まずは『日本国語大辞典(『日国』)』の「串カツ」の語釈をお読みいただきたい。
「(カツは「カツレツ」の略)一口大の豚肉と葱、または玉葱とを交互に竹串にさして、カツのようにあげたもの」
この文章を読んでも、おそらく関東のかたなら特に疑問を感じないかもしれない。私もそうなので。だが、関西のかたはいかがであろうか。大事な何かが足りないとお思いになるのではないだろうか。魚介・肉・野菜などを串に刺して揚げたもの、ソースの「二度づけ禁止」のお店で出すあれのことである。あの食べ物は単独の食材を串に刺して揚げていて、ネギやタマネギを間にはさんではいない。この語釈にはその説明がないのだ。おまけに、『日国』で引用されている用例がかなり怪しい。
*軽口浮世ばなし〔1977〕〈藤本義一〉一二・一「大阪の片隅新世界のジャンジャン横丁あたりで串カツ一本五円、コップ酒(この界隈では一合一勺をもって一杯とする)八十円を胃袋に詰め込んでは」
という例なのだが、著者の藤本義一さんが食べたのは、場所や値段から考えても『日国』に説明のない、単独の食材を串に刺して揚げたもののことであろう。
だとすると「串カツ」には二種類あることになる。その疑問を大阪ではなく京都でだが、京都で長年修業をした行きつけの割烹料理店の主人にぶつけたところ、実に明快な答えが返ってきた。関西で「串カツ」というと、さまざまな食材を串に刺して揚げたものと、豚肉とネギやタマネギをはさんで揚げたものと両方指すのだという。さらに、東京では前者を「串揚げ」と呼ぶことがあるのだが「串揚げ」との関係を聞いてみたところ、関西で「串揚げ」などと言ったら、「あほ、そんなものあるか!」と板場でしかられたというのである。
大阪では二種類の「串カツ」があるというのは、喜劇役者だった古川緑波の『古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉』の昭和14年(1939年)の記事からも納得できる。「十月二日(月曜)」の記事だ。
「阪神で梅田へ。堀井と梅田地下のスエヒロで串カツとカレーライス」
文中の「スエヒロ」は戦前に梅田地下にあった洋食屋だったらしい。現在も新梅田食堂街に「スエヒロ」というビフテキと欧風料理の店があり、私も大阪に行くときはよく寄るのだがそことの関連は分からない。それはそれとして、このとき緑波がカレーと一緒に食べたのは、豚肉と、ネギやタマネギを交互に串に刺した「串カツ」であろう。緑波は東京の生まれだが、何の疑問も感じずに食べているところをみると、店のメニューは「串カツ」だったに違いない。
冒頭で『日国』の「串カツ」の語釈を引用したが、実は他の国語辞典も私が調べた限りではほとんどが『日国』と同じである。中には関東で言う「串揚げ」を立項しているものもあるが、関西での「串カツ」には触れていない。唯一、『三省堂国語辞典』だけは「串揚げ」も立項して、「串カツ」の②の意味として、「〔関西で〕くしあげ」としている。だが、これだけだと関東目線なので、京都の割烹料理店の主人にしかられそうだ。
私が謝罪しなければならないというのは、東西で意味の違いがある語は辞書では極力それに配慮すべきで、『日国』も他の辞書もそれが足りないということなのである。
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