に関連するサンプルページ一覧
オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」で閲覧することの出来る「」に関連するページの一部になります。
ジャパンナレッジは日本最大級のオンライン辞書・事典サービスです。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
さがなし(全文全訳古語辞典)
〔形容詞ク活用〕 《名詞「さが(性)」+「無し」》性質の意のさがに無しが付いてできた形容詞。よい性質がない、たちが悪い、の意。現代語の「くちさがない」に残る。❶(よい性質がない意から)性質がよくない。意地が悪い。例「春宮(とうぐう)の女御
をかし(全文全訳古語辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
〔形容詞シク活用〕 [類義語]をこがまし⇒をかしげ理知的に好奇心や興味を感じる情趣や、視覚・聴覚などで興味深くとらえた美、を表す。平安時代、「あはれ」と対比される語。❶笑いたいほどである。こっけいである。おかしい。例「中将をかしきを念じて」
いみじ(全文全訳古語辞典)
〔形容詞シク活用〕 《動詞「い(忌)む」の連用形の名詞「いみ」を形容詞化した語》 [類義語]ゆゆしその様子や状態が、並の程度ではない、が基本の意。好ましい場合にも、好ましくない場合にも用いる。何についての程度かは文脈による。❶はなはだしい
道外方(歌舞伎事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
役柄の一つ。歌舞伎の道化(どうけ)の役柄およびその役柄を専門に演じる俳優をいう。〈三枚目〉は後世の通称。日本の芸能の伝統的な展開の一方法である〈もどき〉によって、初期の歌舞伎では道外方が重要な役目を果たしていた。西欧のフールと同じ道化、阿呆、泣男
近松門左衛門(歌舞伎事典・日本大百科全書)
浄瑠璃作者。歌舞伎作者。本名杉森信盛。幼名次郎吉、長じて通称平馬。他に平安堂・巣林子(そうりんし)、不移山人などの号がある。近松は父の杉森信義が越前吉江藩の幼主に仕えて福井に在住していたとき次男として生まれたらしいが、父が浪人したため一五‐一九歳の頃
市川団十郎(歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎俳優。一二世まである。姓は堀越。屋号は代々成田屋。定紋は三升(みます)。早世した三世・六世を除いて代々名優で、江戸歌舞伎界屈指の名跡である。【初世】1660‐1704 祖先は甲州の武士で、永正年中に北条氏康の家臣となり、のち下総国埴生
役者評判記(歌舞伎事典・世界大百科事典・国史大辞典)
歌舞伎役者に対する芸評の書。広義には歌舞伎若衆の容色を品評する〈野郎評判記〉をも含めることもあるが、普通はこれと区別して、立役・敵役・若女方などすべての役柄の役者の技芸を批評する書物をいう。〈野郎評判記〉は明暦二(1656)年に始まると伝えられるが
仮名手本忠臣蔵(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
第一 鶴岡の饗応(兜改め) 〔一〕御馳走があっても食べてみないとそのうまさが味わえないということは、国が平和に治っている時は立派な武士の忠義も武勇も隠れているのに例えられ、それは星が昼には見えないで夜はきらめいて現れるようなものである。その例をここに
フグ(世界大百科事典)
フグ目フグ科Tetraodontidaeに属する海産魚の総称。広義にはフグ目のイトマキフグ科Aracanidae,ハコフグ科Ostraciontidae,ハリセンボン科Diodontidaeなどの魚を含めていう場合もあるが,以下,狭義のフグ科魚類に
ブリ(世界大百科事典)
スズキ目アジ科ブリ属の海産魚。温帯性の回遊魚で日本各地の沿岸に見られる。季節によってはカムチャツカ半島の南部,サハリン,沿海州,朝鮮半島および台湾沿海にも出現する。典型的な紡錘形で,わずかに側扁する。背は青色,腹部は銀白色で,吻端(ふんたん)から尾に
ユズ(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
解説・用例〔名〕(1)ミカン科の常緑小高木。中国の揚子江上流原産とされ、各地で栽培される。高さ約四メートル。枝に長いとげがある。葉は翼のある柄をもち長卵形で縁に鋸歯(きょし)がある。初夏、葉腋に純白色の小さな五弁花を一個ずつ開く。果実は扁球形で
大根(日本国語大辞典・世界大百科事典)
解説・用例【一】〔名〕〔一〕(「おおね」に当てた漢字を音読したもの)(1)アブラナ科の一年草または二年草。中央アジア原産とみられ、重要な蔬菜として古くから広く栽培されている。高さ約一メートル。地下に多汁・多肉質で長大な白い根がある。葉は群がって生え
自愛(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕(1)自分を大切にすること。自分の体に気をつけること。現代では、「御自愛」の形で、手紙の末文などで相手に向けて用いることが多い。*家伝〔760頃〕上(寧楽遺文)「入吾堂者、无如宗我大郎、但公神識奇相、実勝此人、願深自愛」*明衡往来
中央銀行(世界大百科事典)
今日の世界各国には,それぞれの金融組織の中核として金融調節を行い,金融政策の運営を担当する単一の銀行,すなわち中央銀行が存在している。具体的には,アメリカの連邦準備制度,イギリスのイングランド銀行,フランスのフランス銀行,ドイツのドイツ連邦銀行
薬価基準(世界大百科事典)
医療保険制度に基づく診療行為において使用できる医薬品の範囲と使用した医薬品の医療保険での支払い価格を定めたもの。薬価基準は,厚生大臣が定め,医薬品の品目表にそれぞれの品目ごとに規格・単位と薬価を示した価格表である。薬価基準に医薬品名を収載するには
王羲之(日本大百科全書・世界文学大事典・世界人名大辞典)
中国、東晋 (とうしん)時代の能書家。中国、日本において書聖として尊重される。東晋の建国に功労のあった王導 (おうどう)の従弟 (いとこ)王曠 (おうこう)の子。字 (あざな)は逸少 (いっしょう)。琅邪 (ろうや)臨沂 (りんぎ)
エリザベス1世(世界人名大辞典・世界大百科事典)
イングランドおよびアイルランド女王 [1558/1603].ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘としてロンドンに生まれ,議会の承認を得た父の遺言により,異母弟エドワード6世および異母姉メアリ1世につぐイングランド(およびアイルランド)王位継承者となる
カトリーヌ・ド・メディシス(世界人名大辞典・世界大百科事典)
フランス王アンリ2世の王妃.フィレンツェのメディチ家のロレンツォ・ディ・メディチ(Lorenzo de' M. 1492~1519)の娘.フランソワ2世,シャルル9世,アンリ3世の母.不幸な結婚生活 [1533-59]を送り,夫王の死後は政治的野心
カルバン(世界文学大事典・世界人名大辞典)
フランスの宗教改革者。北フランスのピカルディー地方ノワイヨンに生まれ,パリ,オルレアン,ブールジュの各大学で神学,法学を修め,さらにフランソワ1世の創設した王立教授団において,人文学を学んだ。22歳にして『セネカ〈寛仁論〉注解』
パッラディオ(世界人名大辞典・日本大百科全書)
イタリアの建築家.パドヴァに生まれる.ヴィチェンツァで人文主義者トリッシノに出会い,ウィトルウィウスをはじめ古代ローマ建築の研究を始める.田園の別荘住宅に古代建築の要素を持ち込んだ.円柱,アーチ,ペディメントを自在に重ね構成されるスタイルは
スレイマン1世(世界大百科事典・世界人名大辞典・日本大百科全書)
オスマン帝国第10代のスルタン。立法者(カーヌーニー)とも呼ばれる。在位1520-66年。彼の時代に帝国は最盛期を謳歌し,その領土はアジア,アフリカ,ヨーロッパ3大陸にまたがり,東地中海一帯を覆う大帝国となった。在位中,13回の親征を行ったが
小早川秀秋(国史大辞典)
一五八二 - 一六〇二 安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の正室高台院の兄木下家定の第五子。母は杉原七郎左衛門家次の女。天正十年(一五八二)近江長浜に生まれる。幼名辰之助。幼少から秀吉の養子となり高台院の膝下に養育され羽柴秀俊と名のり、同十九年参議に任じ
竹中半兵衛(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一五四四 - 七九 戦国時代の武将。もとの名は重虎、通称は半兵衛。重元の子。天文十三年(一五四四)生まれる。竹中氏は美濃国(岐阜県)の豪族であり、当初は美濃国守護斎藤竜興の武将として仕えていたが、永禄十年(一五六七)八月、織田信長が斎藤竜興を攻め
柴田勝家(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
? - 一五八三 安土桃山時代の武将。尾張国愛知郡に生まれる。織田信行(信長の弟)に属して信長と敵対したが、のち許されて信長の家臣となる。元亀元年(一五七〇)六角承禎・義治父子と戦って近江長光寺に籠城した際、飲料水を貯えた水甕を叩き割って決死の覚悟を
佐々木小次郎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
?‐1612(慶長17) 安土桃山時代から江戸初期の剣豪。幼名は九三郎といわれ、巌流とも称した。出身は越前国とも、周防国ともいわれる。幼い頃から富田流剣法の中興の祖である富田勢源に剣法を学び、長じて諸国を武者修行の末、「物干し竿」といわれる長太刀で
前田利家(国史大辞典・世界大百科事典)
一五三八 - 九九 安土桃山時代の武将。犬千代、孫四郎、又左衛門尉。天文七年(一五三八)尾張国愛知郡荒子村(名古屋市中川区荒子町)に前田利春(利昌)の四男として生まれる。幼少のころより織田信長に仕えたが、永禄二年(一五五九)同輩との争いから信長の勘気を
長宗我部元親(国史大辞典・世界大百科事典)
一五三八 - 九九 戦国時代の武将。土佐国の大名。幼名弥三郎、のち宮内少輔、羽柴土佐侍従。長宗我部国親の長男として天文七年(一五三八)長岡郡岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。幼少時は姫若子といわれた柔和な性格で国親は心痛していたという。永禄三年
滝川一益(国史大辞典・世界大百科事典)
一五二五 - 八六 安土桃山時代の武将。左近将監。大永五年(一五二五)滝川一勝の子として生まれる。織田信長に仕え、伊勢国司北畠氏との戦いに参加。永禄十二年(一五六九)大河内城攻撃の功によって北伊勢五郡を与えられ、付近一帯の指出検地を行なっている
西鶴諸国ばなし(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本大百科全書)
西鶴諸国ばなし(扉)絵入 西鶴諸国はなし 一(扉)巻一 あらまし大下馬 巻一 目録公事は破らずに勝つ見せぬ所は女大工大晦日はあはぬ算用傘の御託宣不思議のあし音雲中の腕押し狐四天王絵入 西鶴諸国はなし 二(扉)巻二 あらまし大下馬 巻二 目録姿の飛び乗
好色一代女(日本古典文学全集・世界大百科事典)
老女の隠れ家 「美女は男の命を断つ斧」と昔の人もいっている。咲いた花がいつか散り、枝は夕の薪となるように、人間もいつか年老いて死んでいくのは誰も逃れられぬ運命である。しかし、それを時ならぬ朝の嵐に散らすように、色道に溺れて若死にする人ほど愚かな者
