都道府県および京都市凡例
秋田県の凡例
- 秋田県下の各郡・市および町・村の配列は、南から北を原則とし、歴史的・地理的関連性も配慮した。なお、市はそれぞれの旧所属郡の後に配列した。ただし、秋田市・鹿角市の場合は、歴史的内容・面積などを考慮し、市を旧所属郡の前においた。
- 各項目の現在地名表示は、町名・大字名以下では行政上も幾通りかの表示法があるため、本大系として最も妥当と思われる表記を用いた。したがって、通称名・集落名なども適宜使用した。
- 地名の読み方はその土地で通用のものに従った。複数の読み方のあるものはその旨本文で注記し、近世村名・町名と現行行政地名とが異なる場合は、項目名と現行行政地名にそれぞれ振仮名を付して判別できるようにした。なお、雄物川・米代川・羽州街道など著名な山川・道などには振仮名を付さなかった。
- 文中で頻出する史料名のうち、活字化されているものは所収刊本名を記した場合がある。ただし「秋田県史」資料編、第1期・第2期・第3期新秋田叢書に所収されているものは、所収刊本名を省いた。「梅津政景日記」は大日本古記録に所収されているものを用いた。菅江真澄の諸著作は「菅江真澄全集」を用い、題名は漢字をわかりやすい字句にあらためた。正保4年の出羽一国絵図は県立秋田図書館蔵を省略した。
- 久保田城下町・土崎湊町の各町の本家数・戸数・小間数を示す史料名は個々の項目では省略した。寛文3年は「外町屋敷間数絵図」(秋田県庁蔵)、文化期は「久保田惣町家数軒数并御町寺々湊町惣町家数神社仏閣小間等之覚手控」(県立秋田図書館蔵)、明治3年は「湊町小間銭上納高取調帳」(秋田沿革史大成)である。
- 鹿角郡・鹿角市は近世には盛岡藩に属し、陸奥国の一部であったが、小地域なので国名項目として陸奥国を立項することをせず、明治元年からの呼称である陸中国で立項した。