日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 まずは鴨長明『方丈記』(1212年)の一節をお読みいただきたい。

 「ここに六(む)そぢの露消えがたに及びて、更に末葉(すえは)の宿りを結べる事あり」

 ここに60歳の露のような消えかかりそうな命にまでなって、いまさらにまた最後の露の命を宿す住まいを作った、といった意味である。
 鴨長明が晩年に住んだ、現在の京都市伏見区日野の法界寺の南に結んだ方丈の庵について書いた部分である。方丈とは、一丈(=約三メートル)四方の広さである。四畳半よりもやや広い。
 だが、今話題にしたいのは方丈のことではなく、「六(む)そぢ」についてである。お手元にある国語辞典で「むそじ(六十路)」を引いてみていただきたいのだが、ほとんどの辞典は、60または60歳のことと説明されているはずである。だとすると、私は現在61歳なので、「むそじ」とは言えないことになる。しかし実際にはどうであろうか。「むそじ」といった場合、60代のことも言っているのではないか。
 「むそじ」のような「~そじ」という語は、20歳の「ふたそじ」からあるのだが、国立国語研究所のコーパスを見ると、「みそじ」つまり30歳の使用例が最も多い。しかも面白いことにこのコーパスでは「ふたそじ」の例は一つもない。「みそじ」というのは年齢の一つの山という意識が強いため、多用されるのかもしれない。 
 それはさておき、コーパスには、たとえば「みそじ半ば」とか「後一年でみそじも終わる」というような例が見られる。これは明らかに、30歳ではなく30代の意味で使っている。
 本来の意味は「むそじ」「みそじ」はジャスト60歳、30歳のことであるが、60代、30代の意味で使われることがかなり広まっているのではないだろうか。だとすると国語辞典も今後語釈を変えなければならない。ただ、私の見た中では『三省堂国語辞典』が、30代、60代という意味も載せている。さすがだと思う。これに追随する辞典がこれから出てくるであろう。
 ちなみに「そじ」とは、数を数えるのに10を単位としていう語である。「そじ」の「そ」は「十」だが、「じ」を「路」と書くのは当て字である。元来は「ち」と濁らず、「はたち(二十歳)」の「ち」も同じだと考えられている。現在ではもっぱら年齢を数えるのに用いられるが、古くは物の数を数えるのにも広く用いられていた。「じ」を「路」と当てたことにより、「三十路」などのように、年齢の区切りを人生の一つの山場であるとする意識が生まれたのかもしれない。
 なお、「~そじ」の形の各年齢の名称は、以下の通りである。

20歳:二十路(ふたそじ)/30歳:三十路(みそじ)/40歳:四十路(よそじ)/50歳:五十路(いそじ)/60歳:六十路(むそじ)/70歳:七十路(ななそじ)/80歳:八十路(やそじ)/90歳:九十路(ここのそじ)

 100歳以上の人の人口が、2017年9月15日に厚生労働省が発表した調査によると6万7824人だったそうだが、百歳以上には「~そじ」という言い方はなさそうである。だが、今後ご長寿のかたが増えると、110歳を「ももひとそじ(百一十路)」などと呼ぶようになるのかもしれない。

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 山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」という映画をご存じだろうか。2014年11月に亡くなった俳優の高倉健さんが主演した映画である。この映画での高倉さんは、北海道の網走刑務所から刑期を終えて出所してくる元炭鉱夫の役であった。いわゆる「むしょ帰り」である。
 この「むしょ帰り」の「むしょ」だが、ほとんどのかたは「刑務所」つまり「けいむしょ」の略だと思っているかもしれない。実際、『広辞苑』『大辞林』は、刑務所の略としている。また、『大辞泉』の「むしょ」の補注には、「監獄をいう『虫寄場(むしよせば)』の略からとも、『刑務所』の略ともいう」とある。ところが、この「むしょ」の「刑務所」語源説はかなり分が悪いのである。
 というのは、「刑務所」ということばが使われる以前に、「むしょ」の使用例があるからである。「刑務所」がそれまでの「監獄」から改称されたのは、1922年(大正11年)のこと。たとえば『日本国語大辞典(日国)』では、「刑務所」の項目で、『蟹工船(かにこうせん)』で有名な小林多喜二の小説『一九二八・三・一五』(1928年)の以下のような例を引用している。

 「東京からの同志たちは監獄(今では、ただ言葉だけ上品に! 云ひかへられて刑務所)に行ったり、検束されることを〈略〉『別荘行き』と云ってゐた」

 改称から6年後の例であるが、刑事ドラマなのでお聞きになったこともあるであろう「別荘行き」などということばが使われているのも面白い。
 刑務所に改称する以前の「むしょ」の例というのは、『日国』によると『隠語輯覧(いんごしゅうらん)』という隠語辞典にあり、盗人仲間の隠語として「監獄」を「むしょ」と呼んでいたのだという。『隠語輯覧』は1915(大正4)年に京都府警察部が発行した、盗人やてきや仲間などの隠語を集めた辞典である。『日国』ではこれを根拠に「刑務所」語源説を否定し、「虫寄場」説を採っている。
 では、「虫寄場」とは何なのであろうか。「寄場」はこの場合は牢獄のことだが、「虫」は『日国』では、『隠語輯覧』やそれよりもさらに古い『日本隠語集』(1892年)にその項目があるとしている。そして、「牢(ろう)。牢屋。牢が虫かごのようであるところからいうか。一説に、盗人仲間の隠語とし、『六四』の字を当てて、牢の食事は、麦と米が六対四の割合であったところからいうとも」と説明している。『日本隠語集』は広島県の警部だった稲山小長男が編纂した隠語辞典である。
 牢屋を「むし」と言っていたのは、江戸時代からのようで、『日国』では浄瑠璃の『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』(1745年初演)の例も引用している。
 おそらくこの「虫」が「むしょ」の語源で、たまたま「けいむしょ(刑務所)」の「むしょ」と重なる部分があったため、「刑務所」語源説が生じたのであろう。
 ただ、それですべてが解決するのかというと、そういうわけではない。ムシがなぜムショと発音されるようになったのかが、説明できないのである。これはけっこう大きな問題かもしれない。

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第371回
 

 「命の洗濯」というと、ひょっとすると風呂に入ることだと思っている人がいるかもしれない。もちろん入浴もそうではあるが、もっと広い意味で、平生の苦労から解放されて、寿命がのびるほど思う存分に楽しむことをいうのである。
 ことばのもつイメージとしては、何となく最近のことばのようだが、実は江戸時代から使われている。
 その証拠に江戸時代のことわざ辞典にも載せられていて、江戸末期の国語辞典『俚言集覧(りげんしゅうらん)』には、井原西鶴(さいかく)の浮世草子『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』(1682年)に出てくると記されている。そしてその『俚諺集覧』の解説が面白い。

 「久ぶりにて魚類美味を喰たる時にかくいふ」

 確かにおいしいものを食べることも命の洗濯になるかもしれないが、それだけではなかろう。これは『俚諺集覧』の編者の、儒学者で福井藩士でもあった太田全斎(1759~1829)の主観なのだろうが、ひょんなことから全斎の人柄が読み取れるようで、なんだかうれしくなってくる。
 話がそれたが、『好色一代男』にあるというのは、

 「さて今日よりは色里の衣装かさね、これをみる事命のせんだく」(巻七・新町の夕暮れ島原の曙)

 という部分である。
 「色里の衣装かさね」のいうのは、菊の節句(9月9日)に遊郭の高級遊女たちが着物や持ち物などを披露することで、これを見物するのは「命の洗濯」だといっているのである。遊女たちが各自の全盛を競い合った行事だったようで、華やかなものだったのであろう。
 「洗濯」が「せんだく」になっている点にも注目していただきたい。「洗濯」は古くは「せんだく」と濁って発音されていた。日本イエズス会がキリシタン宣教師の日本語修得のために刊行した辞書『日葡辞書(にっぽじしょ)』(1603~04)にも、「センダク」のほうが「センタク」よりも良い言い方であると記されている。ひょっとすると今でも西日本出身の方の中には、「センダク」と言っているかたがいらっしゃるかもしれない。
 いずれにしても江戸時代では、男が「命の洗濯」をするのは、どうしても遊郭ということになっていたようだ。そのため、「命の洗濯講(せんだくこう)」などと称して、それぞれが割り前を出し合って講をつくり、遊郭に行くということが、浮世草子の『傾城色三味線』(1701)に出てくる。
 ちなみに、私の「命の洗濯」はというと旅行に行って、その地方の銘酒を飲みながら「魚類美味」を味わうことであろうか。ちょうど200年前に生きた、『俚諺集覧』の編者とあまり変わらないかもしれない。

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 いつのころからか、「しがらみ政治」「しがらみのない政治」などのように、「しがらみ」ということばをよく聞くようになった。このことばを党綱領で使っている政党もある。曰く、「国政の奥深いところにはびこる『しがらみ政治』から脱却する。」と。
 後述するが、「しがらみ」という語自体はかなり古いことばである。だが、政治で使われ出したのはかなり新しい。

 例によって国会会議録で検索してみると、「しがらみ」の件数は昭和(終戦後)では、144件だが、平成になると537件ある。つまり政治の世界では平成になってから盛んに使われるようになったことがわかる。平成になって「しがらみ政治」の傾向が強くなったということではなく、従来の利害関係に捕われた政治から脱却すべきであるという文脈で使われることが多くなったからであろう。確かに「しがらみ」にはその音(おと)ゆえか、何やらしつこくまとわりついてくるような印象を受ける。だが、本当にそのようなマイナスイメージのことばなのであろうか。
 「しがらみ」という語は、動詞「しがらむ(柵)」の連用形が名詞化したものである。「しがらむ」は、からみつける、まといつける、からませるといった意味である。これが、名詞となって、水流をせき止めるために川の中に杭(くい)を打ち並べ、その両側から柴(しば)や竹などをからみつけたものをいうようになる。漢字では「柵」と書くが、「柵」は角材や丸太などを間隔を置いて立て、それに横木を渡した囲いが本来の意味である。
 「しがらみ」の使用例は古く、『万葉集』(8C後)に柿本人麻呂の歌として、

 「明日香川しがらみ渡し塞(せ)かませば流るる水ものどにかあらまし」(巻二・一九七)

 という歌がある。歌意は、「明日香川にしがらみをかけ渡してせき止めていたら、流れる水もゆったりとしていたであろう」というものである。天智天皇の皇女であった明日香皇女(あすかのひめみこ)が死去し、その殯宮(もがりのみや=仮埋葬の期間に行われる喪儀の宮)で人麻呂が詠んだ短歌である。おそらく、何らかの策を講じていれば明日香皇女の命ももっと長らえていただろうという、痛恨の思いを詠んだ歌であろう。この歌の「しがらみ」にはマイナスのイメージはない。むしろ、悪化するものをとどめてくれるものというプラスのイメージすら感じられる。
 この川をせき止めるものの意味から転じて、物事をせき止めたり、引き止めたりするもの、さらには、マイナスのイメージのあることばとして、まとわりついて身を束縛したり邪魔をしたりするものという意味になる。
 だが、明治のころにはまだマイナスの意味ではない使用例も見受けられる。たとえば、1889(明治22)年10月~94(明治27)年8月に森鴎外を中心として「しがらみ草紙」という文芸雑誌が刊行されるのだが、これは文壇の流れに柵(しがらみ)をかけるという使命感のもと創刊されたのだという(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)。この場合の「しがらみ」は悪化するものをとどめるものという意味で、決してマイナスの意味合いではない。
 ただ、江戸時代以降、「義理のしがらみ」「浮世のしがらみ」などといった、身を束縛するものという意味でも使われるようになり、マイナスの意味での用法も多くはなっていたのだが。
 「しがらみ」の名誉(?)のために繰り返すが、本来は決してマイナスの意味合いのことばではなかったのである。

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 今年放送されたNHKの朝の連続ドラマ「ひよっこ」をご覧になったというかたは、大勢いらっしゃることであろう。かく言う私も毎回欠かさず見ていた。主人公が生まれ育ったのは茨城県奥茨城村という架空の地名ではあるが、私のルーツも茨城県北部なので、何となく親近感を覚えていたのである。
 このドラマの中で、東京に出てきた主人公の母親が、警察官から「イバラギ」と言われると、「イバラギではありません、イバラキです」と言い返す場面があった。
 ルーツは茨城だが千葉県で生まれ育った私にも、とてもよくわかる台詞であった。「茨城」を「イバラギ」と言う人は、私の周りでもけっこう多いのである。ほんとうはこの母親の言う通り「イバラキ」なのに。そして茨城県市出身者が「イバラギではありません、イバラキです」と言っているのも、幾度となく耳にしている。
 なぜ「イバラキ」ではなく「イバラギ」と言ってしまうのだろうか。ひとつには「イバラギ」と、末尾を濁音にした方が発音しやすいということがあるのかもしれない。
 だがもうひとつ、茨城弁の特質も関係しているような気がする。と言うのも、茨城弁では、カ行は濁音になりやすいという性質をもっているからである。例えば、カギ(柿)、ハグ(掃く)などのように。従って、茨城出身者が「イバラキ」と言っているつもりでも、県外の人間には「イバラギ」と聞こえることがあるのかもしれない。そのため茨城県人だって「イバラギ」と言っているではないかと、誤解されている可能性はないだろうか。
 しかし繰り返すが「城」は「ギ」ではなく、「キ」と清音なのである。
 茨城という地名は、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』(奈良時代成立の常陸国の地誌)の本文冒頭にある常陸国司の解文(げもん=報告書)に見える。

 「古(いにしえ)は、相模の国足柄の岳坂(やまさか)より東の諸(もろもろ)の県(あがた)は、惣(す)べて我姫(あづま)の国と称(い)ひき。是の当時、常陸(ひたち)と言はず。唯(ただ)、新治・筑波・茨城・那賀・久慈・多珂の国と称(い)ひ」

 ただし、この「茨城」は「うばらき」と読まれてきた。
 そして、『常陸風土記』には以下のような茨城の地名起源説話を二種類記載されている。

・朝廷から派遣された大臣の同族黒坂命(くろさかのみこと)が、服従しない民を征伐するため、彼らが外に出ている時をねらって住居の穴倉に茨棘(うばら)を仕掛け、突然騎馬の兵で彼らを追い立てた。彼らは穴倉に逃げ帰ったが、うばらの棘でみな傷つき死んだり散っていったりしてしまった。そこで茨棘にちなむ名を付けた。
・山の佐伯(さえき=抵抗する者の意)と野の佐伯が土地の人々に危害を加えるので、黒坂命はこの賊を計略で滅ぼすのに、茨(うばら)で城(き)を造ったため、茨城と呼ぶようになった。

 「茨城」と書かれるようになったのは、おそらく二番目の説話が根拠になっているのであろう。「城(き)」は「柵(き)」で、外部からの侵入を防ぐために、柵をめぐらして区切ったところ、すなわちとりでのことである。この字は「ギ」とは読まない。
 ちなみに似たような地名が大阪にもある。茨木市である。こちらもやはり「イバラキ」と読む。

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