日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 「栃尾のあぶらげ」というのをご存じだろうか。栃尾とは新潟県長岡市の地名だが、ここの「あぶらげ」は通常のものよりも大きく、長さは20センチほど、厚さも3センチもある。生揚げ(厚揚げ)と見まがうほどの「あぶらげ」である。だが、味や風味はまぎれもなく「あぶらげ」で、中に納豆やネギ味噌を挟んで焼いて食べることが多いのだが、私はただ焼いたものに刻みネギとおろし生姜で醤油をかけるシンプルな食べ方が好きである。
 と、今回は日本語とはまったく関係のない食べ物の話で始めてしまったのだが、「栃尾のあぶらげ」は「あぶらあげ」ではなく「あぶらげ」と呼ばれていることに注目してほしかったのである。
 「あぶらげ」は漢字で書くと「油揚」。今でこそ薄く切った豆腐を油で揚げたものを言うが、元来は野菜、魚肉などを油で揚げたものの総称である。そしてそもそもの呼び方は「あぶらあげ」である。豆腐の「あぶらあげ」が生まれたのは江戸時代になってからで、『日本国語大辞典』によれば「あぶらあげ」が「あぶらげ」に変化するのは江戸中期頃と思われる。
 「あぶらあげ」の発音はaburaage だが、この中のaという母音が連続するのを嫌ってaburageという形を生み出したものと考えられる。連続する母音の一方が脱落するのは、話しことばに多く見られ、たとえば「たいいく(体育)」taiikuのiが脱落して、「たいく」と言ってしまうのもそれである。
 「あぶらげ」はほとんど市民権を得ていると言ってもよく、国語辞典でも「あぶらあげ」「あぶらげ」ともに見出し語にしている。NHKのアクセント辞典も「アブラアゲ」とともに「アブラゲ」のアクセントも載せているので、アナウンサーが「あぶらげ」と言うこともあるのであろう。ただし新聞は、「油揚げ」という表記を示しているだけである(時事通信社『用字用語ブック』など)。新聞の場合は声に出して読まれるということは想定していないからなのだろうが、意識としては「あぶらあげ」「あぶらげ」どちらなのだろうかと、つい余計なことを考えてしまう。

神永さんの著書『悩ましい国語辞典』の文章がラジオで朗読されます!
「日本語、どうでしょう?」の記事がもとになった神永さん初の著書『悩ましい国語辞典―辞書編集者だけが知っていることばの深層―』がラジオ日本の番組「わたしの図書室」で朗読されます。日本テレビの井田由美アナウンサーが朗読を担当。井田アナの美声で、神永さんの文章がどう読まれるのか、こうご期待!
○ラジオ日本 6月23日(木)&30日(木)23:30~24:00
○四国放送 6月25日(土)&7月2日(土)5:00~5:30
○西日本放送 6月26日(日)&7月3日(日)23:00~23:30!
くわしくはこちら→http://www.jorf.co.jp/?program=toshoshitsu


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 「あんな負けず嫌いな人はいないね」などと言うときの「負けず嫌い」だが、よくよく考えてみるとおかしな言い方だと思ったことはないだろうか。「負けず」と打ち消しの形なのだから「負けないのが嫌い」ということで、「負けるのが好き」という反対の意味になってしまうのではないかと。
 国語辞典ではふつう「負けず嫌い」は、「負け嫌い」「負けじ魂」などの混交かとしているものが多い。確かに、「負け嫌い」という語は江戸時代から存在することが『日本国語大辞典』(『日国』)で確認できる。ただしその『詞葉新雅(しようしんが)』(1792年)という江戸時代の辞書の例は、「マケギライ 物ねたみする人」とあり、意味が若干異なるのだが。夏目漱石も、小説『坊っちゃん』(1906年)の中で、「山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌な大きな声を出す」と使っている。
 一方、「負けじ魂」は、他人に負けてはならないと奮い立つ気持ちのことだが、面白いことに「負けず魂」という例もある。
 だが、この国語辞典では主流とも言える「負けず嫌い」の「負け嫌い」「負けじ魂」混交説に異を唱えた方がいらっしゃる。
 『日本語とタミル語』で有名な日本語学者の故大野晋氏である。氏は、「負けず嫌い」の「ず」は打ち消しの助動詞ではなく、意思を表す文語表現「むとす」が「むず」→「うず」→「んず」と変化し、江戸時代になって成立した「ず」であるとしたのである(『大野晋の日本語相談』)。
 この「ず」は意志や推量の意で、たとえば、江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』(1814年)にある「すいた男に添せずとおもひきはめ」の「添せず」の「ず」がそれである。この場合は「添わせよう」という意味の駿河方言である。大野氏は、この「ず」はさらに中部地方や関東地方の一部、島根県にも方言として残っているとしている。
 この「ず」だと考えると、「負けず嫌い」は「負けようとすることが嫌い」、つまり「負けるのが嫌い」ということになりそうである。
 もちろん私にはこの大野説の適否を云々できる見識も知識もないし資格もないのだが、『日国』を見る限り、「負けず嫌い」の江戸時代の例は見当たらず、現時点の初出の例が中勘助の小説『銀の匙』(1913〜15)の「負けずぎらひの私とくやしがりのお薫ちゃんとのあひだには」と、かなり新しい点がいささか気になっている。
 いずれにしても「負けず嫌い」は確かに不思議な言い方ではあるが、ふつうに定着している言い方ではあるので、もちろん間違った言い方ということはできないであろう。

神永さんの著書『悩ましい国語辞典』の文章がラジオで朗読されます!
「日本語、どうでしょう?」の記事がもとになった神永さん初の著書『悩ましい国語辞典―辞書編集者だけが知っていることばの深層―』がラジオ日本の番組「わたしの図書室」で朗読されます。日本テレビの井田由美アナウンサーが朗読を担当。井田アナの美声で、神永さんの文章がどう読まれるのか、こうご期待!
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 当たり前なことではあるが、国語辞典には、名詞や動詞、形容詞、形容動詞、副詞だけでなく、助詞や助動詞と言った付属語と呼ばれる語も載せられる。しかも、こうした付属語は意味が多様なため、大項目(解説の行数が多い)となることが少なくない。だが、一般の読者がこのような語を引いてみようと思うのはどのようなときなのであろうか。あるいは、知りたいと思うことをすぐに探しだせているのであろうか。
 なぜそのようなことを言うのかというと、辞書はその語のほとんどの意味を網羅することが使命ではあるが、一般の人が知りたいと思っていることは、実際には辞書に載せられたものの中のごく一部なのではないだろうかと思っているからである。しかもその知りたいと思っていることは共通していて、かなり絞り込めるのではないかと思っているからなのである。

 たとえば、「まい」という助動詞がある。「まさかそのようなことはあるまい」のように「……ないだろう」という打ち消しの推量を表したり、「やつとは二度と会うまい」のように「……しないつもりだ」のように打ち消しの意志を表したりする。
 もちろんこの語を辞書で引いてみようと思う人は、詳しい意味分けを知りたいということもあるであろう。だがそれ以上に、この語が付く動詞の活用形を知りたいという人のほうが多いのではないかという気がするのである。
 「まい」は、五段活用の動詞の場合は終止形に付くのだが(「言うまい」「書くまい」など)、それ以外の動詞には未然形に付く。従って、「見まい」「しまい」「来(こ)まい」「考えまい」などが本来の言い方だとされる。
 しかし実際には、五段活用以外の語でも終止形に付く例がしばしば見られるようになっているのである。たとえば「見るまい」「するまい(「すまい」とも)」「来るまい」「考えるまい」などである。
 そのようなこともあって、放送では、「すまい」「するまい」「来るまい」「見るまい」「考えるまい」も許容としている。ただ、現代語としてはこの「まい」は次第に使われなくなっており、「…ないだろう(つもりだ)」などように言い換えるケースも増えている。

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 人類はいったいいつごろから頭痛に悩まされるようになったのであろうか。人間以外の動物は頭痛を起こすことがあるのだろうか。子どものころ頭痛持ちだったせいもあって、よくそんなことを考えた。
 頭痛は間違いなく文字が生まれる以前から人類を苦しめていたのであろうが、それが文献に現れるのは、『日本国語大辞典』(『日国』)によると、日本では平安時代後期に成立した説話集『今昔物語集』からである。
 「頭痛すと云て聊(いささか)に悩む」(巻15・32)という例である。頭痛がすると言ってちょっと床についた、といった意味で、おそらく今でもそうした場面は多いであろう。
 頭痛は、その原因となるものもさまざまで、また、頭部のいろいろな部分でおこる。特に発作的に頭部の片側におこり、周期性を示す頭痛を「偏頭痛」と言うが、このことばも意外なことにけっこう古くからあることばなのである。
 やはり『日国』には、もっとも古い例として室町時代の1530年に成立した『清原国賢書写本荘子抄』にある「偏はかたかたぞ。偏頭痛。正頭痛」という例文が引用されている。この『清原国賢書写本荘子抄』は、室町後期の漢学者で国学者でもあった清原宣賢(きよはらののぶかた)が漢籍の『荘子』を講義した際の筆記録で、それをのちに清原国賢(きよはらのくにかた)という人が筆写したものである。
 どうやら偏頭痛も古くから人を悩ませていたらしい。

 ところで、『清原国賢書写本荘子抄』では「偏頭痛」と表記されており、このコラムのタイトルも「偏頭痛」としているのだが、「片頭痛」と表記する方が正しいのではないかと思われた方もいらっしゃるのではないだろうか。
 実際、現在では新聞などでも「片頭痛」と書かれることのほうが多い。というのは、文部科学省が定めた『学術用語集(心理学編)』では「片頭痛」と表記しているからである。
 国語辞典では、今のところ「偏頭痛」「片頭痛」の両方の表記を示しているものが多い。だが、『日国』のような伝統的な表記による用例を引用している辞典は別にして、やがては新しい表記の「片頭痛」が優勢になっていくのかもしれない。「偏頭痛」と書いたほうが、このような頭痛の性質を的確に表しているような気がしないでもないのだが。

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 「遺言」は「ゆいごん」と読むことが多いのだが、不思議な読みだと思ったことはないだろうか。「遺」は、ふつうは「い」と読むことが多く、「遺書」「遺産」はすべて「いしょ」「いさん」と読み、少なくとも現代語では「ゆいしょ」「ゆいさん」と読むことはない。ところが、この「遺言」を「いごん」と読んでいるのをお聞きになったことはあるかもしれない。法律用語としては慣用で「いごん」と読んでいるのである。
 そもそも「ゆい」は「遺」の呉音で、一般に読まれることの多い「い」は漢音である。「遺」を「ゆい」と読むのは、呉音は仏教関係の語の読みとなることが多いので仏教語には見られるが、一般語としては今では「遺言」だけであろう。一方、「言」の字音は「げん」が漢音、「ごん」が呉音である。つまり、「ゆいごん」は呉音読みなのである。
 「遺言」の確実な読みが確認できるのは、室町時代の辞書なのだが、その中の一つ、室町時代中期に成立した『文明本節用集』には「遺言 ユイゴン」とある。ところが、ほぼ同時代の国語辞書『運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)』(1548年)には、呉音と漢音を組み合わせた「ゆいげん」の形も見える。さらには、辞書ではないが江戸時代には「いげん」と漢音で読んだものも見られる。
 なんだかややこしくなって恐縮なのだが、要するに「ゆいごん」「ゆいげん」「いげん」の3つの読みが併用されていた時期があったと考えられるのである。ただし、それらがまったく同じレベルで使われていたかどうかはよくわからない。
 現在、法律用語として使われる「いごん」は、一般的な読み読みである「ゆいごん」をもとに、「遺」の読み方としてはふつうな漢音のイを組み合わせて作られた新しい言い方だと思われる。それが使われ始めた時期は特定できないが、明治末年頃と推定されている。

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