『日国』の語釈こそ正しいと思っているわけではないが、用例から判断して、今はプラスの意味でも使われることを書くべきだと思っている。ただ、この語の本来の意味となった故事も含めて、意味が変遷した語であることもどこかで触れてもいいのではないかと考えている。

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 第430回で「収束」と「終息」について書いたのだが、「収束」について、『日本国語大辞典(日国)』がらみで補足したいことがある。といっても、辞書編集者の勝手な想像、いやむしろ妄想に近い話かもしれない。それでもよろしければ、お付き合いいただきたい。
 『日国』に引用されている「収束」の、「おさまりのつくこと。決着がつくこと。」という意味の用例は、夏目漱石の『道草』(1915年)だということはそのときに書いた。その例に関して問題はないのだが、疑問が二つある。一つは、なぜ『日国』では、この意味の例は『道草』だけなのかということ。もう一つは、『道草』以前の例が実際になかったとして、漱石はなぜ「収束」を「おさまりのつくこと」の意味で使ったのかということである。
 最初の疑問は、疑問といえるほどのものではないかもしれない。わざわざ『日国』に載せるような「収束」の適切な例が、『道草』以前も以後もなかっただけなのだろうから。
 二つめの疑問はどうだろう。この意味での「収束」の例は、『道草』例が現時点ではもっとも古いことになる。今後、これよりも古い用例が見つかる可能性もあるが、『道草』以前の例がないのは、「収束」がこの意味で使われるようになったのは、漱石がかかわっていたからだと考えることはできないだろうか。
 そこで、漱石が『道草』以外の作品で「収束」を使っていないか、改めて探索してみることにした。だが、残念ながら代表的な小説やエッセーからは見つからない。そのときふと思いついたのが、『文学論』である。『文学論』は、漱石が1903~05年に東京帝大英文科で行った講義内容に加筆訂正したものである。内容はかなり難解で、ひとことで説明するなら、「文学的内容の形式」を「焦点的印象又は観念」を意味する F と「これに附着する情緒」を意味する f が結合した「F+f」からなるものとして、その多様な組み合わせを論じたものである。この講義を行うに当たって、漱石は科学関係の書物をかなり読み込んだらしい。
 私が漱石の『文学論』に目をつけたのは、いささかわけがある。「収束」のおさまりがつくという意味は、数学の、ある値に限りなく近づくことという意味や、光学で多くの光線が一点に集まるこという意味から来ているのではないかと思ったからだ。『文学論』のために漱石が科学関係の本を読み込んでいたのなら、ありえるのではないかと。すると案の定「収束」は使われていた。私は、比較的近いところで2か所見つけたのだが、一つはこんな例である。

 「他の小説にあっては観察をうくる事物人物が発展し収束し得るが故に読者は之を以て興味の中枢とするを得べきも」(第四編・第八章)

難解な文章だが、おさまりがつくという意味の例だと考えて間違いなさそうだ。そしてこの例が、『日国』としても『道草』よりも古い例として引用できる。
 それともう一つ、こじつけかもしれないが『文学論』には興味深いことがある。『道草』との関係である。『道草』は『文学論』のほぼ10年後に書かれたのだ、主人公健三は漱石自身と思われ、おのれの研究に心血をそそいでいた人物として描かれている。それは『道草』の内容からすると、ちょうど『文学論』の時代と重なっていそうなのである。だとすると、どちらにも「収束」が使われていたのは、ただの偶然ではないような気がするのだ。
 今のところ状況証拠しかないが、今後もし、おさまりがつくという意味で「収束」を初めて使ったのは漱石だということが解明されれば、これほど喜ばしいことはない。でも、私の単なる妄想でしかなく、最初に使ったのは他の人だったとしても、それはそれですごい発見だと思う。そう思うのは辞書編集者だけかもしれないが。

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 おかしなタイトルだが、日本ではいつ頃からbaseball(ベースボール)を「野球」と言うようになったのかという話である。コロナ禍で開幕が遅れていたプロ野球も、無観客ではあるが開幕できそうだというので、一ファンとしてこんな文章を書いてみた。と言っても、『日本国語大辞典(日国)』にかかわる話なのだが。
 その『日国』だが、「野球」の項目で引用している一番古い例は、押川春浪の『海底軍艦』(1900年)である。ところが、同項目の語誌欄を見ると、「明治二六(一八九三)年頃に一高ベースボール部の中馬庚らが『野球』の語を考え出し、同部史(明治二八年)の表題として用いた。」と書かれている。それなら、なぜ中馬の書いたものから「野球」の用例を探さなかったのだろうかという、ほとんど自分へのツッコミのような疑問を感じたのである。
 中馬というのは当時東京帝大の学生で後に教育者になった中馬庚(ちゅうまかのえ・ちゅうまんのかのえ)のことで、彼は1897年には野球指導書『野球』を著わしている。だったら、間違いなくこの本に「野球」の使用例があるはずだと思って探してみると、拍子抜けするくらいすぐに見つかった。この本は現在、国立国会図書館のデジタルコレクションで読むことができるのである。
 『日国』第2版の編纂当時、国会図書館のデジタルコレクションはまだ未公開だったから、この本を探せなかったと言ってしまえばそれまでなのだが、中馬のことがわかっていたのなら、なぜもっと踏み込んで用例を探さなかったのだろうかと、当事者として忸怩たるものがある。
 その『野球』で、中馬は序言の冒頭で以下のように述べている。

「昨年来野球ノ名都鄙ニ喧伝スルモ未タ其実ヲ知ラサル者多キヲ憾ミ不文ヲ顧ミスシテ此稿ヲ起セリ」

さらに「野球ノ大要」として、

「此技ハ北米合衆国ノ国技ニシテ彼ニアッテハBase Ball ト称シ我ニアッテハ明治二十六年四月以来第一高等中学校ニ於テ其野外ノ遊戯ナルヲ以テ庭球(ローンテニス 筆者注ルビ)ニ対シテ野球ト命名セルヨリ原名ト併用セラルルニ至レリ」

と書いている。もう立派な(?)「野球」の用例ではないか。しかも、「野球」という語を広めようとしてそれほど経っていないこと、「ベースボール」という名称と併用されているということもわかる。現在の『海底軍艦』よりもわずか3年しか遡れないにしても、改訂版では増補できそうだ。辞書編集者にとって(私だけかもしれないが)、数年でもそのことばのさらに古い用例を見つける喜びにまさる喜びはない。
 ところで、この『野球』の例を増補したとしても、今まであった『海底軍艦』の例も捨てがたい。作者の押川春浪は軍事冒険小説を数多く書いた作家である。『海底軍艦』は、海賊船に船を沈められた「私」と浜島日出雄少年が、インド洋の南方にある無人島に漂着するのだが、その島では日本海軍の桜木海軍大佐が秘密裏に海底戦闘艇を建造していたというストーリーである。そしてこの島ではなぜか野球が盛んだったのだ。『海底軍監』はナショナリズム色の濃い作品だが、明治大正の子どもたちは盛んに愛読したらしい。そういう作品に本来のストーリーとは関係なく野球の話が登場するというのは、野球という用語が瞬く間に広まり、子どもこぞって野球をやり始めていたことがわかる。この『海底軍艦』の「野球」の例の面白さは、そこにあると思う。

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