国史大辞典のサンプルページ一覧

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古事記伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古事記』の注釈書。著者、本居宣長。四十四巻、附巻一。出版開始、寛政二年(一七九〇)、完了、文政五年(一八二二)。本居宣長は賀茂真淵に面会(宝暦十三年(一七六三))したのち、『古事記』を解読、注釈することの意志をかため、真淵に入門し、『万葉集』の訓読
寺院建築(国史大辞典・世界大百科事典)
仏教寺院に属する建築。ただし寺院内にあっても、鎮守とその付属建物は神社建築として扱い、書院・客殿などの居住用建物は住宅史で取り上げている。しかし、居住用建物でも、僧房・庫裏など仏教寺院独特のものは含む。仏教は六世紀の中ごろ伝来し、大陸の建築様式を伝え
神社建築(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
祭神をまつる本殿、礼拝や奉幣の施設として造られた拝殿・幣殿など、神に供する神饌を準備する諸殿舎、神宝などを収める倉ならびに鳥居、玉垣など、神社境域の内外にある建物を総称していう。〔本殿の成立〕日本における神の信仰が固有の建築様式を成立させる以前に
阪神・淡路大震災(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
平成七年(一九九五)一月十七日午前五時四十六分ごろ、淡路島北端付近を震源として発生した兵庫県南部地震(東経一三五度〇三分、北緯三四度三六分、マグニチュード七・二)による災害。淡路島北部から神戸市を通り宝塚市に至るほぼ帯状の地域で被害が大きかった
梶原景時(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一二〇〇 鎌倉時代前期の武将。相模国住人五郎景清の子。通称平三。源頼朝挙兵の時、大庭景親に属したが、石橋山にいき、頼朝の危急を救い、のち頼朝に従って、源義仲追討をはじめ、平家追討に功があった。文治元年(一一八五)屋島攻撃の際、源義経と逆櫓の策を争い
源義仲(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一五四-八四 平安時代後期の武将。木曾義仲・木曾冠者・旭将軍と称される。久寿元年(一一五四)に生まれる。父は春宮帯刀長源義賢、母は遊女と伝える。寿永二年(一一八三)の入洛以前は根本資料を欠き、延慶本・盛衰記・長門本など語り系の『平家物語』によらざるを
源頼家(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一一八二-一二〇四 鎌倉幕府の第二代将軍。一二〇二―〇三在職。源頼朝の長男。母は北条政子。寿永元年(一一八二)鎌倉の比企能員邸に生まれる。幼名は万寿(または十万)。能員妻・河越重頼妻(能員の妹)・梶原景時妻らが乳母となる。頼家の安産を祈って源頼朝は
北条義時(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一六三-一二二四 鎌倉時代前期の第二代執権(一二〇五―二四)。相模守・陸奥守・右京権大夫を歴任、また駿河・伊豆・若狭・越後・大隅・信濃の守護となる。長寛元年(一一六三)北条時政の第二子として生まれる。母は伊東入道女。幼名は江馬四郎・江馬小四郎
徳川実紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
初代徳川家康より第十代家治までの江戸幕府将軍の事歴を中心に叙述した史書。第十一代家斉から第十五代慶喜までは『続徳川実紀』と通称されている。江戸幕府撰。巻数は「御本編四百四十七冊、御附録六十八冊、成書例・総目録・引用書二冊、通計五百十七冊」
本朝通鑑(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸幕府編集の漢文編年体の日本通史。全三百十巻。前編三巻(神代)、正編四十巻(神武―宇多)、続編二百三十巻(醍醐―後陽成)、提要三十巻(重要事項に関わる綱文のみを摘録、林鳳岡・人見竹洞・坂井伯元担当)、附録五巻(神祇部・皇運部・朝職部・武職部)
信長公記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
織田信長の経歴の正確な実録をめざした軍記。『信長記』『原本信長記』『安土記』『安土日記』『織田記』などの別称がある。天文二十三年(一五五四)すでに足軽衆として信長に仕え、のち側近の弓衆・奉行となった太田牛一の著。上洛以前の記(首巻)一巻と上洛以後の
吾妻鏡(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
鎌倉幕府の創始期から中期までの事蹟を、幕府自身で編纂した歴史書。『東鑑』とも書く。〔編成〕治承四年(一一八〇)源頼政挙兵に始まって、文永三年(一二六六)六代将軍だった宗尊親王の帰京で終る編年体。完成した書物か未完のままか不明だが、中間十二ヵ年分が
日本紀略(日本大百科全書・国史大辞典)
神代から後一条天皇に至る編年体の歴史書。三十四巻。成立年代・編者ともに不詳。書名は、『本朝書籍目録』に「日本史記略」、『右文故事』に「日本紀類」などとみえ、『日本逸史』や『大日本史』に「日本紀略」とみえる。神武天皇から光孝天皇までは六国史からの
歴史物語(日本大百科全書・国史大辞典)
平安時代後期以降に著わされた仮名書きの歴史叙述の書物を指す呼び名。使われ始めたのは明治時代に入ってからであり、特に芳賀矢一が国文学史に関する著作で使用して以来、術語として定着した。国史学では、むしろ「物語風歴史(史書)」と呼ばれる。外見上、漢字に仮名
平賀源内(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
一七二八-七九江戸時代中期の本草・物産学者、戯作者。名は国倫(くにとも)、字は子彝、源内は通称で、鳩渓と号し、また戯作者としては風来山人、浄瑠璃の作者としては福内鬼外(ふくちきがい)などの筆名を用いた。享保十三年(一七二八)、讃岐国寒川郡志度(しど)
日露戦争(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
明治三十七年(一九〇四)から翌年にかけて、日本とロシアの間で朝鮮・満洲の支配をめぐって戦われた戦争。〔開戦過程〕朝鮮半島を支配することは、日清戦争における日本側の目的であったが、戦争の勝利にもかかわらず、この目的を達成することはできず、戦後はむしろ
日清戦争(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
明治二十七年(一八九四)夏から翌年にかけて、主として朝鮮の支配をめぐって日本と清国(中国)の間で戦われた戦争。中国では、一八九四年の干支から甲午中日戦争という。〔研究状況〕第二次世界大戦前、田保橋(たぼはし)潔のように、日清戦争を日・朝・中の国際関係
渋沢栄一伝記資料(国史大辞典)
財団法人竜門社の編纂・刊行による渋沢栄一の伝記資料。竜門社では、栄一の死後、嫡孫で相続人だった渋沢敬三の意見により伝記の執筆と伝記資料の蒐集編纂とを分けて行う方針をとり、伝記の執筆を幸田露伴に、伝記資料の蒐集編纂を幸田成友に依頼した。こうしてまず
与謝蕪村(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一七一六-八三江戸時代中期の俳人・画家。本姓谷口氏。与謝氏(「よざ」とも)を称するのは丹後からの帰洛後。俳号ははじめ宰町・宰鳥、蕪村号は寛保四年(延享元、一七四四)の『歳旦帖』から。代表的画号は宝暦十年(一七六〇)ころから謝長庚・謝春星、安永七年
真珠湾攻撃(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
昭和十六年(一九四一)十二月八日未明(現地時間七日早朝)日本機動部隊の航空母艦から発進した日本軍が、ハワイのオアフ島の真珠湾に集結していた米太平洋艦隊の主力部隊に対して行なった攻撃。ハワイ攻撃ともいう、太平洋戦争の劈頭に行われた攻撃である。日米間の
事始(国史大辞典)
(一)御事始・事八日ともいう。十二月八日(上方は十三日)に煤払(すすはらい)をして正月の準備を始めること。また二月八日に農事を始めることをもいう。月日に異同があり、十二月十三日を事始(『日次紀事』)、十三日(江戸城)または八日(江戸府中)を事納
煤払い(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
屋内の掃除を行い、同時に神棚を祓い清めて正月の準備を始める年末の行事。煤掃き・煤納めなどともいう。吉日を選んで行なっていたが、江戸時代になって十二月十三日を用いることが多くなった。これは江戸城の煤払いの日取りを一般でもならったからかというが、十三日に
日本三代実録(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
六国史のうちの最後の正史。『三代実録』と略称される。『日本文徳天皇実録』に次ぎ、清和・陽成・光孝天皇の三代、すなわち天安二年(八五八)八月から仁和三年(八八七)八月までの二十九年余りを収録する。五十巻。『日本紀略』によると、宇多天皇の勅による編纂の
先代旧事本紀(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
天地開闢のはじめより、推古天皇の代までにつき編年体に記す部分を主とし、『国造本紀』などを付した史書。また神道古典の一つ。『旧事紀』また『旧事本紀』と略称する。十巻。著者、成立年代ともに不詳であるが、およそ物部氏の誰かの手により平安時代初期に撰せられた
奈良絵本(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
室町時代末期から江戸時代前期にかけて、公家・武家や新興の町人層の婦女子を対象に作られた濃彩色絵入の写本。内容は御伽草子が大部分で、ほかに幸若(こうわか)や古浄瑠璃、また古物語の類もある。室町時代には御伽草子絵巻が多く作られたが、やがて読者層の拡大に
キリシタン版(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
天正八年(一五八〇)以来、イエズス会巡察師バリニァーノA.Valignanoによって教育機関が整い、かつ信徒の増加につれ、出版の必要が痛感され、九州三侯遣欧使節に同行した日本人イルマン、ドゥラードC.Durado(邦名未詳)らに印刷術を習得せしめると
大和国(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
畿内の一国で、現在の奈良県にあたる。北は畿内の山城国(京都府)、西は畿内の河内国(大阪府)、東は東海道の伊賀・伊勢両国(ともに三重県)、南は南海道の紀伊国(和歌山県)に接する。近畿地方として日本国の中央部に位置している。地勢は、東方、伊勢国との国境の
法華経義疏(国史大辞典)
鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』二十七品を註釈したもの。四巻。聖徳太子撰。太子親筆とされるものが御物(ぎょぶつ)となっている。太子三経義疏の一つで、成立は義疏中もっとも遅い推古天皇二十二年(六一四)から翌年にかけての太子四十一歳から四十二歳のころとみられて
中浜万次郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八二八-九八江戸時代後期の漂流民、幕臣、英学者。ジョン万次郎とも称す。文政十一年(一八二八、あるいは文政十年)土佐国幡多郡中ノ浜(高知県土佐清水市中浜)の漁師悦助の次男に生まれる。天保十二年(一八四一)正月五日西浜の伝蔵ら四人と近海の漁に出て暴風の
明月記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
藤原定家の日記。別名『照光記』。本日記は定家から為家へ、さらに為相へと冷泉家当主に伝えられたもので『藤原為家譲状案』に、その相伝が記されている。これによると「故中納言入道殿日記、(自治承至于仁治)」と日記の上限と下限が示され、下限は仁治とあるが
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