近世村・近世町の項目名は次の資料に基づいた。
村名――元禄13年の山城国郷帳・享保14年の山城国高八郡村名帳(山口泰弘家文書)・天保5年の天保郷帳記載の村名を検討し、江戸時代後期の村の実態を最もよく把握しうる村名を採用した。
町名――左京区・東山区・北区・上京区・中京区・下京区については、占出山町有文書の上古京拾弐組并枝町新町離町門前境内組々銘町名軒役付(文中では「上京軒役付帳」と省略)・下古京八組之分町代内分場所古町枝町并新町軒役分割帳(文中では「下京軒役分割帳」と略称)を基本とし、近世の地誌・絵図類、「京都坊目誌」(文中では「坊目誌」と省称)等を参照し、江戸時代後期の実態を最もよく反映する町名を採用した。ただし現行町名との関連から、明治初年の町名を項目名としたものも一部ある。また東山区・上京区には江戸時代、行政的には村方に属しながら実質的に町地化して多数の町名をもつ地域があり、それらは村名を立項するとともに、町名をも併せて立項した。町名項目の記述中、江戸時代の所属町組・軒役(「洛中・洛外」の項参照)は前記占出山町有文書を典拠とした。また祇園会の際に寄町が負担する「地ノ口米」(「洛中・洛外」の項参照)については「改訂近世祇園祭山鉾巡行史」(祇園祭山鉾連合会編)を典拠とした。
伏見区の町名項目は「伏見大概記」「伏見鑑」「泰平俯見御役鑑」その他の地誌・絵図類によって立項した。江戸時代の所属町組もこれらによった。