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後撰和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
『古今和歌集』に次ぐ第二の勅撰和歌集。略称「後撰集」。951年(天暦5)、村上天皇の命により昭陽舎(梨壺に撰和歌所が設けられ、別当に藤原伊尹、寄人に大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城のいわゆる「梨壺の五人」が任ぜられて
なが‐うた 【長歌・長唄】(日本国語大辞典)
和歌の一体。五音、七音の二句を三回以上続け、最後に七音を添えるもの。ちょうか。*古今和歌集〔905〜914〕雑体・一〇〇二・詞書「ふるうたたてまつりし時のもくろくのそのなかうた」*源氏物語〔1001〜14頃〕行幸「なかうたなどの心ばへあらむを、御覧ぜむには
やまと‐うた 【大和歌・倭歌】(日本国語大辞典)
わが国固有の歌。多く、唐歌(からうた)に対して和歌をいう。*古今和歌集〔905〜914〕仮名序「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」*後鳥羽院御口伝〔1212〜27頃〕「やまと哥を詠ずるならひ、昔より今にいたるまで
旋頭歌(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌体の一つ。「みじかうた」「みそひともじ」ともいう。形式は五・七・五・七・七の五句体、三十一音。五句を分けて、五・七・五の三句を上の句、七・七の二句を下の句、さらに第一句を初句・頭句・起句、第二句を胸句、第三句を腰句、第五句を結句・尾句・落句などと呼ぶ。
歌論書(国史大辞典)
歌に関して批評的文学論的見解を述べた文献。歌の定義・要素・分類・歌病などのほかに、歌に関する種々の研究、たとえば歌集の校訂・注釈・類纂および歌書の文化史的研究などをも含むものが多い。奈良時代、『万葉集』にも批評意識は散見するが、歌論書としては『歌経標式』(藤原浜成)
歌仙(国史大辞典)
古く歌泉(『万葉集』)とも。歌道において特に優れた者。のちには特定の歌人を指すに至った。『古今和歌集』序により、柿本人麻呂・山部赤人を二歌聖、在原業平・小野小町・僧正遍照・喜撰法師・文屋康秀・大伴黒主の六人を六歌仙と称した。のちに成った各種の新六歌仙・続六歌仙などと
千載和歌集(日本大百科全書・世界大百科事典)
第7番目の勅撰和歌集。藤原俊成撰。平氏都落ち直前の1183年(寿永2)2月に後白河院の下命があり、源平戦乱終息後の1187年(文治3)に形式的奏覧、翌年俊成75歳のおりに完成した。前勅撰集の『詞花集』に対しては歌壇に強い批判があり、その気運のなかから『拾遺古今』『後葉集』などの
詞花和歌集(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安朝第6番目の勅撰和歌集。10巻。崇徳院の下命で、藤原顕輔が撰進した。1144年(天養1)下命ののち7年を経て、51年(仁平1)に完成、院の意志でさらに7首を削って409首の第二次精撰本が完成。もっとも小規模な勅撰集である。顕輔の撰集は、前代歌人を重視し、冒険を避けたが
金葉和歌集(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安朝第5番目の勅撰和歌集。撰集下命者は白河院、撰者は源俊頼。1124年(天治1)に最初の草稿を奏覧に入れたが、新味がないと返却され、次に翌年4月に改撰して奏上したが、今度は現代歌人に偏りすぎるという理由で受納されず、三度目に三代集歌人を復活させた草稿を呈したところ
大鏡(日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安後期の歴史物語。文徳天皇の850年(嘉祥3)から後一条天皇の1025年(万寿2)まで、14代176年間の歴史を描いたもので、1025年を現在時として叙述しているが、これは藤原道長の栄華の絶頂で擱筆しようとした作者の作為で、実際は1025年以後40、50年から90年の間の成立とみられる
俊頼髄脳(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌学書。源俊頼著。もと五巻か。『今鏡』すべらぎの中および本書顕昭本奥書により、俊頼が関白藤原忠実の依頼で、その娘(のちの高陽院泰子)の后がね教育のため、天永二年(一一一一)から永久二年(一一一四)の間に述作したもの。『和歌童蒙抄』以下に『俊頼朝臣無名抄』
後拾遺和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
第四代の勅撰和歌集。藤原通俊撰。二十巻。白河天皇の側近通俊は承保二年(一〇七五)九月、撰集の命を受けたが、右中弁蔵人頭の劇職にあって果たさず、参議に昇任した応徳元年(一〇八四)より着手、同三年春、一応の草稿を整え、源経信・康資王母らの協力を得て同年九月十六日に奏上し
六家集(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安末期から鎌倉初期にかけての代表的な歌人六人の私家集の総称。藤原俊成の「長秋詠藻」、藤原良経の「秋篠月清集」、慈円の「拾玉集」、西行の「山家集」、藤原定家の「拾遺愚草」、藤原家隆の「壬二集」の六つをいう。抄出本に牡丹花肖柏の「六家抄」がある。「りっかしゅう」とも
長秋詠藻(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
歌人藤原俊成の家集。上・中・下三巻。書名の「長秋」は、俊成が皇太后宮大夫であったことから、皇后宮の唐名「長秋宮」にちなんだもの。伝本は四類に分けられる。第一類本は、治承二年(一一七八)三月に成立し、同年夏守覚法親王に進覧された俊成自撰の原形本の形を伝える本。
山家集(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安末期の私家集。三巻。西行の詠歌を収める。四季・恋・雑に部類され、歌数は流布本で約一六〇〇首、別に異本山家集、西行法師家集と呼ばれるものがあり、約六〇〇首。「山家心中集」はその抄出本。六家集の一つ。西行の家集には他に「聞書集」「聞書残集」などがある。
古今和歌六帖(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安中期の私撰集。六巻。編者、成立年代とも未詳。貞元元年〜永延元年(九七六〜九八七)頃成立。「万葉集」「古今集」「後撰集」など、古来の歌四五〇〇首ばかりを、歳時、天象、地儀、人事、動植物など二五項五一七題に分類したもの。作歌の手引、古歌考証の資料として利用された。
新撰和歌(国史大辞典・日本大百科全書)
平安時代初期の私撰和歌集。『新撰和歌集』ともいう。撰者は紀貫之。巻一春秋・百二十首、巻二夏冬・四十首、巻三賀哀・二十首、別旅・二十首、巻四恋雑・百六十首の計四巻三百六十首から成る。巻頭に「新撰和歌序」「玄蕃守従五位上紀朝臣貫之上」として真名序を付す。
新撰万葉集(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
歌合の歌をすべて万葉仮名で抄録し、それに訳詩を加えた私撰詩歌集。菅原道真の撰になるもので、『菅家万葉集』ともよばれた。従来増補本のみであったが、昭和二十四年(一九四九)原撰本が出現した。原撰本は『日本紀略』『新撰朗詠集』『奥儀抄』などにもみるごとく、菅原道真の撰であり
拾遺和歌集(国史大辞典・日本大百科全書)
平安時代中期の第三番目の勅撰集。二十巻。撰者は花山院か。近臣の藤原長能や源道済の協力を考える説も古くからある。またほかに、協力者として曾禰好忠の名を挙げる説もある。藤原公任撰の『拾遺抄』の歌を全部収め、構成も踏襲している面があるので、何らかの形で公任も関与している
一条摂政御集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一条摂政藤原伊尹の私家集。編者不詳。総歌数は百九十四首。成立年代は、その詞書から、伊尹死後二十年を経た正暦三年(九九二)八月二十二日以後と推定されるが、冒頭から第四十一首目までは、主人公を「大蔵史生倉橋豊蔭」という卑官に仮託して
三十六人家集(三十六人集)(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
家集。藤原公任の『三十六人撰』所収の歌人三十六人の家集の総集。左右に排してあるので、一番左・右……の順序とすべく、したがって人麿集・貫之集・躬恒集・伊勢集・家持集・赤人集・業平集・遍照集・素性集・友則集・猿丸集・小町集・兼輔集
金槐和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉幕府第3代将軍源実朝の家集。「鎌倉右大臣家集」ともいう。「金槐」の「金」は「鎌倉」の「鎌」の偏、「槐」は「槐門」(大臣の位)の略で、鎌倉右大臣とよばれた実朝の家集を意味するといわれる。伝本は、藤原定家筆で、末尾に「建暦三年(1213)十二月十八日」
小倉百人一首(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
百人の歌人から秀歌を一首ずつ集めたもの。最初は、嵯峨の小倉山荘の障子に張った色紙和歌の意の「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙形」の名称であったものが、内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった
新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第九番目の勅撰和歌集。撰者は藤原定家。春(上・下)・夏・秋(上・下)・冬・賀・羈旅・神祇・釈教・恋(一―五)・雑(一―五)の二十巻から成る。歌数千三百七十四首。貞永元年(一二三二)六月十三日、後堀河天皇から古今の歌を撰進せよとの勅命
玉葉和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第14番目の勅撰和歌集。20巻。京極為兼撰。第92代伏見天皇は為兼の革新的歌風を好み、在位中の1293年(永仁1)為兼、二条為世、飛鳥井雅有、九条隆博の4名に勅撰集撰進を命じたが、98年為兼佐渡配流、天皇退位、続いて隆博、雅有も没して事業は中絶した。1308年(延慶1)花園天皇が
東歌(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
東国地方の歌の意で、『万葉集』巻14と『古今集』巻20の、「東歌」という標題のもとに収められた和歌の総称。万葉集東歌、古今集東歌と、単独ででもいう。[遠藤 宏]万葉集東歌 全部で230首(異伝歌のうち一首全体を記すものを加えると238首)あり、遠江国、信濃国以東の駿河
狂歌(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
和歌の形式のなかに反古典的な機知や俗情をよみ込む文芸で、よく人の知る文芸や成語のもじりParody、あるいは縁語・懸詞の複雑な組合せなどの技巧が好んで用いられる。狂歌という名称は平安時代からすでにあって、かなり作られていたが
御裳濯河歌合(日本古典文学全集)
御裳濯河歌合西行法師判者俊成卿一番左持山家客人岩戸を開けた天照大神のその昔に、いったい誰がこのように(御裳濯河のほとりに美しく咲いている)桜を植えたのであろうか。右野径亭主神路山には月が清らかに澄んで
集外歌仙(日本古典文学全集)
【現代語訳】集外歌仙左嶺の炭竈平常縁立ち昇る煙が立っていなくては、炭竈がそこにあるとも、さあ見てもわからない、峰には白雪が積っていて。煙によってはじめて白雪に蔽われた峰の炭竈が知られるという趣向。古風だが手馴れて
中世和歌集(日本古典文学全集)
御裳濯河歌合西行法師判者俊成卿一番左持山家客人岩戸を開けた天照大神のその昔に、いったい誰がこのように(御裳濯河のほとりに美しく咲いている)桜を植えたのであろうか。右野径亭主神路山には月が清らかに澄んで
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