家の近所で車を運転していたときに、前を走るミニバンの後ろに書かれた文字をよく見たら、「国酒」と書かれていた。それは酒屋さんの車だったので、別に不思議ではないのだが、ふだんほとんど目にすることのない「国酒」という語のことを、久しぶりに思い出した。
 「国酒」とは、ご想像の通り、日本の酒、つまり日本酒、泡盛を含む焼酎などのことをいう。ミニバンには「国酒」と表記されていたが、正式には「国」は旧字体の「國」を使う。2012年(平成24年)に「ENJOY JAPANESE KOKUSHU(國酒を楽しもう)」プロジェクト」として、時の国家戦略担当大臣によって発表されたものである。ただ、「國酒」という語自体は、1980年に急逝した大平正芳元首相が使った語らしい。ふつうの辞書には載っていない語で、『日本国語大辞典(日国)』にも「くにざけ(国酒)」は立項されているが、それは地酒のことで、意味が異なる。
 日本で生まれた酒を「日本酒」とは呼ばずに「國酒」と呼んだのは、すでに「日本酒」が「清酒」だけを意味し、さらに「焼酎」を「日本酒」とはいわないからだろう。「和酒」という選択肢もあったような気がするが、なぜそうならなかったのか、いささか興味がある。「國酒」がダメだということではないが。
 日本で生まれた酒類の呼び名は、考えてみればおもしろい。主なものは「清酒」「焼酎」「泡盛」「どぶろく」があるが、「清酒」だけ、「日本酒」と呼ばれるようになった。
 「清酒」が「日本酒」と呼ばれるようになったのは、ヨーロッパやアメリカから渡来した「洋酒」が日本に入ってきたときに、「清酒」が日本の酒を代表すると考えられたからだろう。『日国』で引用している「日本酒」の最も古い例は、明治時代になってからの坪内逍遙『内地雑居未来之夢』(1886年)の以下のものである。

 「日本酒(ニホンシュ)改良の一事是なり」(三)

この例によって、「洋酒」に対する「日本酒」という語が生まれたわけではないだろうが、「清酒」が「日本酒」となる時期は、この前後と考えて間違いなさそうだ。
 ちなみに「清酒」は、「濁り酒」に対する語で、漉(こ)した酒、すんだ酒という意味である。
 「洋酒」という語も、使われるようになったのは明治時代になってからで、たとえば『日国』には、次のような例が引用されている。

*西洋道中膝栗毛〔1870~76〕〈仮名垣魯文〉八・下「ビイルでも呑べし呑べし とこれより三人うちまとひてさきにととのへをきたる牛肉をさかなに洋酒をのむことありとしるべし」

いかにも文明開化という気分の例だが、ここでは「ビイル」も「洋酒」としていて、これは異論のあるところかもしれない。通常「洋酒」という場合、蒸留してつくるウイスキーやブランデー、あるいはスピリッツ類のようにアルコール分の強い酒をさすことが多いからである。私も、語感としてはそれである。
 いずれにしても、「洋酒」に対して「清酒」を「日本酒」と呼んでしまったために、同じ日本の酒なのに、焼酎類はいささか割を食ってしまったということなのかもしれない。それを救済するために「國酒」という語が作られたのだろうが、残念ながらいまだほとんど認知されていないようだ。
 現時点では、「國酒」を載せる辞書は無いだろうなと、その晩も日本酒を飲みながら考えた。

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 季語は、俳句などで、四季それぞれの季節感を表すために、句によみこむ語のことである。季題とも呼ばれるが、『日本国語大辞典(日国)』によれば、季語は「短歌雑誌『アカネ』で明治四一年に大須賀乙字が用いたのが最初」(「季語」の語誌)らしい。
 国語辞典の中には、見出し語が季語だった場合、語釈の最後に、その語が季語であるという表示と、新年・春・夏・秋・冬の別を示しているものがある。だがその逆はなく、季語だからといって、見出し語にしていないものも多い。そのため、季語を集めた歳時記には載っていても、国語辞典の見出し語にはなっていない語もけっこうある。
 そんな季語の一つといえそうな、「かむり雪」という季語を最近知った。「かむり」というのは「冠」と書くようで、すべて漢字で書くと「冠雪」になる。「初冠雪」などというときの「冠雪(かんせつ)」で、何かにかぶさるように積もった雪のことをいう。この「冠雪」は当然のことながら、通常の国語辞典に立項されている。ただしこの語は季語ではない。
 そこで「冠」を「かむり」と読ませて、「かむり雪」という季語が作られたのかもしれない。素人考えだが。
 「冠」という漢字は、「かんむり」「かむり」などと読める。「かむり」と読めば、「ゆき」と合わせて5音になっておさまりがいいので、「かむりゆき」と読ませるようになったのだろうか。しかも同じ「冠雪」と書いても、「かんせつ」と「かむりゆき」とでは、漢語、和語の違いからかもしれないが、受ける印象もかなり異なる。前者は気象用語のようで、積もる雪も山頂などの大規模なものをいいそうだし、後者は、樹木の枝や電柱、門柱、塀など、比較的少量で積もった雪をいいそうだ。
 ただ、この「かむり雪」だが、主要な歳時記でこの語を載せているのは、私が調べた限りでは、『カラー図説日本大歳時記』(1981年 講談社)しかない。そこには、「門柱・電柱などに積もって大きく松茸状になると冠雪(かむりゆき)、または雪冠(ゆきかむり)と言う」と説明されている。「雪冠(ゆきかむり)」も季語なのだろう。ただし、どちらの語も例句は示されていない。
 勝手な想像だが、「かむり雪」は比較的最近作られた季語なのかもしれない。そして、「かむり雪」を使った句は存在するものの、歳時記に載せられるものではなかったという事情があったのかもしれない。
 「かむり雪」は俳句の素養のない私でもいいことばだと思うので、できれば『日国』にも載せたいと思う。ただ、例句がないうえに、今のところ一般にも使われていないようなので、現時点では載せにくい。
 もっとも、たとえ例句があったとしても、すぐに載せるわけにはいかないかもしれない。というのも、俳句の例をどこまで辞書の用例として採用するか、実ははっきりとした決まりがないため、著名な俳人の作以外は載せにくいということがあるからである。このことは、辞書の用例をどこまで広げるかということにもかかわる問題で、たとえば、ブログやSNSなどの書き込みは、用例には採用していないのと同じである。
 「かむり雪」を使った、著名な俳人の句をご存じなら、ぜひご教示いただきたい。

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 若い人に何かを頼んだとき、「かしこまりました」と返事をされることがあるのだけれどどう思うか、という質問を受けた。その人が勤めている会社の新人も、しばしばそのように答えることがあるらしく、気になったらしい。言われてみれば、私もそのようなメールを受け取ったことがある。そのときは、なんだか商売人か執事のようだなと思ったくらいで、大して気にもとめなかったのだが。
 質問を受けてからインターネットで調べてみると、この言い方を変だと思っている人がけっこういることがわかった。変だというのは、語自体がおかしいということではなく、使われ方や使う場としてどうかということのようである。
 ことばのマナーについて、辞書編集者の私があれこれ述べることではないが、いい機会なので、「かしこまりました」という語について少し考えてみた。
 そもそも、「かしこまりました」とはどういう表現なのだろうか。
 「かしこまる」は、『日本国語大辞典(日国)』によれば、「相手の威厳に押されたり、自分に弱点があったりして、おそれ入る。おそれつつしむ」という意味で、これが「つつしんで命令を受ける。つつしんで承諾するの気持を表わす」という意味に派生していったようである。
 では、「かしこまりました」はどうかというと、『日国』では「(つつしんで言いつけをお受けする意から)相手を高めて、「承知した」「わかった」という意を、ていねいに表わす挨拶のことば」と説明されている。
 そして、江戸時代の例を3例、近代例を1例引用している。これらの例について詳しく述べる余裕はないが、江戸の3例は、咄本『百登瓢覃』(1701年)、滑稽本『東海道中膝栗毛』(1802~09年)、人情本『春色恵の花』(1836年)からのもので、いずれも商売人や配下の者が謹んで言いつけをお受けするという意味で使っている例である。
 近代例は、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905~06)からのものである。

 「『君から今一応本人の性行学才等をよく聞いて貰ひたいて』『かしこまりました』」(四)

引用文の中で「かしこまりました」と言っているのは、吾輩(猫)の飼い主である苦沙弥先生の学生時代の同級生、鈴木である。鈴木は先生の近所に住む金田という実業家の腰巾着のようになっていて、金田から先生の「性行学才」を探るように言われて、そのように返事をしたのである。金田は自分の娘と苦沙弥先生の弟子の水島寒月とを結婚させたいと思っていたのだが、先生は金田を毛嫌いしていたため、反対していたのである。このような人間関係を考えると、鈴木が使った「かしこまりました」は、やや卑屈な感じがしないでもない。
 『日国』で引用している用例がすべてだとは言わないが、「かしこまりました」はどうしても、商売人や、使用人が使うことばだという印象を受けてしまうのではないだろうか。
 2011年に本屋大賞を受賞した東川篤哉の小説『謎解きはディナーのあとで』でも、主人公のお嬢様刑事に何か言われて「かしこまりました」と答えるのは、景山という執事だった。
 目上やお客などに「かしこまりました」を使って悪いということはないが、通常はそこまでへりくだらずに、「了解しました」「承知しました」「承りました」を使えばいいのではないかと思うのである。

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 タイトルにある、「まげな」の意味がすぐにわかったというかたはいるだろうか。実は、私はすぐにはわからなかった。仕事で出かけた島根県邑南町で、お昼に食べたお弁当に添えられた紙に、以下のように書かれていたのである。

 「梅雨の晴れ間にジャガイモを掘ってみました。まげなのがゴロゴロ出てきたので、粉吹きいもにしてみました」

 「ま」はわからなかったが、「げ」は形容動詞の語幹をつくる「げ」だということは見当が付いた。どうもそれらしい様子であるという意味を表す、「心細げ」「はずかしげ」などの「げ」と同じだろうと。だが、どうしても「ま」がわからない。前後から、「大きい」とか「おいしそうな」とかいった意味なのではないかと、勝手に想像するしかなかった。
 帰宅してからあれこれ考えて、「ま」はひょっとすると「うま」の変化した語ではないかと思い至った。『日本方言大辞典』を引いてみると、確かに「うまげ」が立項されている。そして、「うまそうなさま。おいしそうなさま」という意味に、異形として《まげ》 があり、分布地域は鳥取県西伯郡、島根県とあるではないか。
 「まげなジャガイモ」はおいしそうなジャガイモという意味だったんだと、ようやくすっきりできた。『日本方言大辞典』によれば、島根で使われる《まげ》には、りっぱなさま、みごとなさま、巧みなさま、じょうずなさまという意味もあるようだ。
 さらに『日本国語大辞典(日国)』で「うまげ」を引いてみると、「形容詞『うまし』の語幹に接尾語『げ』の付いたもの」と説明されている。そして、『蜻蛉日記(かげろうにっき)』と、『今昔物語集』といった、平安時代の2つの例が引用されている。このうちの『今昔物語集』の例がちょっとホラーである。『日国』で引用されているのは以下の例だ。

*今昔物語集〔1120頃か〕二七・一五「彼の嫗(おうな)も、子を穴(あな)甘気(うまげ)、只一口と云けるは、定めて鬼などにてこそは有けめ」

簡単に説明すると、ある屋敷に仕える身寄りのない若い女性が、父なし子をはらんで困り果て、古びた山荘で出産しようとすると、家主の老婆が出産と逗留まで許してくれたのだが、その老婆は鬼だったという話である。その老婆が赤ん坊を見て、「なんとうまそうな、ただの一口だ」と言ったというのである。この「うまげ」という語は、現在ではほとんど使われることはないが、方言には残っていたわけである。このように、古い時代に使われていた語が方言に残っているというのは、とてもおもしろいと思う。
 なお『今昔』の結末だが、赤ん坊を鬼に食べられそうになった女性は、鬼が寝ている間に逃げ出して難を逃れ、無事主人の家に戻ることができた。赤ん坊はというと、人に預けて養ってもらったと書かれていて、なかなか描写が細かい。
 ちなみに、邑南町で私が食べたお弁当は、「銭宝(ぜにほう)キッチン」というところで調理したものだった。銭宝は邑南町内の布施という中山間地域の別名のようで、そこの自治会が始めた配食サービスのお弁当だったらしい。粉ふきいもだけでなく、他のおかずもみな、“まげな”お弁当であった。

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 今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」で、少しだけ話題になった語がある。「おかしろい」という語で、後に江戸幕府15代将軍となる一橋慶喜の側近、平岡円四郎が口癖のように使っていた。円四郎は江戸っ子なので、「おかしれぇ」と江戸弁風に言っていた。
 この「おかしろい」だが、江戸庶民が使っていた江戸ことばだと説明しているものをけっこう見かける。だが、辞書編集者としてはこれに対していささか疑問がある。
 確かに「おかしろい」は、『日本国語大辞典(日国)』にも、『江戸語大辞典』(前田勇編 1974年)にも立項されている。いずれも、「おかしい」と「おもしろい」を合わせて作った語だと説明されているのだが、そこで引用されている用例は、『七偏人(しちへんじん)』の例しかないのである。『七偏人』は梅亭金鵞(ばいていきんが)作の滑稽本で、角書に「妙竹林話」とある。内容は、「江戸の遊び仲間七人が、半可通の大愚をだしに、茶番やいたずらの趣向を競い合って日を送るさまを、四季にわたって描いたもの」(『日国』)である。
 その『七偏人』から『日国』は以下の例を引用している。

*滑稽本・七偏人〔1857~63〕二・上「出かした出かしたでは可笑(ヲカシ)ろくねへ」

 「可笑」の読みが「ヲカシ」とカタカナになっているのは、用例の底本にそのような振り仮名があることを示している。また、『江戸語大辞典』で引用している用例は、『日国』で引用した部分の少し前にある。このような例だ。

 「フムウなかなかをかしろさうだはへ」(二・上)

 実は『七偏人』には、『日国』や『江戸語大辞典』では引用されていない「おかしろい」の例がもう一つある。

 「ナンノお(ママ)かしろくもねへ悪(わり)い洒落(しゃらく)だ」(二・中)

 以上の3つの例が『七偏人』で使われている「おかしろい(をかしろい)」のすべてかどうか、全編を通して探してはいないのでわからない。だが、「おかしろい」は、現時点では『七偏人』以外に用例が見つかっていないことだけは確かなのである。もちろん、今後、他の文献からの例が見つかる可能性は否定できないが。
 辞書編集者としては、たとえ複数回使われていたとしても、『七偏人』の例だけで、江戸っ子が「おかしれぇ」と頻繁に言っていたとは思えないのである。『江戸語大辞典』に立項されているが、それは『日国』同様、江戸時代の用例があったから見出し語としただけだと思う。だから、どちらも江戸ことばだとはひと言も述べていない。『七偏人』の作者の造語という可能性もあるからだ。
 もちろん、大河ドラマの台詞の中で「おかしろい」を使ってはいけないと言っているわけではない。似ていることばを合体させることば遊び的なことは、いつの時代でもやることなので、おもしろいことばをよくぞ見つけたと思う。ただ、それが江戸ことばだと説明されると、戸惑いを禁じ得ないのである。

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