改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧
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トマト(日本大百科全書・世界大百科事典)
ナス科(APG分類:ナス科)の多年草。栽培上は一年草として扱われる。茎は長さ1~2メートルになるが、自然には直立できず地面にはう。茎の下部が地面に接するところからは不定根を出す。葉は長さ15~45センチメートルの羽状複葉で、柔毛がある。小葉は5~9

イワシ(日本大百科全書・世界大百科事典)
硬骨魚綱ニシン目に属する海水魚のうち、マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシの総称、またはこれらの近縁種を含めたものの総称。ときにはマイワシだけをさすこともある。これらの魚種は、一般に漁獲量も多く、日本の水産上重要な種類であるばかりでなく、魚をはじめ

アサガオ(日本大百科全書・世界大百科事典)
ヒルガオ科(APG分類:ヒルガオ科)の不耐冬性一年草。広い意味でアサガオというと、熱帯アジア原産のニホンアサガオと、熱帯アメリカ原産のアメリカアサガオI.hederacea(L.)Jacq.(P.hederaceaChois.)(またはセイヨウ

ヒマワリ(日本大百科全書・世界大百科事典)
キク科ヒマワリ属の総称。一年草または多年草。普通、全株粗剛毛に覆われる。頭花は長花柄上に単生、またはまばらな散形花序をなす。北アメリカを中心に約160種知られ、花壇、切り花、または鉢植えにして観賞する。ヒマワリ(向日葵)sunflower

花火(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
火を扱う技術を一般に火術というが、そのなかでも芸術的な分野をなすものを花火という。すなわち花火は、火薬などが爆発しまたは燃えるときの光、火花、火の粉、音、煙などを巧みに組み合わせて、主として観賞の用に供するもので、その現象そのものをさすこともあれば、

送り火(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
門火(かどび)ともいい、一般には盆が終わり、精霊(しょうりょう)を送るため、家の入口、四つ辻(つじ)、墓などで焚(た)く火のこと。所によっては葬式の出棺のまぎわ、あるいは婚礼のおり娘が生家を出るとき、家の入口で火を焚く習俗があり、これも送り火とか門火

玉音放送(日本大百科全書・世界大百科事典)
1945年(昭和20)8月15日正午から、昭和天皇自らが太平洋戦争終結の決定を国民に伝えるために行った録音放送。それまでは、天皇は神聖なものであるからラジオに出ることはなかった。この年7月26日に日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言が出されたが

彰義隊(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争の佐幕派の軍事集団。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた将軍徳川慶喜(よしのぶ)が江戸に帰り上野に謹慎した1868年(慶応4)2月12日、旧一橋(ひとつばし)家家臣17名が江戸雑司谷(ぞうしがや)に会合して慶喜の復権と薩摩

白虎隊(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争期における会津藩の少年正規軍。1868年(慶応4)正月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに敗れた旧京都守護職の会津藩主松平容保(かたもり)は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜(よしのぶ)が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を

原子爆弾(世界大百科事典)
ウラン235,プルトニウム239などの原子核分裂の連鎖反応のさい放出される核分裂エネルギーを破壊目的に利用した核兵器。原子爆弾が人間の殺傷,住宅の破壊に実際に用いられたのは1945年8月6日広島市,8月9日長崎市においてだけであり,投下したのは

中秋節(世界大百科事典)
陰暦8月15日は秋の半ば(中秋)にあたり,中国では月を祭る日とされてきた。古くから観月の習慣はあるが,中秋のそれに固定化したのは唐代以後であり,中秋の名月こそ一年中で最も美しい月とされた。初めは高楼等に登って月を眺めながら酒食を楽しむにすぎなかったが

傾城買四十八手(国史大辞典・世界大百科事典)
江戸時代後期の洒落本。山東京伝作。寛政二年(一七九〇)刊。一冊。さまざまのタイプの遊客遊女との会話を四つの場面に描き分け、遊興・恋愛における男女の手くだ・技巧・感情を細かく鋭い観察と巧妙な写実手法によって、辛辣にまたユーモラスに描き、のちの諸作品への

通言総籬(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
山東京伝作の洒落本(しゃれぼん)。一冊。天明七年(一七八七)刊。京伝の当り作の黄表紙(きびょうし)『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(天明五年)中の人物、艶二郎・喜之介・志庵をそのまま流用し、其一に喜之介宅、其二に吉原遊里と、二つの場面

遊子方言(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
洒落本。一冊。田舎老人多田爺(ただのじじい)作。明和七年(一七七〇)刊と推定される。通人ぶった中年の男が若い息子ふうの男を連れて、柳橋から吉原仲の町の茶屋を経て遊女屋に遊び、盛んに高慢をいい知ったかぶりを見せるが、結局は遊女に冷遇され、おとなしい息子

小野小町(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁(たかむら)の孫、美材(よしき)、好古(よしふる)らの従妹とされる。系図については諸説があるが、確かなことは不明。小町の名についても、宮中の局町に住んだことによると

弁慶(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
源義経の郎従。武蔵坊と称する。没年は衣川の合戦で義経に殉じたとする伝承にもとづいて一一八九年(文治五)とされる。『吾妻鏡』や『平家物語』にその名が見えるので、実在の人物と考えられているが、詳しくは不明。その説話や伝承は、『義経記』をはじめ室町時代の

鞍馬天狗(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
大仏次郎の連作時代小説の主人公。『鬼面の老女』(一九二四)から『西海道中記』(一九五九)まで三六編の作品があり、いずれも鞍馬天狗を主人公としている。『御用盗異聞』『角兵衛獅子』『天狗廻状』『宗十郎頭巾』『江戸日記』『雁のたより』などがとくに名高い

一心太助(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
大久保彦左衛門に愛されたと伝えられる魚商。生没年不詳。侠勇あって「一心」の名は首(または腕ともいう)に「一心白道」の四字を入墨したところから呼ばれたとされる。実録本『大久保武蔵鐙(あぶみ)』によって大久保政談にからんで登場、浅草茅町の穀商松前屋

キュウリ(日本大百科全書・世界大百科事典)
ウリ科(APG分類:ウリ科)の一年生つる草。インドのヒマラヤ山麓(さんろく)原産で、インドでは3000年以前から栽培された。中国へは漢の時代に張騫(ちょうけん)(?―前114)によって西域(せいいき)から導入されたと伝えられ、このことから胡(こ)(西

ポツダム宣言(日本大百科全書・世界大百科事典)
1945年(昭和20)7月に開かれたポツダム会談で協議されたうえ、同年7月26日、米英中三国政府首脳の連名で日本に対して発せられた降伏勧告の宣言。この宣言は全部で13項からなり、日本がこのまま戦争を継続すれば日本の国土は完全に荒廃してしまうこと(3項

フランス革命(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
フランス革命とは1789年7月14日から1799年11月9日(共和暦8年ブリュメール18日)にかけてフランスに起きた革命をいう。▲革命の意義この革命は、思想、法律、政治、社会全領域に及ぶもので、自然権思想を武器とし、絶対王制の法構造を打ち破り、私的所

タコ(日本大百科全書・世界大百科事典・新選漢和辞典)
軟体動物門頭足綱八腕形目に属する動物の総称。[奥谷喬司]▲形態この目Octopodaの仲間の体は柔らかく、一見頭のようにみえる丸い外套(がいとう)膜の袋は胴で、この中に心臓、肝臓、消化管、生殖巣などの内臓が収まっている。本来の頭部は目のあるところで、

鳥羽・伏見の戦(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
戊辰(ぼしん)戦争最初の内乱。王政復古後、新政府内部において、討幕派は公議政体派を抑え、前将軍徳川慶喜(よしのぶ)に辞官納地を命じた。慶喜は大坂に退いて主導権回復を策したが、討幕派の関東での挑発、攪乱(かくらん)工作にのり、江戸薩摩(さつま)藩邸を焼

江戸開城(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1868年(慶応4)4月に行われた新政府軍への江戸城明渡し。同年正月3日の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いにおいて幕府軍は敗北し、大坂にいた徳川慶喜(よしのぶ)は海路江戸に帰った。2月、維新政府は東征軍を結成して東海、東山、北陸の三道から進軍を開始

小栗忠順(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末の幕臣。慶応(けいおう)期の徳川幕府を支えた中心人物の一人。江戸の生まれ。幼名を剛太郎、また襲名を又一ともいう。のち豊後守(ぶんごのかみ)、さらに上野介(こうずけのすけ)と改めた。1859年(安政6)目付となり、1860年(万延1)には日米修好通

山内豊信(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末期の土佐藩主。文政(ぶんせい)10年10月9日生まれ。分家山内豊著(とよあきら)の長男、宗家豊惇(とよあつ)の養子。1848年(嘉永1)15代目の藩主となり、隠居後、容堂(ようどう)と号す。分家出身のため苦労したが、ペリー来航後の対外的危機の緊迫

戊辰戦争(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
明治元年(一八六八)正月三日に始まる鳥羽・伏見戦争(鳥羽・伏見の戦)から上野戦争、そして北越(北陸)戦争・東北戦争、さらに翌二年五月に終る箱館戦争までの戦争の総称。明治元年が干支で戊辰の年にあたるので、この呼称がつけられている。〔鳥羽・伏見戦争・上野

太閤記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
豊臣秀吉の事蹟を書きとめた記録。小瀬甫庵著、寛永二年(一六二五)自序、二十二巻。別称『豊臣記』。巻一―十六は秀吉出生から晩年まで。秀吉の素生として父を筑阿弥、幼名を日吉丸とし、晩年は最も華やかであった慶長三年(一五九八)の醍醐の花見で終っている。巻十

鼠小僧次郎吉(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食や遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲に義賊とし

塚原卜伝(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
室町末期の剣豪で、新当(しんとう)流(鹿島(かしま)新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の祖。卜伝の伝記は巷説(こうせつ)が多く明らかではないが、常陸大掾(ひたちだいじょう)鹿島家の四宿老(しゅくろう)の一つで、鹿島社(鹿島神宮)の祠官(しか