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興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
法隆寺(日本大百科全書・世界大百科事典)
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳(しょうとく)宗総本山。斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などの異称がある。南都七大寺の一つ。草創の由来は、金堂の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)光背銘によると、用明(ようめい)天皇が病気平癒を念じ
渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
天竜寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町にある臨済宗天竜寺派の大本山。霊亀山天竜資聖禅寺と号する。本尊は釈迦如来。京都五山の第一。1339年(延元4・暦応2)、後醍醐天皇が吉野行宮で崩御するや、足利尊氏・直義の兄弟が夢窓疎石の勧めによって、後醍醐天皇の冥福を祈るために創建した寺であり
厳島神社(改訂新版・世界大百科事典)
広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県廿日市市,旧宮島町)に鎮座。市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命をまつる。旧官幣中社。祭神〈伊都岐島神〉は,811年(弘仁2)名神に列し四時幣に預かり,神階は867年(貞観9)従四位上に昇叙。《延喜式》で名神大社に列し,のち安芸国の一宮となる。平安時代末
薬師寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山。西京寺、瑠璃宮薬師寺ともいう。南都七大寺の一つ。本尊は薬師三尊。680年(天武天皇9)天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して一寺の建立を発願したが、天皇が崩御したため持統天皇、文武天皇が698年(文武天皇2)藤原京に完成した。
唐招提寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市五条町にある律宗総本山。本尊は盧舎那仏。756年(天平勝宝8)、聖武・孝謙両上皇の勅願により来朝した唐僧過海大師鑑真和上が新田部親王の旧宅を譲り受けて建立した寺で、戒壇を設け律宗の根本道場とした。初めは唐律招提寺、唐寺、律寺などと称され、延喜式十五大寺、南都七大寺の一つに数えられた。
平城宮(日本大百科全書(ニッポニカ))
710年(和銅3)から784年(延暦3)の首都平城京の中枢部分をいう。元明(げんめい)~桓武(かんむ)天皇の7代にわたる宮である。平城京の北端に位置し、一辺1キロメートルの正方形の東に張り出し部分があり、面積は合計124ヘクタールを占める。大正年間より遺跡保存がはかられ、現在国の特別史跡として
三十三間堂(蓮華王院)(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市東山区三十三間堂廻り町にある蓮華王院の本堂。本尊は千手観音。蓮華王院は天台宗に属し、天台三門跡の一つである妙法院が管理する。南北に125メートルある御堂内の柱の間数が33あることに由来してこの名がある。1164年(長寛2)後白河院の勅願を受けて平清盛が建立、平家滅亡後も後白河院は多くの保護を加え
出雲大社(改訂新版・世界大百科事典)
島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。
鹿苑寺(金閣寺)(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市北区金閣寺町にある寺。金閣寺と称し、銀閣寺(慈照寺)とともに一般に広く知られている。北山と号し、臨済宗相国寺派に属する。本尊は聖観世音菩薩。もとこの地には西園寺家の山荘北山殿があったが、1397年(応永4)足利3代将軍義満がこれを譲り受け
伏見稲荷大社(日本歴史地名大系・改訂新版 世界大百科事典)
稲荷山の西麓に鎮座。式内社で「延喜式」神名帳の紀伊郡に「稲荷神三社 並名神、大、月次、新嘗」とみえ、旧官幣大社である。祭神は古くから種々の説があるが、現在は宇迦之御魂大神(中央・下社)、佐田彦大神(北座・中社)、大宮能売大神(南座・上社)であり
南禅寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山。正式には瑞竜山大平興国南禅禅寺といい、京都五山の首位にたつ禅寺である。1291年(正応4)亀山上皇が離宮を改めて建てた寺で、初め竜安山禅林禅寺と称していたが、南禅寺とするにあたって東福寺開山円爾弁円の法を継いだ無関普門(仏心禅師、大明国師)を招いて開山とした。
本能寺(日本歴史地名大系)
[現]中京区下本能寺前町寺町通に西面して総門を開く。法華宗(本門流)の大本山。卯木山と号し、本尊十界大曼荼羅。〈京都・山城寺院神社大事典〉〔開創〕応永二二年(一四一五)日隆が油小路高辻と五条坊門の間(現京都市下京区)に建立、当初本応寺と号した。日隆は妙本寺(現妙顕寺)第四世日霽に師事したが
下鴨神社(日本歴史地名大系)
[現]左京区下鴨泉川町。賀茂・高野両川の合流点に近い糺森に鎮座。平安遷都以前当地に住した賀茂氏の氏神で、祭神は賀茂建角身命・玉依日売命。「延喜式」神名帳の愛宕郡に「賀茂御祖神社二座 並神名大、月次相嘗新嘗」とあり、正式には賀茂御祖神社と称するが、賀茂川上流の
金峯山寺(国史大辞典)
奈良県吉野郡吉野町吉野山にある寺院。「山上(山上ヶ岳)一体、山下(吉野山)三体」の蔵王権現を祀る金峯山修験本宗大本山。現在、「きんぷせん」寺といい、蔵王権現の巨像を祀る巨大な蔵王堂(国宝)や二王門(同)を中心とし、一山は天台・真言両系の修験道寺院(単立寺院)で構成され
増上寺(日本歴史地名大系)
[現]港区芝公園四丁目。愛宕山の南方にある浄土宗寺院。三縁山広度院と号し、本尊は阿弥陀如来。江戸時代には現芝公園一―四丁目一帯を境内としていた。明徳四年(一三九三)に鎮西派白旗流の流れをくむ了誉聖冏の弟子酉誉聖聡が、もと豊島郡貝塚(現千代田区)にあった真言宗寺院の光明寺
三嶋大社(日本歴史地名大系)
[現]三島市大宮町二丁目。旧東海道(県道沼津―三島線)に南面して鎮座。祭神は大山祇神・事代主神の二神。旧官幣大社。古代は式内社、中世は伊豆国一宮として武士の崇敬を受け、近世は三島町の発展とともに庶民の信仰を集めた。本地仏は薬師仏(「新千載集」「北条記」など)であった。
弥彦神社(日本歴史地名大系)
[現]弥彦村弥彦。弥彦山の東麓に鎮座する越後一宮。正式には「いやひこ」とよばれ、伊弥彦・伊夜比古などとも記される。旧国幣中社。祭神は現在は天香語山命だが、「万葉集」巻一六の歌などから本来は弥彦山を神体とする伊夜比古神であろうか。明神・弥彦明神と記す例もある。
江島神社(日本歴史地名大系)
[現]藤沢市江の島二丁目。相模湾に囲まれた江の島にある。江島弁才天とも称し、奥津宮(祭神多紀理毘売命)・中津宮(祭神市寸島比売命)・辺津宮(祭神田寸津比売命)・御窟(祭神天照皇大神・須佐之男命)の総称。もとは本宮(古くは御窟が本宮)・上之宮(現中津宮)・下之宮(現辺津宮)
鹿島神宮(改訂新版・世界大百科事典)
茨城県鹿嶋市に鎮座。常陸国の一宮。旧官幣大社。祭神は武甕槌神(建御雷神)。《常陸国風土記》には649年(大化5)に神郡がおかれ,そこにあった天の大神の社,坂戸の社,沼尾の社をあわせて〈香島の天の大神〉といい,〈豊香島の宮〉と名づけられ,また崇神天皇のとき大刀,鉾,鉄弓,鞍
成田山新勝寺(日本歴史地名大系)
[現]成田市成田。正しくは成田山明王院神護新勝寺と号するが、一般には成田山・成田不動の名で知られる。関東三不動の一。真言宗智山派の大本山で、本尊は木造不動明王(国指定重要文化財)。縁起によると、平将門が東国において反乱を起こしたとき(将門の乱)、朱雀天皇は将門討伐の
香取神宮(国史大辞典)
千葉県佐原市香取に鎮座。旧官幣大社。下総国の一宮。祭神は経津主神。古代の地形では東国の東端、大河の河口に近く、湖と入江が多く、しかも大洋に臨む地にあって、鹿島とならんで大和朝廷が早くから深い関係を持った神社である。カトリの名義は、『日本書紀』神代天孫降臨章第二の一書に
出羽三山神社(日本大百科全書(ニッポニカ))
山形県中央部に横たわる羽黒山、月山、湯殿山に鎮座する出羽神社、月山神社、湯殿山神社の総称。推古天皇の御代に崇峻天皇の皇子蜂子皇子によって開かれたと伝える。中世以降、修験道の一大霊場として栄えた。夏季以外の登拝が困難なため、3社の祭祀は羽黒山上の三神合祭殿(鶴岡市羽黒町手向)
東寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市南区九条町にある寺。東寺真言宗の総本山。正しくは金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(略して教王護国寺)という。本尊は薬師如来(にょらい)。794年(延暦13)の平安遷都に伴い、王城鎮護のために羅城門の左右に2か寺が建立され、それぞれ東寺(左寺、左大寺とも)、西寺
飛鳥寺(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古4)ほぼ造営を終え,606年には仏師鞍作止利が作った本尊の丈六釈迦如来像が安置されている。古都飛鳥の地に〈大寺〉と
百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
談山神社(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[現]桜井市大字多武峰 多武峯の御破裂山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐために
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を
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