日本歴史地名大系のサンプルページ一覧
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釜石製鉄所(日本歴史地名大系)
[現]釜石市鈴子町西に食込む釜石湾奥の西岸に位置する。明治七年(一八七四)二月、工部省工部卿伊藤博文の「陸中国閉伊郡に熔鉱炉を設置」の発議に基づき、同年五月工部省鉱山寮釜石支庁が置かれ、橋野・大橋・栗林、佐比内(現遠野市)の鉱山が官営に移管、翌八年一月工場建設に着手した
旧中村家住宅(日本歴史地名大系)
[現]檜山郡江差町字中歌町近江出身の商人大橋宇兵衛によって幕末から明治二〇年代にかけて建てられた店舗・蔵・住宅。九艘川(くそうがわ)町の南西端に位置した。大正四年(一九一五)に中村米吉に譲渡された。現在海岸線に沿って走る道路(国道二二八号)から海岸に向かい
旧イギリス領事館(日本歴史地名大系)
[現]函館市元町明治四五年(一九一二)当時の会所(かいしよ)町に建設された領事館で、設計はイギリス政府上海工事局、施工は真砂(まさご)町の大村合名会社建築部。煉瓦造二階建瓦葺で、建坪は一階が一五三・二七坪、二階は一三三・三三坪であった
時の鐘跡(日本歴史地名大系)
[現]中央区日本橋室町四丁目本石(ほんごく)町三丁目に江戸市中で最初に設置された時の鐘。天正一八年(一五九〇)の徳川氏関東入部後は江戸城内の鐘楼堂が明六つ暮六つ時に時の鐘をつき、町方の便宜にもなっていたが、二代将軍徳川秀忠のとき鐘鳴が御座の間に大きく響くため
弘道館(日本歴史地名大系)
[現]水戸市三の丸一丁目三の丸(さんのまる)の大手橋の西にあり、その西に鹿島神社・孔子(こうし)廟・八卦(はつけ)堂などが建つ。士風の刷新を目指した徳川斉昭が天保一二年(一八四一)に開設した藩校。斉昭はすでに同四年頃建設計画を発表したが
北海道庁旧本庁舎(日本歴史地名大系)
[現]中央区北二条西五―六丁目・北三条西五―六丁目赤煉瓦(庁舎)として親しまれた北海道庁の旧庁舎。明治一九年(一八八六)七月に着工し、同二一年一二月に完成した。設計は北海道庁土木課。間口六一・二メートル、奥行三六・四メートル、建坪は一六五四平方メートル
旧函館区公会堂(日本歴史地名大系)
[現]函館市元町明治四二年(一九〇九)五月に着工し、同四三年九月に竣工した洋風木造建造物で、函館区(のち函館市)の公会堂として用いられた。本館と附属棟から構成される。設計者は函館区技師小西朝次郎、棟梁は村木甚三郎。明治四〇年八月の大火で区民の集会所として
札幌時計台(日本歴史地名大系)
[現]中央区北一条西二丁目元来は札幌農学校の演武場で、旧所在地は現在の北二条通の通り上であった。農学校教頭のホイーラーの構想により開拓使工業局が設計し、明治一一年(一八七八)六月起工、同年一〇月に竣工した。当初時計塔はなく、切妻屋根(柾葺)の鐘楼があった
東行庵(日本歴史地名大系)
[現]下関市大字吉田吉田(よしだ)の町の南、清水(しみず)山の丘陵麓にある。曹洞宗。清水山と号し、本尊は白衣観音菩薩。幕末の尊攘討幕の士高杉晋作の霊位礼拝堂と、その墓守をつとめた側室梅処(おうの)尼の僧堂として建てられた
高知城(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]高知市丸ノ内一丁目高知城下中央やや北西寄りにある大高坂(おおだかさ)山(高知山)に築かれた平山城形式の城。土佐藩主山内氏の居城。大高坂城とも鷹城ともよばれる。国指定史跡。南北朝時代、南朝方として活躍した大高坂松王丸の居城のあった地
札幌農学校(日本歴史地名大系・日本大百科全書)
明治九年(一八七六)に札幌学校が改称して成立した札幌農学校は日本初の高等農業専門学校。現北海道大学の前身にあたり、明治五年に東京芝増上寺本坊内に開設された開拓使仮学校を嚆矢とする。明治五年一月開拓次官の黒田清隆は、北海道に農業・工業などの学校を
渡月橋(日本歴史地名大系)
桂川(大堰川・保津川)に架かる橋で、嵐(らん)橋ともいう。承和三年(八三六)に僧道昌によって大堰(おおい)川の修築が行われたが(弘法大師弟子伝)、その時架設されたのに始まるともいう。橋の南に法輪寺があったため法輪寺橋・法輪橋の名もあり
松山城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
(一)松山市丸之内および堀之内に中心部のある城。平山城。松山平野の中央に位置する勝山(標高一三二メートル)は室町時代ごろまでは味酒山と呼ばれた。南北朝時代に伊予の南朝方が、北朝方で湯築城を居城としていた河野氏を攻略するに際して
松江城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
松江市殿町に中心部のある城。別称千鳥城。平山城。主要部のある丘陵はもと極楽寺山または亀田山と呼ばれ、戦国時代には富田城主尼子氏の出城である末次城があった。天文十二年(一五四三)に大内義隆が出雲に侵入した際、大内軍の一隊が当城を占拠し富田城攻撃拠点
犬山城(日本歴史地名大系)
[現]犬山市犬山 北古券木曾川に北面する標高八〇メートルの丘陵にある。名古屋城より直線にして約二二キロの地点。別名白帝城。天守閣は国宝。文明元年(一四六九)五月、管領斯波義郷の家臣織田広近が木ノ下村(現在地より約一キロ東南)に初めて城を築いた
松本城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
長野県松本市丸の内にある城。平城。松本平の中央部にあたる当地は古くは深志といわれ、また延暦年間(七八二―八〇六)に信濃国府が上田からこの地に移された後は府中とも呼ばれた。国府所在時代には在庁官人犬甘氏の居館が置かれていたものと思われるが
彦根城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
滋賀県彦根市金亀町・尾末町にある城。平山城。関ヶ原の戦ののち徳川家康の臣井伊直政は近江の石田三成の旧領十八万石を与えられて佐和山城に入った。直政の男直勝は慶長八年(一六〇三)に新城造営の工を起し、同九年に佐和山城から移転した
京都御所(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]上京区京都御苑広義には大宮御所(なかに仙洞御所がある)をも含み、狭義には京都御所のみをいう。里内裏であった土御門東洞院(つちみかどひがしのとういん)邸が、鎌倉最末期以来皇居とされていたものの後身で、仙洞御所と大宮御所は江戸初期に設けられた
荒城神社(日本歴史地名大系)
[現]国府町宮地 宮垣内荒城川右岸にあり、祭神は大荒木之命・国之水分神・天之水分神・弥都波能売神。旧県社。「延喜式」神名帳の荒城郡五座のうちの一つ。「和訓栞」に「荒木ハ生ノママナルヲ云ナルベシ、地名ニ荒木、新城ナドカケリ
荒井家住宅(日本歴史地名大系)
[現]矢板市立足立足(たつあし)集落の西端、東下りの山際にある。荒井家は代々立足村の名主を勤めた。敷地は広く南面し、入口に長屋門を構え、主屋は長屋門より一段高所にある。主屋と長屋門は国指定重要文化財。家伝では延宝四年(一六七六)火災にあい
明石城下(日本歴史地名大系)
明石川河口に近い東岸の洪積台地(通称人丸山)上に築かれた明石城を扇の要とし、その南方に広がる明石海峡に至る東西約一二〇〇メートル・南北約七〇〇メートルの地域に開かれた城下町。〔城下町の成立と発展〕元和三年(一六一七)明石に入部して
天津神社(日本歴史地名大系)
[現]吉川町前田近世の宮(みや)村をはじめ一三ヵ村を氏子とする。旧郷社。祭神は天津彦根命・活津彦根命・天之穂日命・天之忍穂耳命・熊野久須日命。垂仁天皇二五年四月、小神野(おがみの)(現富岡字神谷)に明神が天降ったので、里人たちが現在地へ遷座したと伝える
阿仁鉱山(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
阿仁金・銀・銅山の総称。北流する阿仁川上流の両岸、標高五六二メートルの九両山の南・北・西麓、および標高七一〇メートルの芝森南・西麓一帯に分布する。板木沢・向・七十枚・小沢・萱草・二ノ又・真木沢・三枚・一ノ又・大沢・天狗平・黒滝・糠内・深沢の各鉱山を含む
穴切大神社(日本歴史地名大系)
[現]甲府市宝二丁目相(あい)川東岸、穴切小学校脇にある。祭神は大己貴命・少彦名命・素盞嗚命。旧郷社。「延喜式」神名帳記載の山梨郡「黒戸奈(クロトナノ)神社」を当社に比定する説がある(甲斐国志)。創建は元明天皇の代ともいう。創建と社名の由緒については
阿蘇神社(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
[現]一の宮町宮地宮地(みやじ)市街地の西方にあり、約一万坪の境内を有する。祭神は健磐龍命を主神とする阿蘇十二神。古代は式内社として、中世は肥後国の一宮として、近代は官幣大社としての伝統をもつ九州の名社。。現社殿は南面する三本殿・拝殿・楼門・回廊
足助八幡宮(日本歴史地名大系)
[現]足助町足助 宮ノ後国道一五三号の道沿いにある。巴(ともえ)川が支流足助川を合わせて大きく湾曲するところの左岸に位置し、右岸の飯盛(いいもり)山が笠形の山容で眺められる地点である。祭神は品陀和気命・帯中日子命・息長帯比売命・瀬織津比売命・菊理媛命・日本武尊
葦守八幡宮(日本歴史地名大系)
[現]岡山市下足守下足守(しもあしもり)のほぼ中央の小丘上に鎮座。主祭神は応神天皇。旧足守藩領の総鎮守。旧郷社。「日本書紀」応神天皇二二年条にみえる行宮「葉田葦守宮」の旧跡に吉備中彦命が社殿を建立したのが起源と伝える
朝倉神社(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]高知市朝倉朝倉の北部にある小高い赤鬼(あかぎ)山の東南麓に鎮座する。東方を鏡(かがみ)川が流れ、南方に本山氏の朝倉城のあった城(じよう)山がそびえる。祭神は天津羽羽神、天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)。旧県社。「延喜式」神名帳に土佐郡五座の一として
浅草神社(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]台東区浅草二丁目浅草寺境内東側にある。旧郷社。祭神は隅田川から観音像(のち浅草寺本尊)を引上げたという檜前浜成命・檜前竹成命とそれを安置したという土師真中和(土師直中知)で、大国主命・東照宮などを合祀する。江戸時代末までは三社権現と称された
明石城跡(日本歴史地名大系)
[現]明石市明石公園東を朝霧(あさぎり)川、西を明石川に画された洪積台地の南西端部(通称人丸山)に築かれた江戸時代の城跡。標高約二四メートル、前面の沖積地との比高は約二〇メートルの平山城。明石藩の政庁。元和三年(一六一七)七月信濃国深志
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