日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 最近はあまり耳にしなくなってしまった語だが、程度の低いことにうつつを抜かしたり、流行に左右されやすかったりすることを、多少軽蔑(けいべつ)の意味を込めて、「ミーハー」と言っていたのをご記憶だろうか。例えば、「ミーハー向けの雑誌」とか「発想がミーハーだなあ」などのように。
 この「ミーハー」だが、ふつうは「みいちゃんはあちゃん」の略だといわれていて、国語辞典では「ミーハー」ではなく、「みいはあ」の形で立項されている。ただし、実際に書くときは「ミーハー」の方が多いであろう。
 「みいちゃんはあちゃん」は『日本国語大辞典』では、

 「『みい』を『ドレミハ』の『ミ』に連想して、『はあちゃん』に並べていったとか、『みよちゃん』『はなちゃん』で女性の代表名としたとかいわれる」

と説明されている。他にも説があるのだが、この2つが代表的な語源説であろう。この「みいちゃんはあちゃん」の「みい」と「はあ」がくっついて、「みいはあ(ミーハー)」となったというのである。
 死語とまではいえないまでも、あまり使わなくなったことばなので(とはいうものの、私自身はまだ使うときがある)、小型の国語辞典ではあまりスペースを割きたくない語なのかもしれない。従って「みいはあ」「みいちゃんはあちゃん」という項目の扱いに、辞典によってかなり個性が見られるのである。それはそれでけっこう面白いのだが。
 主な小型の国語辞典におけるこの2語の扱いをまとめると、以下のようになる。(○は項目あり、×は無し)

『岩波国語辞典』
×「みいちゃんはあちゃん」
○「みいはあ」 補足説明で、「『みよちゃん花ちゃん』からという。もとはそのような娘たちを言った。」とある。
『新明解国語辞典』
×「みいちゃんはあちゃん」
○「みいはあ」 〔「みいちゃん(←みよちゃん)・はあちゃん(←花ちゃん)の略」〕とある。
『三省堂国語辞典』
○「みーちゃんはーちゃん」〔女性に多い名前を続けたことば〕とある
○「みーはー」⇒ミーちゃんハーちゃん
『明鏡国語辞典』
×「みいちゃんはあちゃん」
○「みいはあ」 補足説明で、「『みいちゃんはあちゃん』の略。」とある。ただし、「みいちゃんはあちゃん」の説明はない。
『現代国語例解辞典』
○「みいちゃんはあちゃん」 ただし、解説は「みいはあ」に送っている。
○「みいはあ」 「みいちゃんはあちゃん」の説明はない。

 いかがであろうか。これらを見て、皆さんはどの辞典がいちばんわかりやすいと思っただろうか。ほとんどの辞典では、「みいはあ」は「みいちゃんはあちゃん」からだということはわかるのだが、では「みいちゃんはあちゃん」が何なのかということになると、いささか心もとないものがある。これらの辞典の中で、2語の関係と、「みいちゃんはあちゃん」の意味がいちばんわかりやすいのは、『岩波国語辞典』かもしれない。
 もとより、これだけのことで辞典を評価するのは無理がある。だが、もはや死語に近く重要語ともいえない語ではあっても、私は辞典の役割は、引いた人の疑問にどこまで親切に答えているかが大事だと思うのである。

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 国語辞典マニアが集う、「国語辞典ナイト」というイベントがある。『三省堂国語辞典』の編纂者・飯間浩明さんを中心に、辞書の熱烈な愛好家が運営しているイベントである。その第9回の公演が今年4月に東京の渋谷であり、私もゲストとして呼んでいただいた。このイベントのチケットは発売直後に売り切れるほどの人気だと聞いていたので、辞書編集者として喜んで参加させてもらうことにしたのである。
 承諾の返事をすると、しばらくしてイベントの告知内容がメールで送られてきたのだが、それを見て、驚いた。
 「今回は国語辞典界の超レジェンド登場!『日本国語大辞典』編纂の神永曉さんが奇跡の出演決定です!」
とあったからである。そして、いろいろと考えさせられた。
 もちろんそれは、私が「国語辞典界の超レジェンド」かどうか、ということでない。この「レジェンド」という語の意味についてである。
 実は「レジェンド」という英語が日本でよく使われるようになったのは、比較的新しい。従って『日本国語大辞典』には載っていない。同じ小学館の『デジタル大辞泉』には見出し語があるのだが、意味は「伝説。言い伝え。」となっている。もちろんこれが、legendの本来の意味だろう。だがこの意味だと、「国語辞典界のレジェンド」という意味は説明できない。
 いくつかの辞典を調べてみると、『現代用語の基礎知識 2019』に「伝説。伝説的人物(名スポーツ選手)」とある。どうやら「レジェンド」は、最初はスポーツ界で名選手といわれている人に対して使われていた語であったらしい。
 確かに「レジェンド」は、2014年のユーキャン新語・流行語のトップテンに入っている。この年、葛西 紀明 さん(スキージャンプ選手)/青木 功 さん(プロゴルファー)/山本 昌広 さん(中日ドラゴンズ 投手)といった、熟年になってもトップに君臨していられるアスリートの活躍が目立った年であった。
 このスポーツ選手に対して使われていた「レジェンド」が、やがて対象が広がり、さまざまな分野で使われるようになったのに違いない。
 国語辞典の中では、さすがに新語に強い『三省堂国語辞典(三国)』には、「伝説(の人)」という意味が載っている。そしてその例文として、「その選手はチームの━になった」とある。
 「国語辞典ナイト」の飯間さんは『三国』の編纂者なので、いい機会だと思って、楽屋でこのことを話題にしてみた。『三国』も、この「レジェンド」の解説内容ですと、最初スポーツ界で使われていた名残をとどめていますね、でも最近はかなり広い範囲で使われていますよね、と。飯間さんも、確かにその通りで、検討の余地がありますねとおっしゃっていた。
 ただ、私が違和感を抱いたことは他にもある。現在この語は「伝説の人」という意味だと説明されることが多いが、この意味だと、引退している人か、もうこの世には存在していない人のように感じられてしまうのだ。だが、この語が使われるようになった当時、葛西さん、青木さん、山本さんは、バリバリの現役だったはずだ。そして、今でもこの語は現役の人に対しても使っている。だとすると、「レジェンド」のニュアンスを説明するのであれば、「伝説になりそうな人」「伝説といっていいような人」「もはや伝説となった人」ということなのではないかと思うのである。
 もちろん、私はそのいずれにも当てはまらないのだが。

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■受講料:3240円(税込)
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 都合の悪いことなどをはっきり言わずにあいまいに言う、という意味で使われる、「ことばを濁(にご)す」という表現がある。「ことばを濁してなかなか本音を明かさない」などと使う。この「濁す」は、よくわからないようにぼやかす、あいまいにしてごまかすという意味である。
 ところがこれと同じ意味合いで、「口を濁す」と言っている人がいる。文化庁が発表した2016年度の「国語に関する世論調査」でも、「口を濁す」を使う人が17.5パーセントいた。本来の言い方とされる「ことばを濁す」を使う人は74.3パーセントなので、少数派ではあるが無視できない数である。
 ところで、文化庁はこの調査では「ことばを濁す」を本来の言い方だとしているのだが、もちろんそれについて異論があるわけではない。だが、では「口を濁す」は本来の言い方ではないと断言できるのだろうか、という気がしないでもないのである。
 『日本国語大辞典(日国)』によれば、「ことばを濁す」の最も古い例は末広鉄腸(すえひろてっちょう)の政治小説『花間鶯(かかんおう)』(1887~88年)の、
 「声を掛けたらハイと答へて跡で詞を濁(ニゴ)したので、愈(いよい)よ夫れと見抜いたが」
である。
 一方の「口を濁す」だが、『日国』では用例付きで立項されている。その例とは、平野謙が書いた評伝『田山花袋』(1956年)の、
 「口をにごして兄の失職の真因を衝かなかった花袋の怯懦を責めているのである」
というものである。
 ところが、『日国』では引用されていないのだが、それよりも30年ほど古い吉川英治の『鳴門秘帖』(1926~27)という小説の、
「『だが? ……まあ待て』と重苦しい口を濁して、そして、何かいおうとしたことまで黙ってしまった」
という使用例もある。
 もっと綿密な調査が必要なのだが、現時点でいえることは、「ことばを濁す」「口を濁す」ともに近代の例しかなく、それから考えると、どちらが本来の言い方か断定することは難しいのではないかということなのである。

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 新しい元号「令和」の出典が『万葉集』だったということで、『万葉集』がにわかに脚光を浴びている。その上、従来の元号の出典はすべて漢籍だったのだが、新元号は、初めて国書から採られたことでも話題になっている。
 「令和」の出典となった『万葉集』の文章は、皆さんもすでにご存じかもしれない。念のためにおさらいをしておくと、730年正月13日に、九州太宰府にある大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で、梅の花見の宴が催されたときのものである。当時旅人は大宰帥(だざいのそち)、すなわち大宰府長官の地位にあった。この旅人宅に集まった客人たちが、おのおの梅の歌を詠み、それが漢文の序文とともに『万葉集』に収録されているのである。実は『万葉集』では梅の歌は、桜の歌よりも多い。そして、『万葉集』の梅の歌はすべて白梅だと考えられている。
 漢文の序文の書き出しは、「時に初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ。梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」(原文は漢文)とある。折しも、初春のよい月に集えば、気候は良く風は穏やかで、梅の花は鏡の前にある白粉のように白く咲き、その匂いはまるで匂い袋のように香っている、といった意味であろう。この中にある「令月」の「令」と、「風和ぐ」の「和」から、「令和」としたというのである。「令月」とは、何事をするにもよい月という意味。漢字の「令」は、「法令」や「命令」の「令」で、おきて、いましめなどの意味があり、どこか冷たい印象を受ける字だが、「令名」「令夫人」のように、よいという意味もある。「令月」はまさにその意味なのである。
 『万葉集』のこの序文は、実は執筆の際に手本にしたと考えられている中国の文章がある。東晋の書家、王羲之(おうぎし)らが353年3月3日に会稽山陰(浙江(せつこう)省紹興市)の蘭亭に集い,曲水に觴(さかずき)を流し、詩を賦したのだが、そこで作られた詩をまとめた詩集の序文として書かれた「蘭亭序(らんていのじょ)」と呼ばれるものである。また、「令月」は、中国の『文選(もんぜん)』に収録された「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡『帰田賦』文選巻十五)」にあるという「新日本古典文学大系」の指摘もある。『文選』は6世紀前半に成立した、詩文のアンソロジーである。
 古い時代の日本の文学は中国文学から多くを学び発展してきた。そもそもことば自体も漢籍に由来するものも多い。『日本国語大辞典』で日本の文献例のあとに漢籍例を示しているのもそのためなのである。
 こうしたことを踏まえて、「令和」は必ずしも国書だけに拠ったものとはいえないという意見もある。だが、私は「令和」の典拠が『万葉集』だといっても、なんの問題もないと思っている。中国の古典とのかかわりがあることは、『万葉集』のこの梅の歌の序文を読んだ人の中で、さらに興味をもった人が知るようになれば、それでいいことなのではないかと思うのである。
 初めて国書から採った元号だとことさら強調する必要もない気がするが、今、多くの人が『万葉集』に注目してくれていることの方が、高校生のときからの『万葉集』ファンとしては、喜ばしく感じられるのである。

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 まずは、以下の文章をお読みいただきたい。国枝史郎(1888~1943)の短編小説『甲州鎮撫隊』(1938年)の一節である。

 「『松本先生には、君は、一方(ひとかた)ならないお世話になった筈だ』『現在(ただいま)もお世話になっております』」

 「松本先生」というのは、幕末・明治の医師で、初代陸軍軍医総監となった松本良順、そして、その「松本先生」の世話になっているというのは、新撰組隊士の沖田総司(おきたそうじ)である。『甲州鎮撫隊』はこの沖田総司の最期を描いた作品なのだが、この引用文のどこに注目していただきたかったのかというと、「一方ならないお世話」という部分についてである。と言うのも、私だったら「一方ならぬお世話」と言うはずだからだ。意味は、一通りでない、尋常一様でないということである。
 「一方ならない」と「一方ならぬ」、「ない」と「ぬ」はともに否定の助動詞であるが、どのような違いがあるのだろうか。
 その前に「一方」について触れておくと、この場合は「ひとかた」と読み「いっぽう」とは読まない。普通であること、一通りという意味である。
 この「一方」に断定の助動詞「なり」の未然形「なら」がついて、さらに打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」がついたものが、「一方ならぬ」である。この場合、「なり」も「ず」も古語なので、「一方ならぬ」も古語だといってよい。そう考えると、「一方ならぬ」という言い方自体が日常語ではなくなっているとも考えられる。だから、本来の言い方がわからなくなってしまい、打消の助動詞「ず」に相当する現代語の助動詞は「ない」なので、冒頭の引用文のように「一方ならない」という言い方が生まれてしまったのかもしれない。だが、古語「なり」に現代語「ない」を接続させるのは無理がある。
 ただ、日常語としてはあまり使われなくなっていることは確かだが、礼状や年賀状などでは今でも使われることが多い。「一方ならぬ〔お引き立て・ご高配・ご愛顧・ご厚情・ご支援・ご用命・ご協力・ご指導〕を賜り(あずかり・いただき)」などのように。「一方ならない」を完全な誤用と切り捨てるつもりはないが、やはり改まった場面で使われることの多いことばなので、「一方ならぬ」を使った方が無難であろう。
 なお、最後に一言お断りしておく。国枝史郎の文章を本来の言い方とは違う例として引用したが、だからといって国枝のこの作品の価値を否定するつもりは毛頭ない。国枝は『蔦葛木曾桟(つたかずらきそのかけはし)』『神州纐纈(こうけつ)城』といった伝奇小説を数多く書いているが、『甲州鎮撫隊』にはそのような伝奇的な色合いは見られないものの、沖田総司の死と彼を巡る二人の女性の葛藤を描いた佳品だと思っている。

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