日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 ご飯やみそ汁などを器に盛ることを、何と言っているであろうか。
 「よそう」だろうか、あるいは「よそる」だろうか。他にも「盛る」や、「つぐ」と言っているという方もいらっしゃるかもしれない。
 だが、今回話題にしたいのは「よそう」か「よそる」かということである。
 私のまわりにも、「ご飯をよそる」と言っている人がけっこう多い気がする。しかし、本来の言い方は「よそう」である。漢字で書くと「装う」、つまり服装や用具などを整えて身支度をするという意味が原義である。現代語では衣服などの場合は「よそう」が変化した「よそおう」を使うことが多いが。
 「よそう」は、飲食物を整え、用意するという意味から、飲食物を器に整えて盛るという意味になり、さらに飲食物を器に盛るという意味に変化して、現代語の意味になっていった。
 一方の「よそる」は、「よそう(装)」と、「もる(盛)」とが混交したものと考えられている。ことばとしては「よそう」よりも新しいが、ヘボン式ローマ字つづりで有名なアメリカ人宣教師ヘボンが編纂した和英辞典の第3版に当たる『改正増補和英語林集成』(1886年)に、「Yosoru ヨソル」とあることから、明治前期には使われていたことがわかる。
 「よそる」の例は文学作品などでもけっこう見かけるのだが、国語辞典の扱いはというと必ずしも好意的でないものもある。『日本国語大辞典』や『大辞泉』『広辞苑』『大辞林』などではさすがに見出し語を立てているが、小型の国語辞典になると私が調べた限りでは『現代国語例解辞典』『三省堂国語辞典』『岩波国語辞典』くらいしか「よそる」を見出し語に立ててはいない。「よそる」を載せていない辞典は、俗語的だと考えているのであろうか。またNHKの『日本語発音アクセント新辞典』にも「よそる」はない。
 東京女子大学の篠崎晃一教授によれば「よそる」は関東を中心に優勢だという(『出身地(イナカ)がわかる方言』篠崎晃一+毎日新聞社 幻冬舎文庫)。ただし、東京と千葉は「よそう」が優勢で、関西も「よそう」が強いらしい。ちなみに、他の言い方として冒頭で示した「つぐ」は継ぎ足すという意味から派生したと思われるが、篠崎教授によれば中四国と九州で優勢だという。

★神永曉氏、語彙・辞書研究会「辞書の未来」に登場!
「日本語、どうでしょう?」の著者、神永さんが創立25周年の語彙・辞書研究会の第50回記念シンポジウムにパネリストとして参加されます。現代の日本において国語辞書は使い手の要望に十分応えられているのか? 電子化の時代に対応した辞書のあり方とは一体どういうものなのか? シンポジウム「辞書の未来」ぜひご参加ください。

語彙・辞書研究会第50回記念シンポジウム「辞書の未来」
【第1テーマ】日本語母語話者に必要な国語辞書とは何か
[パネリスト]
小野正弘(明治大学教授)
平木靖成(岩波書店辞典編集部副部長)
【第2テーマ】紙の辞書に未来はあるか
――これからの「辞書」の形態・機能・流通等をめぐって
[パネリスト]
林 史典(聖徳大学教授)
神永 曉(小学館 出版局「辞書・デジタルリファレンス」プロデューサー)

日時 2016年11月12日(土) 13時15分~17時
会場 新宿NSビル 3階 3J会議室
参加費【一般】1,800円【学生・院生】1,200円 (会場費・予稿集代等を含む)
くわしくはこちら→http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/50/index.html

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 「アンケートをとる」という言い方を、したり聞いたりしたことはないだろうか。もちろん間違った言い方ではないのだが、「アンケートをする」が自然な言い方だとされているのである。
 アンケートはフランス語enquêteからで、元の意味は調査、問い合わせということである。つまり、「調査」の意だから、「調査をする(行う・実施する)」という言い方がふつうで、同様に「アンケート」も「アンケートをする(行う・実施する)」のほうが自然だというわけである。
 だが実際には「アンケートをとる」という言い方はかなり広まっていると思われる。筑波大学・国立国語研究所・Lago言語研究所のコーパスで検索しても、「アンケートをとる(取る)」の頻度数は1,162である。これに対して、「アンケートをする」のそれは283、「行う」は589、「実施する」は1018で、単独では「アンケートをとる」が一番多いのである。
 「アンケートをとる」という言い方が生まれたのは、「とる」が数量をはかる、調べるといった意味で使われた「統計をとる」などに引かれた可能性が高い。話しことばではあまり違和感なく使われているが、やはり改まった文章などでは使わないほうが無難かもしれない。
 また、アンケートの原義は「調査」なので、「アンケート調査」は重複表現だという考え方もある。そのためNHKでは、「アンケート調査」を認めつつも、使用には注意するようにとしている。
 ちなみに、「アンケート」をどのように数えるかということを記載した面白い辞典があるので紹介しておく。『数え方の辞典』(飯田朝子著 小学館)という辞典で、
 配布するものは「枚」、回答を得て回収するものは「通」で数えます。電話やインターネットでのアンケートは「件」「人」で回答数を数えます。
とある。「アンケート」の数え方なんて考えたこともなかったので実に新鮮であった。この辞典は物の名称からその数え方を知ることができる、読んでいて楽しい画期的な辞典である。

【参考】筑波大学・国立国語研究所・Lago言語研究所『NINJAL-LWP for TWC』(http://nlt.tsukuba.lagoinst.info)

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日時 2016年11月12日(土) 13時15分~17時
会場 新宿NSビル 3階 3J会議室
参加費【一般】1,800円【学生・院生】1,200円 (会場費・予稿集代等を含む)
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 「かねてからの希望どおり、会社を辞めて自分の店をもった」
 この文章を読んで、「おや?」っとお思いなった方はどれくらいいらっしゃるだろうか。何が問題なのかというと、「かねてから」という言い方である。
 実は、この「かねてから」は意味が重複するいわゆる重ねことばなので、新聞などでは避けるべきであるとされているのである。
 たとえば時事通信社の『用字用語ブック』でも、「かねてから」は重複表現であるとして、「かねて」と書くべきだとしている。ほかの新聞社の用字用語集も同様なので、例外があるかもしれないが、新聞記事はほとんど「かねて」と書かれているはずである。「かねて病気療養中のところ……」などのように。
 では、なぜ「かねてから」が重複表現になるのだろうか。「かねて」は、動詞「かぬ(兼)」の連用形に接続助詞「て」がついたものであるが、「兼ぬ」には一つの物が二つ以上の働きを合わせもつという意味のほかに、将来のことまで考える、予想するという意味もあった。この意味の「兼ぬ」に「て」がついて一語化し、副詞として使われるようになり、「以前から」「あらかじめ」の意味になっていくのである。だからそれに「から」をつけて「かねてから」とすると、以前からという意味が重なってしまうというわけである。
 確かにその通りなのだが、「かねてから」という語はけっこう古くから使われているのである。たとえば、幸田露伴の小説『五重塔』(1891~92)には、

 「いづれ親方親方と多くのものに立てらるる棟梁株とは、予(かね)てから知り居る馴染のお伝という女が」

という例がある。
 さらに、「かねてから」よりも古い「かねてより」という言い方も存在する。こちらなどは、『日本国語大辞典』によれば、『古今和歌集』や『源氏物語』といった平安時代の用例がある。
 このように「かねてから」「かねてより」の用例が古くからある存在することから、これらを歴史的に見れば重ねことばとは言えないと考えて、国語辞典では「かねて」の例文の中に「かねてから」「かねてより」の形も同時に示しているものが多い。
 新聞の立場と辞書の立場とが異なっている語の1つである。

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 「お昼ご飯にお握りを買おう、何がいい?」
 「ぼくはシャケだな」
 「わたしもサケがいいな」
 よくある会話だと思う。会話の中で2人が言っている「シャケ」「サケ」は同じもの、すなわち魚の「鮭」のことであるが、なぜ「鮭」にはふた通りの言い方があるのかお考えになったことはあるだろうか。
 生の魚は「サケ」、切り身になったり調理したりしたものは「シャケ」と呼ぶ、という説明をする人もいる。だが、これは根拠のない俗説である。
 「鮭」を「サケ」と言った確実な例はけっこう古く、平安初期に編纂された現存する日本最古の漢和辞書『新撰字鏡(しんせんじきょう)』(898~901)に見える。そこには、

 「鮭 脯也 佐介」

とあり、「佐介」は「サケ」である。
 これに対して「シャケ」の確実な例はと言うと、『日本国語大辞典』(『日国』)によれば、『喰物生類むり問答』(1833~44)という江戸後期の例である。面白い例なので引用しておく。

 「寺にあらずして栗といふがいかに、宮にあらねど鮭(シャケ)といふがごとし」

 「栗(くり)」は「庫裏(くり)」、「鮭(しゃけ)」は「社家(しゃけ)」というしゃれである。
 この『日国』では、解説の末尾に「なまり」という欄を設けている項目がある。「なまり」というのは、「近代諸方言において、いわゆる標準語と発音のかたちは違っていても、もとは同じものから出たと見られる語」のことで、「サケ」の項目でも、「シャケ」を「なまり」として掲げている。そして各地の方言資料から「シャケ(シヤケ)」という発音の分布地域を示している。
 シャケ〔埼玉・埼玉方言・千葉・神奈川・山梨・静岡・神戸・紀州・和歌山県・広島県〕
 シヤケ〔茨城〕
といった地域がそうなのだが、これにより「シャケ」はけっこう広範囲で使われていることがわかる。
 「シャケ」をなまりだとする考えは、文部大臣(当時)の諮問に応じて日本語改善について建議する機関であった国語審議会(第五期 昭和34年~36年)でも取り上げられたことがある。そこでは、「『サ行・シャ行』(中略)相通なども,おおむねなまりとして扱ってよい」として、「サケ(シャケ)(鮭)」と「サカン(シャカン)(左官)」を例として挙げている。つまり、「サケ」を標準語的な言い方だとみなしたわけである。このようなことから、新聞なども、たとえば時事通信社の『用字用語ブック』を見ると、「サケ」と表記するようにしている。
 だが、なまりだからと言って「シャケ」を排除すべきものではないであろう。実際、各国語辞典も「シャケ」を空見出し(参照見出し)にして、解説を「サケ」に送っているものがほとんどである。
 なお余談ではあるが、新潟県の村上地方に「鮭の酒浸し」という名物料理がある。これを肴に飲む新潟の酒は格別なのだが、この料理をなんと読むべきかいつも悩んでいる。「酒」も「サケ」「サカ」というふた通りの読みが考えられるため、組み合わせが4通りにもなるからである。

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 小学生からこんな質問を受けた。

 辞書で「乾杯」という語を引くと、「酒を飲みほすこと」と書いてあります。お誕生会などで、「カンパーイ」と言ってジュースを飲むけれど、お酒じゃなきゃ「乾杯」って言えないのでしょうか?

 確かに小学生向けの国語辞典を引くと、「さかずきをさしあげ、よろこびや健康などを祝って、酒を飲みほすこと。」(小学館『例解学習国語辞典』)とある。最近の小学生向けの国語辞典の中には「酒など」としているものもあるが、大人向けの辞典ではほとんどが「酒」だけである。
 もちろん「酒を飲みほすこと」というのが「乾杯」の本来の意味である。「乾杯」の意味は「杯を乾(ほ)す」ということであるからだ。「杯(さかずき)」は「酒(さか)杯(つき)」の意、つまり酒を飲む器ということなので、それを飲みほすと言うことは酒でなければならない。
 ただ、ことばというものは意味が拡大して使われるようになることがけっこう多い。中身がお酒でなくても、家庭などで親子でコップなどを触れ合わせて、 「カンパ~イ!」と言うことは少なからずあると思う。先日もテレビドラマを見ていたら、十代の三姉妹がジュースで「カンパ~イ!」とやっている場面があった。時代背景が昭和初期であったので多少違和感はあったが、これも拡大解釈をして使っているということになるであろう。
 一般向けの国語辞典ではまだ本来の意味しか載せていないものが多いが、これからは拡大解釈をした意味を載せる辞書も増えてくるものと思われる。
 ただし、マナーとしては、「乾杯」はアルコールが飲めなくても酒ですべきだという立場もあるらしい。つまりジュースやウーロン茶などでの「乾杯」はおかしいというのである。
 マナーの専門家ではない私にはその辺のところはよくわからないが、ことばとしては「酒」が本来であるということだけは言えるので、拡大した意味は載せたとしても、本来の意味もしっかり残しておくべきだと思うのである。

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