日本歴史地名大系のサンプルページ一覧

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楯築遺跡(日本大百科全書・世界大百科事典・日本歴史地名大系)
岡山県倉敷市矢部の丘陵頂、旧楯築神社境内にある弥生(やよい)時代の大墳丘墓。主丘は円形で径43メートル、高さ4~5メートルで、北東と南西に突出部があり、円礫(えんれき)と石列が巡る。主丘頂平坦(へいたん)部に巨大な立石群があり、その中央に神体とされた
大平山元遺跡(日本歴史地名大系)
[現]外ヶ浜町蟹田大平・蟹田山元蟹田(かにた)川左岸の標高二六−二八メートルを有する低位河岸段丘上に営まれた、旧石器時代終末から縄文時代草創期の遺跡群。遺跡は三地区に分かれ、それぞれ大平山元I・同II・同III遺跡と呼称されている。昭和五〇年
鶴見川(日本歴史地名大系)
東京都町田(まちだ)市上小山田(かみおやまだ)町と東京都八王子市南大沢(みなみおおさわ)との境をなす大沢峠の南の中腹の山林中に源を発し、上小山田山中の諸水源を集めて町田市図師(ずし)町へ向かって川を形成する。上小山田町の忠生(ただお)第二小学校前
本郷菊坂町(日本歴史地名大系)
[現]文京区本郷五丁目持組大縄地などを隔てて本郷五―六丁目の西方に位置する拝領町屋。町屋は真光(しんこう)寺の裏手から備中福山藩阿部家の下屋敷まで南東―北西に走る通り(現在の菊坂の通り)の北東側に開け、通りの南西側は崖地となっていた
箱崎(日本歴史地名大系)
宇美(うみ)川下流の左岸に位置し、博多湾に面している。筥崎宮が鎮座し、本来宮は筥崎、地名などは箱崎と記すのが原則らしいが、史料上は混用されている。「後拾遺往生伝」巻上(上人安尊)によると、応徳―寛治(一〇八四―九四)頃に「筑前国内山寺」
岸和田城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
大阪府岸和田市岸城町にあった。縄張りが滕(ちぎり)に似ているところから別称を千亀利城という。本丸・二ノ丸・三ノ丸と総曲輪からなる臨海の平城で、総面積約七万二千坪。建武年間(一三三四―三八)楠木正成に属した和田新兵衛高家が構えたのがはじまり
平戸城(国史大辞典)
長崎県平戸市岩の上町所在。亀岡城・朝日岳城・玄武城ともいう。平山城。平戸藩主松浦氏の居城。宝永四年(一七〇七)松浦棟が築城、以後明治維新に至る。実はこれ以前、同地には慶長年間築城の日之岳城があった。しかし、これは慶長十八年(一六一三)
高山陣屋跡(日本歴史地名大系)
[現]高山市八軒町城山の西方、宮川に架かる中橋を西に渡った地点に東に向いて位置する。敷地は一千一九二坪で、陣屋門(天保三年築造)・表玄関、広間(書院造)・白洲・庭園・収納米蔵などがあり、現存する唯一の郡代陣屋跡として国指定史跡
奈良井宿(日本歴史地名大系)
[現]楢川村大字奈良井鳥居峠(一一九七メートル)の北麓に位置し、中山道の中で最高所の宿である。「西筑摩郡誌」によると「天文元年、木曾義在奈良井に専念寺を建つ。同二年、義在木曾に宿駅を定む」とあり、永禄一一年(一五六八)の相州文書にも宿駅として
韮山反射炉(日本歴史地名大系)
[現]韮山町中字鳴滝(なるたき)にある幕末に築造された反射炉。国指定史跡。一九世紀ヨーロッパにおいて高炉が発達し、銑鉄の大量生産が可能になると、銑鉄を溶融して大砲を鋳造するために反射炉が考案された。天保(一八三〇―四四)末年オランダより入った技術書
宇和島城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
愛媛県宇和島市にある城。平山城。戦国時代に板島丸串城と呼ばれ、やがて来村(くのむら)西園寺氏の居城となった。西園寺氏滅亡の後、藤堂高虎が宇和郡を領有し、慶長元年(一五九六)から築城の工を起した。約六年の後、城郭がほぼ完備するに至った
釜石製鉄所(日本歴史地名大系)
[現]釜石市鈴子町西に食込む釜石湾奥の西岸に位置する。明治七年(一八七四)二月、工部省工部卿伊藤博文の「陸中国閉伊郡に熔鉱炉を設置」の発議に基づき、同年五月工部省鉱山寮釜石支庁が置かれ、橋野・大橋・栗林、佐比内(現遠野市)の鉱山が官営に移管、翌八年一月工場建設に着手した
旧中村家住宅(日本歴史地名大系)
[現]檜山郡江差町字中歌町近江出身の商人大橋宇兵衛によって幕末から明治二〇年代にかけて建てられた店舗・蔵・住宅。九艘川(くそうがわ)町の南西端に位置した。大正四年(一九一五)に中村米吉に譲渡された。現在海岸線に沿って走る道路(国道二二八号)から海岸に向かい
旧イギリス領事館(日本歴史地名大系)
[現]函館市元町明治四五年(一九一二)当時の会所(かいしよ)町に建設された領事館で、設計はイギリス政府上海工事局、施工は真砂(まさご)町の大村合名会社建築部。煉瓦造二階建瓦葺で、建坪は一階が一五三・二七坪、二階は一三三・三三坪であった
時の鐘跡(日本歴史地名大系)
[現]中央区日本橋室町四丁目本石(ほんごく)町三丁目に江戸市中で最初に設置された時の鐘。天正一八年(一五九〇)の徳川氏関東入部後は江戸城内の鐘楼堂が明六つ暮六つ時に時の鐘をつき、町方の便宜にもなっていたが、二代将軍徳川秀忠のとき鐘鳴が御座の間に大きく響くため
弘道館(日本歴史地名大系)
[現]水戸市三の丸一丁目三の丸(さんのまる)の大手橋の西にあり、その西に鹿島神社・孔子(こうし)廟・八卦(はつけ)堂などが建つ。士風の刷新を目指した徳川斉昭が天保一二年(一八四一)に開設した藩校。斉昭はすでに同四年頃建設計画を発表したが
北海道庁旧本庁舎(日本歴史地名大系)
[現]中央区北二条西五―六丁目・北三条西五―六丁目赤煉瓦(庁舎)として親しまれた北海道庁の旧庁舎。明治一九年(一八八六)七月に着工し、同二一年一二月に完成した。設計は北海道庁土木課。間口六一・二メートル、奥行三六・四メートル、建坪は一六五四平方メートル
旧函館区公会堂(日本歴史地名大系)
[現]函館市元町明治四二年(一九〇九)五月に着工し、同四三年九月に竣工した洋風木造建造物で、函館区(のち函館市)の公会堂として用いられた。本館と附属棟から構成される。設計者は函館区技師小西朝次郎、棟梁は村木甚三郎。明治四〇年八月の大火で区民の集会所として
札幌時計台(日本歴史地名大系)
[現]中央区北一条西二丁目元来は札幌農学校の演武場で、旧所在地は現在の北二条通の通り上であった。農学校教頭のホイーラーの構想により開拓使工業局が設計し、明治一一年(一八七八)六月起工、同年一〇月に竣工した。当初時計塔はなく、切妻屋根(柾葺)の鐘楼があった
東行庵(日本歴史地名大系)
[現]下関市大字吉田吉田(よしだ)の町の南、清水(しみず)山の丘陵麓にある。曹洞宗。清水山と号し、本尊は白衣観音菩薩。幕末の尊攘討幕の士高杉晋作の霊位礼拝堂と、その墓守をつとめた側室梅処(おうの)尼の僧堂として建てられた
高知城(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]高知市丸ノ内一丁目高知城下中央やや北西寄りにある大高坂(おおだかさ)山(高知山)に築かれた平山城形式の城。土佐藩主山内氏の居城。大高坂城とも鷹城ともよばれる。国指定史跡。南北朝時代、南朝方として活躍した大高坂松王丸の居城のあった地
札幌農学校(日本歴史地名大系・日本大百科全書)
明治九年(一八七六)に札幌学校が改称して成立した札幌農学校は日本初の高等農業専門学校。現北海道大学の前身にあたり、明治五年に東京芝増上寺本坊内に開設された開拓使仮学校を嚆矢とする。明治五年一月開拓次官の黒田清隆は、北海道に農業・工業などの学校を
渡月橋(日本歴史地名大系)
桂川(大堰川・保津川)に架かる橋で、嵐(らん)橋ともいう。承和三年(八三六)に僧道昌によって大堰(おおい)川の修築が行われたが(弘法大師弟子伝)、その時架設されたのに始まるともいう。橋の南に法輪寺があったため法輪寺橋・法輪橋の名もあり
松山城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
(一)松山市丸之内および堀之内に中心部のある城。平山城。松山平野の中央に位置する勝山(標高一三二メートル)は室町時代ごろまでは味酒山と呼ばれた。南北朝時代に伊予の南朝方が、北朝方で湯築城を居城としていた河野氏を攻略するに際して
松江城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
松江市殿町に中心部のある城。別称千鳥城。平山城。主要部のある丘陵はもと極楽寺山または亀田山と呼ばれ、戦国時代には富田城主尼子氏の出城である末次城があった。天文十二年(一五四三)に大内義隆が出雲に侵入した際、大内軍の一隊が当城を占拠し富田城攻撃拠点
犬山城(日本歴史地名大系)
[現]犬山市犬山 北古券木曾川に北面する標高八〇メートルの丘陵にある。名古屋城より直線にして約二二キロの地点。別名白帝城。天守閣は国宝。文明元年(一四六九)五月、管領斯波義郷の家臣織田広近が木ノ下村(現在地より約一キロ東南)に初めて城を築いた
松本城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
長野県松本市丸の内にある城。平城。松本平の中央部にあたる当地は古くは深志といわれ、また延暦年間(七八二―八〇六)に信濃国府が上田からこの地に移された後は府中とも呼ばれた。国府所在時代には在庁官人犬甘氏の居館が置かれていたものと思われるが
彦根城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
滋賀県彦根市金亀町・尾末町にある城。平山城。関ヶ原の戦ののち徳川家康の臣井伊直政は近江の石田三成の旧領十八万石を与えられて佐和山城に入った。直政の男直勝は慶長八年(一六〇三)に新城造営の工を起し、同九年に佐和山城から移転した
京都御所(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]上京区京都御苑広義には大宮御所(なかに仙洞御所がある)をも含み、狭義には京都御所のみをいう。里内裏であった土御門東洞院(つちみかどひがしのとういん)邸が、鎌倉最末期以来皇居とされていたものの後身で、仙洞御所と大宮御所は江戸初期に設けられた
荒城神社(日本歴史地名大系)
[現]国府町宮地 宮垣内荒城川右岸にあり、祭神は大荒木之命・国之水分神・天之水分神・弥都波能売神。旧県社。「延喜式」神名帳の荒城郡五座のうちの一つ。「和訓栞」に「荒木ハ生ノママナルヲ云ナルベシ、地名ニ荒木、新城ナドカケリ
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