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改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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ミケランジェロ(世界大百科事典・日本大百科全書・世界人名大辞典)
イタリアの彫刻家,画家,建築家,詩人。青年時代には彫刻,絵画における盛期ルネサンス様式の完成者として,壮・晩年期には彫刻,絵画,建築におけるマニエリスム様式の形成者として,また生涯を通じて,新プラトン主義の影響を強く受けた宗教上の思索者,詩人として
島津忠良(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一四九二 - 一五六八 戦国時代の薩摩国の武将。父は島津(伊作)善久。母は新納是久の娘常盤。幼名は菊三郎。通称は三郎左衛門尉。明応元年(一四九二)生まれる。父善久の没後、母常盤の再嫁した相州家島津運久の家督を継承し、相模守を名乗り、本領伊作とともに
蒲生氏郷(国史大辞典・世界大百科事典・Encyclopedia of Japan)
一五五六 - 九五 安土桃山時代の武将。会津若松城主。利休七哲の一人。幼名鶴千代、忠三郎、賦秀(やすひで)、洗礼名レオン。弘治二年(一五五六)近江国蒲生郡日野(中野)城主で六角氏の重臣賢秀の第一子として生まれる。永禄十一年(一五六八)織田信長に降った
北条氏康(国史大辞典・世界大百科事典)
一五一五 - 七一 戦国時代の武将。相模国小田原城主。通称は新九郎。従五位下左京大夫。隠居後は相模守、また御本城様・本城などと敬称され、太清軒と号した。永正十二年(一五一五)に生まれる。父は北条氏綱、母は養珠院宗栄とみられる。享禄三年(一五三〇)に
黒田孝高(国史大辞典・世界大百科事典・Encyclopedia of Japan)
一五四六 - 一六〇四 安土桃山時代の武将。初名孝隆、のち孝高、致仕後政成に改む。幼名万吉、長じて官兵衛、勘解由と称し、剃髪して如水軒円清居士と号した。はじめ小寺氏を称したが、のち黒田姓に復した。天文十五年(一五四六)十一月二十九日、播磨国飾東郡姫路
宮本武蔵(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・Encyclopedia of Japan)
江戸時代初期の剣豪。二天一流(円明流,武蔵流ともいう)剣法の祖。《五輪書》の著者。二天と号した。日本の剣道史上最も著名な剣豪の一人で,小説,舞台,映画などにもなっているが,伝記については必ずしも明らかではない。出生地についても,播磨(兵庫県)の宮本村
浅井長政(国史大辞典・世界大百科事典・Encyclopedia of Japan)
一五四五 - 七三 戦国時代の武将。近江国の大名。はじめ賢政、のち長政と改名。通称新九郎、備前守と称した。天文十四年(一五四五)誕生。父久政、母は井口氏。永禄三年(一五六〇)十六歳で家を継いだ。久政隠退は重臣たちの強要によるものと伝えられている
ザクロ(世界大百科事典・日本国語大辞典)
観賞用,食用,薬用に栽培されるザクロ科の落葉樹。地中海東岸から北西インドに至る地方に分布し,西南アジア地域でもっとも古くから栽培された果樹の一つである。ヨーロッパにはギリシア時代,中国には3世紀終りごろ,日本へは平安期以前に渡来している
血圧(世界大百科事典・岩波 生物学辞典)
血圧とは血液が血管壁に及ぼす側圧のことである。血液は心臓のポンプ作用によって心臓から送り出され,動脈系から毛細血管に至り,静脈系を経て心臓に還流するが,血圧はこの血管の部位によって異なる。しかし一般に血圧といえば,体循環系における動脈の血圧を指す
晋書(国史大辞典・世界大百科事典)
中国、晋朝の正史。帝紀十・志二十・列伝七十・載記三十、計百三十巻。唐太宗の勅命(貞観二十年(六四六)閏三月)により、司空房玄齢・中書令遂良以下三十余名の高官・学者が参加し三年たらずで完成奏上された。一般に十八家晋書と総称される先行史籍を総括し
三国志(世界文学大事典・国史大辞典・世界大百科事典)
中国の三国時代(220−280)を描く歴史書。晋(しん)の陳寿の撰(せん)。65巻。後漢末の黄巾(こうきん)の乱(184)以後の混乱はやがて収束し,中原の地を占める魏(ぎ),淮水(わいすい)以南を支配する呉,四川省を本拠とする蜀(しよく)の三国鼎立
漢書(世界文学大事典・国史大辞典・世界大百科事典)
中国の史書。後漢の班固の撰(せん)。漢の高祖から王莽(おうもう)政権の崩壊に至るまで,十二代,230年間の前漢の歴史を記述する。中国の正史の一つ。本紀12巻,表8巻,志10巻,列伝70巻からなり,合わせて100巻。後漢の明帝の永平年間(58−75)に
史記(世界文学大事典・世界大百科事典)
中国の史書を代表する歴史の名著であり,かつ伝記文学の傑作。全130巻。前漢の司馬遷の著。前91(武帝の征和2)年ころ完成。もと『太史公書』と称された。〈太史公〉は司馬遷とその父司馬談(しばたん)の官職太史令を自称したもの。司馬遷は父談の意志を継承して
石川五右衛門(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
安土桃山時代の盗賊の頭目。豊臣政権に反発する義賊というのは江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎において粉飾された説で,《言経卿記》《豊臣秀吉譜》,アビラ・ヒロン《日本王国記》などによれば凶悪な窃盗である。1594年8月23日親子党類ともに京都三条河原で極刑に
横山大観(国史大辞典・世界大百科事典)
一八六八 - 一九五八 明治から昭和時代にかけての日本画家。明治元年(一八六八)九月十八日、水戸城下三ノ町(水戸市城東二丁目)に酒井捨彦の長男として生まれる。幼名秀蔵、秀磨。のち母方の横山家を継ぐ。明治二十二年新設の東京美術学校に入学
山県有朋(国史大辞典・世界大百科事典)
一八三八 - 一九二二 明治・大正時代の政治的、軍事的最高指導者の一人。号、含雪。天保九年(一八三八)閏四月二十二日長州萩城下川島村(山口県萩市川島)の下級武士の家に生まれる。父は有稔、母は松子。幼名は辰之助、小助、小輔。少年期から槍術に励んだ
正岡子規(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六七 - 一九〇二 明治時代の俳人、歌人。本名常規(つねのり)。自作墓誌銘には「又ノ名ハ処之助(ところのすけ)又ノ名ハ升(のぼる)又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋(だっさいしょおく)主人又ノ名ハ竹ノ里人」(原文ルビなし)と記し
樋口一葉(世界大百科事典)
明治時代の小説家。本名奈津(なつ)。東京生れ。15歳のとき中島歌子の萩の舎(はぎのや)塾に入門,桂園派の和歌を学んだが,1889年に父が死去,女戸主として一家の生計を支えてゆくために,職業作家となる決意をかためた。同門の田辺花圃(かほ)が
ショウガ(世界大百科事典)
ショウガ科の多年草。香辛料として世界的に知られている。起源は古く,インド原産とされているが,野生種は発見されていない。熱帯域が原産地であるので,高温多湿を好み,日本では7月から9月ごろにかけてよく生育する。草丈は60~90cmになり,地下茎は順次短縮
関東大震災(世界大百科事典)
1923年(大正12)9月1日午前11時58分、関東地方南部を襲った大震災。[木坂順一郎]被害状況震源地は相模湾北部(東経139.3度、北緯35.2度)の地点で、地震の強さは最大震度7、規模はM7.9であった。ちょうど昼食時であったため
おはぎ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
餅菓子の一種。萩餅(はぎのもち)の女房詞(ことば)。ぼた餅ともいう。糯米(もちごめ)と粳米(うるちまい)を等量に混ぜて炊き、粗くすり搗(つ)いて丸め、きな粉や餡(あん)、すりごまなどをまぶしたもの。春つくるのがぼた餅、秋つくるのがおはぎ
カボチャ(世界大百科事典)
ウリ科の一年草で重要な野菜である。日本で栽培しているカボチャには植物分類学上次の3種がある。(1)ニホンカボチャC.moschata Duch.(英名pumpkin) トウナス,ボウブラとも呼ばれた。(2)セイヨウカボチャC.maxima Duch.
サンマ(世界大百科事典・日本国語大辞典)
ダツ目サンマ科の海産魚。秋の味覚を代表する魚の一つで,秋刀魚の字を当てる。分類上はダツ,サヨリ,トビウオなどの仲間である。体は側扁して細長く,下あごが上あごよりわずかに長い。体の後部に対置する背びれとしりびれに,それぞれ数個の離れびれが続く。背側は
道路運送車両法(日本大百科全書・世界大百科事典)
道路上を運行する自動車、原動機付自転車、軽車両に関し、所有権についての公証を行い、安全性の確保および公害の防止ならびに整備についての技術の向上を図り、あわせて自動車の整備事業の健全な発達を通じて公共の福祉を増進することを目的とする法律
日立鉱山(国史大辞典・世界大百科事典)
茨城県日立市にあった近代有数の銅山。天正年間(一五七三―九二)の発見と伝えられるが、文久・元治の交、常陸の人大塚源吾衛門が水戸藩の許可を得て三年間稼行し休業したのち、明治六年(一八七三)以降、数人の鉱業人を経て同三十四年末に赤沢鉱業合資会社の経営に
中岡慎太郎(世界大百科事典)
幕末の尊攘派志士。道正と名のり,大山彦太郎,石川清之助などの変名をもつ。土佐国安芸郡北川郷大庄屋の中岡小伝次の長男。1857年(安政4)より大庄屋見習として村政にかかわるが,間崎滄浪から文を,武市瑞山から剣を学んだことから,61年(文久1)土佐勤王党
高村光雲(国史大辞典・世界大百科事典)
一八五二 - 一九三四 明治から昭和時代前期にかけての彫刻家。嘉永五年(一八五二)二月十八日、江戸下谷北清島町(東京都台東区東上野)に生まれる。旧姓は中島、父は兼松。幼名を光蔵といった。文久三年(一八六三)十二歳のとき
高杉晋作(国史大辞典・世界大百科事典)
一八三九 - 六七 幕末の長州藩士。尊攘倒幕運動における討幕派の中心人物。奇兵隊の結成で知られる。長門国萩菊屋横丁で萩藩大組(八組)士高杉小忠太春樹(高二百石)の嫡子として天保十年(一八三九)八月二十日に生まれ、母は同藩士大西将曹
志賀直哉(国史大辞典・世界大百科事典)
一八八三 - 一九七一 大正・昭和時代の小説家。明治十六年(一八八三)二月二十日、宮城県牡鹿郡石巻村(石巻市住吉町一丁目)に生まれた。父直温(なおはる)・母銀の次男だが、兄が前年早世したため、実質上の長子。二歳のとき父母と上京
島村抱月(世界大百科事典・国史大辞典)
評論家,新劇指導者。旧姓佐々山,本名滝太郎。島根県生れ。1894年早稲田大学の前身東京専門学校文学科卒業。坪内逍遥に文学を,大西祝(はじめ)に美学を学び,《早稲田文学》の記者,早大講師となり,緻密(ちみつ)重厚な美学的評論で高山樗牛(ちよぎゆう)と
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