日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 私が編集にかかわった『日本国語大辞典』(『日国』)には、5千点近い図版(挿絵)が収録されている。第二版では動植物を中心に増補したが、初版からのものは過去の文献に掲載されているものを参考に、新たに描き起こしたものがほとんどである。過去の文献によった図版は、本文中の例文と同じように、キャプションに参考にした文献名も添えている。
 私はこれらの図版はほとんど担当することはなかった。だが、ゲラを読むときに、時々出てくる図版を見るのは、ちょっとした息抜きになっていた。そしてお気に入りの図版もいくつかあった。今回はその一つをご紹介したいと思う。
 それは「悪玉(あくだま)」という項目の図版で、山東京伝作の黄表紙(きびょうし)『心学早染艸(しんがくはやぞめぐさ)』(1790年)からのものである。
 下に示したように、顔が「善」「悪」の文字になっている人物が若い男の両腕を引っ張っている。そして、その脇では遊女とおぼしき女性がその様子を見ている。『心学早染艸』は目前屋理太郎という商家の息子が、悪魂によって放蕩したことから勘当され、盗賊にまで落ちるのだが、やがて善魂によって教化されるというストーリーである。
 この「善」「悪」の字の人物は魂を表していて、この絵を見る限りでは悪魂の方が勢力が強そうである。そしてこの善魂・悪魂がのちに「善玉」「悪玉」と呼ばれるようになる。『心学早染艸』では「善玉」「悪玉」ということばそのものは使われていないが、この小説によって「善玉」「悪玉」ということばが生まれたと考えられている。この絵がまさにその根拠とされるものなのである。
 「善玉」「悪玉」の「玉」は人の意味で、「善人」「悪人」と置き換えられる。これは人間の心に善悪の二つがあるとする心学の説による。心学は石門心学とも呼ばれ、江戸後期に石田梅巌(ばいがん)により唱(とな)えられ、庶民の間に広まった実践道徳の教義である。儒教を根本とし、神道・仏教を融合して平易に説いたものである。
 『心学早染艸』はそのタイトル通り、京伝が当時流行していた心学の教説を取り入れて書いた小説なのである。
 この「善玉」「悪玉」だが、とても面白い話を近世文学の棚橋正博氏にお聞きしたことがある。この「悪玉」が若者に受けてしまい、「悪」と書いた丸提灯をさおにくくりつけて高くかかげた少年たちが、夜な夜な街中を走りまわり、町奉行が禁止令を出したほどであったというのである。まるで暴走族である。
 今では、「善玉」「悪玉」は芝居や映画などでも使われるようになり、「善玉」は善人の役、「悪玉」は悪人の役を言う。また、「善玉」は良い作用を及ぼすものという意味で「善玉コルステロール」「善玉菌」などと言い、「悪玉」はその逆の意味で「悪玉コレステロール」「悪玉菌」などの形で使われるようになっている。
 今も生きていることばの根拠が江戸時代の小説の挿絵に求められるなんて、なんだか面白いではないか。



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 タイトルを見て、「桜狩り」なんてあまり聞いたことがないと思ったかたもいらっしゃるかもしれない。だが、「花見」よりも「桜狩り」の方が古くからあることばなのである。『日本国語大辞典(日国)』によれば、平安中期の物語『宇津保物語(うつほものがたり)』の例がある。
 「花見」の方はというと、やはり『日国』によれば、『平松家本平家物語』の例が最も古い。平松家というのは、安土桃山・江戸時代初期の公家・西洞院時慶(にしのとういんときよし)を遠祖とする家柄で、そこに伝わる『平家物語』は室町時代の書写本である。
 「花見」も「桜狩り」も、桜を観賞するという意味で使われ、『日国』で引用している文献の用例を見る限りでは、明治期くらいまではともに使われ続けたようである。だが、現在では「花見」が残って、「桜狩り」と言っている人はほとんどといってよいほどいなくなってしまったのではないか。
 ただ、その理由はよく分からない。かつての「桜狩り」は山地に生える桜を見に行くことであったが、後に里(さと)にも桜が植えられ、わざわざ山に行かなくても鑑賞できるようになったからであろうか。あるいは、「花見」には、桜の花の下で宴をはり遊興するという意味があり、やがてそれが桜を楽しむスタイルとして定着したためであろうか。
 「桜狩り」の「狩り」は、山野に行って、花などの美しさを観賞するという意味で、ほかに「紅葉(もみじ)狩り」などとも言う。また、山野に分け入って薬草やきのこなどを採ることも「狩り」と言い、「きのこ狩り」「薬狩り」などという語もある。
 面白いことに「桜狩り」という語は廃れてしまったのだが、「紅葉狩り」という語は現在でもしっかり残っている。「紅葉狩り」の場合は、紅葉の下で宴をはり遊興するということはほとんどなく、山野に分け入ることが多いので、本来の意味のまま使われ続けているのかもしれない。そして、紅葉の方にも古くは「紅葉見(もみじみ)」ということばもあった。「紅葉狩り」と同じ意味で、『日国』によれば、平安時代の『源氏物語』などかなり古い使用例がある。だが、「紅葉見」という語は現在では廃れてしまった。
 同じ意味のことばでも文化や習俗の実態に即しながらなのであろうが、栄枯盛衰があって面白い。

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 「森羅万象」という語が話題になった。2019年2月6日の参議院予算委員会で、安倍晋三総理が「総理大臣なので森羅万象すべて担当している」と発言したことによる。「森羅万象」の意味は、『日本国語大辞典(日国)』によると「宇宙間に数限りなく存在するいっさいの物事」ということなので、ずいぶん大きく出ちゃったなという気がしないでもない。
 今回その「森羅万象」について書こうと思っているのだが、だからといってこのような発言をした安倍総理について、何か私見を述べたいと思っているわけではない。
 辞書編集者として、この語の意味のこれからについて考えるいい機会を与えてくれたと思っているだけである。というのも、安倍総理の発言が大きく取り上げられてしまったが、実は「森羅万象」は政治家が好んで使うことばだからなのだ。しかも、その意味は、辞書に載っている本来の意味とはかなり異なる。
 もちろん政治家が好んで使うからといって、「森羅万象」は政治用語ではない。ところが、このコラムでも何度も利用している「国会会議録検索システム」でこの語を検索してみると、全体で211件使われていることが分かる。
 同システムで利用可能な会議録は、第1回国会(1947年5月開会)以降のすべての本会議、委員会などで、会議録の号ごとに順次掲載されている。現時点では今年の安倍総理の発言までは掲載されていないため、いちばん新しい「森羅万象」は2018年2月2日のものである。もっともその発言者も安倍総理なのだが。
 政治家が好んで使っていると考えたのは、その211件のうち、1947~1969年の昭和のときが119件、平成になってからが92件と満遍なく使われているからである。しかも興味深いことが一つある。同システムでは、帝国議会の第1回~第92回(1889年11月~1947年3月)の会議録も別に検索できるようになっているのだが、「森羅万象」は1946、47年で各一回使われているだけなのである。少なくとも国会では、「森羅万象」は戦後使われ始め、政治家の間に伝染していったように見える。
 政治家が好んで使うことばは、例えば「是々非々」など他にもあるが、この「森羅万象」の何が政治家の心をつかんだのだろうか。
 さて、辞書編集者として気になるこのことばの意味のこれからのことである。「森羅万象」の確認できる最も古い例は『日国』によれば、曹洞(そうとう)宗の開祖道元が書いた仏教書『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』(1231〜53)で、仏教語としても使われていたと思われる。ただしその際には、「シンラバンショウ」ではなく、「万」「象」を仏教関係の用語の読みに用いることが多い呉音の「マン」と「ゾウ」と読んで、「シンラマンゾウ」と言っていた可能性が高いのだが。それはさておき、仏教語としても用いられていたように、「宇宙間に数限りなく存在するいっさいの物事」が本来の意味である。
 ところが、安倍総理の発言もそうなのだが、「森羅万象」の後に「すべて」と言い換えているところを見ると、「森羅万象」を「すべて」「ことごとく」といった意味でとらえている人がいるのかもしれない。国会での他の使用例も、多くがその意味で使っているように見受けられる。つまり、「森羅万象」に本来なかった新しい意味が生まれつつありそうなのだ。もちろん、本来の意味が薄められて使われることは、ことばにはよくあることなので、驚くには当たらない。辞書編集者としては粛々と観察し続けるしかない。ただ、「森羅万象」の新しい意味が国会に限らず一般に広まって、辞書にも載せなければならないということになったら、私自身は遺憾に思う気がするのである。

 

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 2019年の大学センター試験で、古文の問題として出題された『玉水(たまみず)物語』が試験の当日から話題になった。その理由というのが面白く、センター試験で「百合物語」を出題するのかというのである。この「百合」ということばの意味は、辞書に載っていない。若者ことばで、女性の同性愛を意味するらしい。かくいう私もその意味を今回のことで初めて知った。
 『玉水物語』は室町時代に成立した御伽草子(おとぎぞうし)である。「御伽草子」とは室町時代から江戸初期にかけて作られた短編物語で、空想的・教訓的な内容で童話風の作品が多い。
 『玉水物語』も高柳(たかやなぎ)の宰相の美しい姫君を見そめた雄ギツネが姫君のおそばにいたいと思い、美少女に変じてある家に養われ、ついに望み通り姫に仕えるというストーリーである。「玉水」というのは姫に仕えたキツネが「玉水の前」と呼ばれたことによる。だが、やがて悲しくも切ない結末が訪れるのだが、ここではそれを詳しく述べることが目的ではない。結末をお知りになりたければ、京都大学図書館機構がインターネットでわかりやすいあらすじを公開しているので、そちらをお読みいただきたい。
 ではこの『玉水物語』の何を話題にしたかったのかというと、文中で使われているオノマトペについてなのである。オノマトペとは、ものの音や声などをまねた擬声語と事象の状態などをまねた擬態語のことだが、一般庶民を対象に書かれた御伽草子にはこれらのことばがけっこう多く使われている。
 センター試験の問題となったのはこの小説のほんの一部分だが、それでも「つくづくと座禅して」「さめざめとうち泣きて」「つやつやうちとくる気色もなく」「ぐちぐち申しければ」などが出てくる。中には現代語としても今でも使われているものもある。
 「つやつやうちとくる気色もなく」の部分は設問にもなっている。「この娘、つやつやうちとくる気色もなく、折々はうち泣きなどし給ふ」という文章について、娘はどのような思いからこのような態度を示したのか、という設問である。これは「つやつや」の意味が分からないと答えられないかもしれない。「つやつや」は古語の重要語で、ここでは下に打ち消しの表現を伴って、まるっきり、きれいさっぱり、まったく、少しもという意味で使われている。この娘(キツネが化けた娘)がまったく打ち解けるようすもなく、ときどきお泣きになる、という意味である。姫君にお仕えする前の、養家での娘の様子を描写した部分で、そのような態度をしているわけは、養母がもってきた縁談を喜ばず沈んだようすを見せれば、自分の願いを養母に伝えるきっかけが得られるだろうという期待からである。高柳の姫君に仕える手だてを練っている、娘(キツネ)のいちずな思いが伝わってくる場面といえる。
 また、「ぐちぐち申しければ」の「ぐちぐち」も面白い。現代語だと「ぐちぐちと文句を言う」の「ぐちぐち」である。ものの言い方が、つぶやくようでよく聞き取れないという意味である。
 この語が使われている場面は、娘が姫に仕えるようになってからのこと。五月半ばのある夜に、ほととぎすがやって来て飛び去っていったので、姫が、ホトトギスが遠く離れたところで鳴いているという意味の和歌の上の句を詠むと、娘が、深い思いと同じようなことで鳴いているのだろうと続けたのである。そしてすぐに娘は、「私の心のうち」とぼそぼそとつぶやくように申し上げたのだ。遠くで鳴くホトトギスの声に、届かぬ姫に対する自分の秘めた思いをなぞらえているのはいうまでも無い。うまい描写だと思う。
 それはさておき、『玉水物語』は古文とはいっても比較的読みやすい文章だと思う。こうした内容の古文をもっと若い人たちに読んでもらったら、古文が面白いと思う人も増えるかもしれない。大学入試の問題で使うだけではもったいない気がして、ついこのような文章を書いてしまった。

『悩ましい国語辞典』が文庫本に!
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 立春を過ぎるころになると、「三寒四温」ということばをよく聞く。寒い日が3日続くと、その後の4日ほどは温暖な日が続き、このような寒暖が繰り返される現象のことである。
 あるとき『日本大百科全書(ニッポニカ)』でこの「三寒四温」の解説を読んでいたら、以下のような文章に目がとまった。
 「三寒四温は日本の本土の天候にはあまりはっきりとは現れず、ひと冬に1回あるかないかという程度である」
 『ニッポニカ』は署名原稿で、この項目は気象研究家の故根本順吉さんが書いている。根本さんは気象に関するエッセーなども書き、テレビにもよく出演していたので、お名前をご存じのかたも多いであろう。その根本さんが「三寒四温」は「ひと冬に1回あるかないか」だと述べているのである。これを読んで、私の長年の疑問は氷解した。「三寒四温」という語はあまりにも有名なのに、実感としてはそのように感じることはほとんどなかったからである。私はその理由は、関東に住んでいるからだろうと思い込んでいた。
 ほとんど日本では現れない現象だということはわかった。だが今度は、そんなことばなのになぜこの季節になるとよく使われるのかという疑問がわいてくる。根本さんの解説をさらに読むと、「(「三寒四温」は)中国北部や朝鮮半島でいわれる俚諺(りげん)である」と書かれているではないか。「俚言」とはその土地特有の言い回しという意味である。日本ではほとんど実態のない現象を表すことばが、どうして日本で使われるようになったのだろうか。
 それを解く鍵が、『日本国語大辞典(『日国』)』で引用しているひとつの用例にありそうだ。こんな例である。

*尋常小学国語読本〔1917~23〕〈文部省〉一〇・一三「三日四日続いて寒ければ、其の次には又其のくらゐの間暖さが続くといふやうに、寒さと暖さがほとんど規則正しく交替することです。こちらでは昔から之を三寒四温といってゐるさうです」

 『尋常小学国語読本』は、第一次世界大戦後の大正デモクラシーの時代に改訂された国定第3期の国語の教科書で、1918年(大正7年)から使用された。巻一が「ハナ ハト マメ マス」から始まっているため、俗に「ハナハト読本」と呼ばれている。1933年(昭和8年)に、巻一が「サイタ サイタ サクラガ サイタ」で始まるいわゆる「サクラ読本」になるまで使用された。
 「三寒四温」はこの「ハナハト読本」の巻十に出てくる。『日国』の引用文には書かれていないのだが「京城の友から」という文章である。「京城」は現在の大韓民国の首都ソウルのことだが、日本が1910年の韓国併合とともに朝鮮総督をおき、京城府と改めたことによる旧称である。「京城の友から」はその京城に三か月前に家族と日本から移ってきた友だちが、日本に住む友人に書き送った手紙形式の文章となっている。
 この「ハナハト読本」を使った世代はすでに90歳以上になっていると思われるので、この文章を覚えている人はもはやあまりいないであろう。だが、国の機関が著作、編集した教科書の影響力は大きく、のちのちの時代まで実態はなくてもことばだけが伝えられたのではないかと考えられるのである。そして、私の勝手な語感だが、「サンカンシオン」という読みもなんとなく調子がよくて記憶に残りそうな気がしないでもない。

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