第261回
昔の人は「はは(母)」をどう発音したか?
2015年05月11日
前回「おかあさん」という語について書いたのだが、それを読んでくれた友人から、続きを書きたくなるような内容のメールをもらった。彼が中学時代に通っていた英語塾の先生が、古いなぞなぞに「母には二度あうけれども父には一度もあわない」というのがあり、答えは「唇(くちびる)」であることから、古くは「はは(haha)」は「fafa」と発音されていたことがわかると教えてくれたのだというのである。
前回は「ハハ」が古くは「ハワ」と発音されていたということには触れたのだが、主題は「おかあさん」という語についてだったので、「fafa」という発音については触れなかった。だが、それはそれで結構面白い話なので、蛇足を述べておこうと思う。
英語塾の先生が紹介したというなぞなぞは、室町時代に成立した『後奈良院御撰何曾(ごならいんぎょせんなぞ)』(1516年)という書物に出てくる。「母には二たびあひたれども父には一度もあはず くちびる」というものである。後奈良院は後奈良天皇のことで、在位した大永6年(1526)~弘治3年(1557)は、まさに戦国時代の真っただ中である。『後奈良院御撰何曾』は古くから伝わるなぞなぞを集めたものだと言われている。
だが、この「母には二たびあひたれども……」のなぞなぞの答えがなぜ「くちびる」になるのか、長い間理由がわからなかったらしい。
江戸時代後期の国学者で、紀州侯に仕えた本居内遠(もとおりうちとお)は、このなぞなぞを、「母は歯々の意、父は乳の意にて上唇と下歯、下唇と上歯とあふは二度なり。我乳はわが唇のとどかぬ物なれば、一度もあはぬ意にて唇と解たるなり。是ら変じたる体の何曾(なぞ)にていとおもしろし」(『後奈良院御撰何曾之解』)と解いている。
つまり「母」は「歯歯」で、上歯と下唇、下歯と上唇はそれぞれ2度接すると考えたのである。「父」の方が傑作で、「父」は「乳」で、自分の体の乳には自分の唇は届かないというのである。他人の乳だと唇を触れさせることができるが、自分の乳だとそれは無理だなどとまじめに考えている姿を想像するとちょっとおかしい。もちろんかなり強引な解ではあるのだが。
このなぞなぞを音韻史と結びつけて考察したのが、『広辞苑』の編者として著名な新村出(しんむらいずる)である(『波行軽唇音沿革考』1928年)。
その根拠となったのは、たとえば『日本国語大辞典』(『日国』)にも、「ハ行子音は、語頭ではp→Φ→h、語中ではp→Φ→wと音韻変化したとされる(Φは両唇摩擦音。Fとも書く)。」という説である。つまり、「はは」はpapa →ΦaΦa(fafa)→Φawa (fawa) →hawa と変化したというのである。
上下の唇を接触させて発音される両唇摩擦音が重なるΦaΦa(fafa)なら唇は確かに二度会うことになり、「チチ(父)」という語の発音では唇が一度も接することはないので、なぞなぞの答えは「唇」ということになる。ただし、後奈良天皇の時代にはΦawa (fawa)という発音も広まっていたので、その場合唇が二度出会うと言えるのかどうか疑問だとする立場もなくはない。
このなぞなぞは大学の日本語史の講義の中で、日本語の発音の変遷について言及するときにしばしば紹介されるものである。おもしろい内容なので、一般の方が知っていても損はない話だと思う。
前回は「ハハ」が古くは「ハワ」と発音されていたということには触れたのだが、主題は「おかあさん」という語についてだったので、「fafa」という発音については触れなかった。だが、それはそれで結構面白い話なので、蛇足を述べておこうと思う。
英語塾の先生が紹介したというなぞなぞは、室町時代に成立した『後奈良院御撰何曾(ごならいんぎょせんなぞ)』(1516年)という書物に出てくる。「母には二たびあひたれども父には一度もあはず くちびる」というものである。後奈良院は後奈良天皇のことで、在位した大永6年(1526)~弘治3年(1557)は、まさに戦国時代の真っただ中である。『後奈良院御撰何曾』は古くから伝わるなぞなぞを集めたものだと言われている。
だが、この「母には二たびあひたれども……」のなぞなぞの答えがなぜ「くちびる」になるのか、長い間理由がわからなかったらしい。
江戸時代後期の国学者で、紀州侯に仕えた本居内遠(もとおりうちとお)は、このなぞなぞを、「母は歯々の意、父は乳の意にて上唇と下歯、下唇と上歯とあふは二度なり。我乳はわが唇のとどかぬ物なれば、一度もあはぬ意にて唇と解たるなり。是ら変じたる体の何曾(なぞ)にていとおもしろし」(『後奈良院御撰何曾之解』)と解いている。
つまり「母」は「歯歯」で、上歯と下唇、下歯と上唇はそれぞれ2度接すると考えたのである。「父」の方が傑作で、「父」は「乳」で、自分の体の乳には自分の唇は届かないというのである。他人の乳だと唇を触れさせることができるが、自分の乳だとそれは無理だなどとまじめに考えている姿を想像するとちょっとおかしい。もちろんかなり強引な解ではあるのだが。
このなぞなぞを音韻史と結びつけて考察したのが、『広辞苑』の編者として著名な新村出(しんむらいずる)である(『波行軽唇音沿革考』1928年)。
その根拠となったのは、たとえば『日本国語大辞典』(『日国』)にも、「ハ行子音は、語頭ではp→Φ→h、語中ではp→Φ→wと音韻変化したとされる(Φは両唇摩擦音。Fとも書く)。」という説である。つまり、「はは」はpapa →ΦaΦa(fafa)→Φawa (fawa) →hawa と変化したというのである。
上下の唇を接触させて発音される両唇摩擦音が重なるΦaΦa(fafa)なら唇は確かに二度会うことになり、「チチ(父)」という語の発音では唇が一度も接することはないので、なぞなぞの答えは「唇」ということになる。ただし、後奈良天皇の時代にはΦawa (fawa)という発音も広まっていたので、その場合唇が二度出会うと言えるのかどうか疑問だとする立場もなくはない。
このなぞなぞは大学の日本語史の講義の中で、日本語の発音の変遷について言及するときにしばしば紹介されるものである。おもしろい内容なので、一般の方が知っていても損はない話だと思う。
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