日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 「改ざんに手を染めたのか」
 といっても、財務省の公文書改ざん問題について論じようというわけではない。「手を染める」ということばについてである。「手を染める」は手をつける、事業などに関係するという意味である。「そめる」はその行為がはじまるという意味で、現在では「染める」と書くことが多いのだが、もともとは「初める」あるいは「始める」と表記されていた。だが、なぜ「初(始)める」が「染める」と書くようになったのかはよくわからない。
 インターネットで検索すると、「手を染める」は、作家の谷崎潤一郎が昭和に入って使い始めたと言われていて、小説『吉野葛』を執筆中に谷崎の遊び心から「手を染める」が生まれたと書かれているものがあった。出どころはテレビのバラエティー番組である。谷崎の『吉野葛』(1931年)は大学生のときに読んで深く感銘を受けた小説なので、もしそれが本当ならとてもうれしい。
 だが、日本語の歴史を文献を通じて見てきた辞書編集者として確信をもって言えることだが、「手を染める」の表記は谷崎の創始ではない。なぜそのようなことが言えるのか。
 その根拠のひとつが、『名語記(みょうごき)』(1275年)という鎌倉時代の辞書にある。『日本国語大辞典(日国)』の「そめる(初)」の項目で引用されているのだが、一部を示すと以下のような内容だ。

 「みそむ、ききそむのそむ如何。これは、初の心につかへり。〈略〉そむは猶、ただ染の字なるべしとおぼえ侍(は)べり。いろをつけはじむる心地也。そむる義とこそ推せられたれ」

 「みそむ(初めて会う)」「ききそむ(初めて聞く)」という語の「そむ」について説明した部分である。どういう内容かというと、「そむ」は「初」という意味で使っている。〈略〉また「そむ」はやはり「染」の字だと思われる。色を付け始めるという意味であり、染めるという意味だと推測できる、というものである。これから何かをしはじめるという意味の「そめる」を「染める」と表記するのは少なくとも鎌倉時代から行われていたことがわかる。
 さらに『日国』では「そめる(染)」の解説の中で、「(「手をそめる」などの形で)ある物事を始める。その事に関係する」という意味で使われるとし、菊池寛の小説『藤十郎の恋』(1919年)の、

 「不義非道な色事には、一指をだに染めることをしなかった」

という例を引用している。
 さらにこれが決定打になるのだが、『日国』にはないこんな例がある。劇作家の岸田国士の『俳優教育について』という評論で、発表は1926年。『吉野葛』よりも5年古い。

 「興行師も一方旧劇といふものがある以上、わざわざこの不景気な新劇に手を染めようとせず、俳優志願者も、少し素質のあるものは、映画などに走り」

 このような例があっても、「手を染める」という表記を岸田国士が初めて使ったとは言えないであろう。用例はそのことばのアリバイになるものであるが、それを扱うのはとても難しい。「手を染める」谷崎潤一郎創始説が独り歩きしないよう願うばかりである。

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 お手元のパソコンのワープロソフトで、「みそ汁」のことをいう「おみおつけ」と入力して変換すると、どう表示されるだろうか。私のものは「御御御付け」と変換される。「ゴゴゴつけ」というわけではなく、「御」という漢字は「お」「み」とよむので、「おみお」の部分が「御御御」だというのであろう。だが、本当に「おみおつけ」の表記はそれでいいのだろうか。
 『日本大百科全書(ニッポニカ)』で「みそ汁」の項目を引いてみると、興味深いことが書かれている。以下のような内容だ。

 「ご飯につけるみそ汁の女房詞(ことば)『おつけ』に、さらにていねい語、尊敬語の「御御(おみ)」をつけて御御御汁(おみおつけ)としたもので、敬語が三つも重ねられているのは、よほどその価値を高く評価したのであろう」

 この百科事典は署名原稿で、河野友美氏と多田鉄之助氏の連名になっている。お二人とも著名な食品研究家であるが、すでに故人である。
 かつては確かにこのような説は存在し、「御御御付け」という表記を示していた辞書もあった。だが私が調べた限りでは、現在「おみおつけ」の表記を「御御御付け」としているのは『大辞林』だけである。他は以前は「御御御付け」としていたものも、「御味御付け」とするか、あるいは、漢字表記なし(つまり仮名書き)にしているものばかりである。『広辞苑』も第6版では「御御御付け」であったが、最新版の第7版では「御味御付け」に変更した。なぜこのような違いが生じたのか。
 現在、「おみおつけ」は、「おみ」と「おつけ」に分けることができるという考え方が主流である。ともに女房ことばで、「おみ」の「み」は味噌のことでそれを丁寧に言った語、「おつけ」の「つけ」は本膳で飯に並べて付ける意から、吸い物の汁のことで、やはりそれを丁寧に言った語だというのである。女房ことばとは、室町時代初期頃に御所に仕える女性たちが使い始めた語で、のちにそれが広く広まったものである。
 『日本国語大辞典』には「おみ」も「おつけ」も室町時代から江戸時代の使用例が引用されている。だとすると、「やはり敬語を三つも重ねた」というのはかなり無理がある。「御御御付け」という表記が絶対に誤りだとは言えないまでも、語の成り立ちを考えるのなら、「御味御付け」と書くか仮名書きにする方が妥当であろう(『大辞林』も「おみ」は味噌を丁寧にいう近世女性語だという説は載せている)。
 なお、江戸時代の随筆『守貞漫稿』(1837~53年)に興味深い記述がある。

 「今俗京坂はすまし及みそ汁ともに露(つゆ)と云也。女詞なるべし。今江戸にて露と云はすまし也。味噌汁をおみをつけと云也」

 このことから「おみおつけ」はもともと江戸での言い方だった可能性が考えられる。
 「おみおつけ」のような普通に使われていることばでも、ことばの研究は進んでいるのである。

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 かれこれ18、9年も前の話である。定年で退職した上司の家に、編集部の仲間と遊びに行ったことがある。そのとき、上司が送ってくれた最寄り駅からの地図に、「パーマ屋の先」という記述があった。これを見た編集部の女性たちは大いに受けていた。「パーマ屋」なんて死語なんじゃないかと。上司は私よりも18歳年上だが、私も無意識につい「パーマ屋」と言ってしまう方なので、大笑いする女性たちを見て、これは油断してはいけないと思った。
 若い世代にはなじみのないことばかもしれないが、「パーマ屋」は今の美容院のことである。
 なぜ美容院を「パーマ屋」と言うのかというと、実に単純でパーマをかける店だからである。パーマはもともとはパーマネントウエーブの略なのだが、今となってはこのパーマネントウエーブということば自体、いささか古めかしい感じがしないでもない。
 『日本国語大辞典(日国)』によれば、「パーマネントウエーブ」は昭和初期に多用され、その省略形「パーマネント」は昭和初期から昭和30年代ころまで用いられていた。さらに略した「パーマ」は戦後になって使用例が目に付くようになり、「パーマネント」と入れ替わるように30年代以降に一般的になっていく。従って『日国』に載せられた「パーマ屋」の例は比較的新しい。こんな例だ。

*忘却の河〔1963〕〈福永武彦〉一「わたしくさくさするから今日パーマ屋に行って来たのよ」

 「パーマネントウエーブ」の方はどうかと言うと、

*モダン化粧室〔1931〕〈ハリー牛山〉「今此処で述べますのは現在一般に行はれてゐる様なパーマネント・ウエーブではありません」
*銀座八丁〔1934〕〈武田麟太郎〉「誰も彼もパーマネント・ウェーヴをかけた派手な髪をしてゐるのに」

と、2例とも「パーマ屋」の例よりも古い。

 ちなみに、パーマネントは、英permanentからで、元来は永久の、長持ちするなどの意味である。

*落葉日記〔1936~37〕〈岸田国士〉九・五「パーマネントをかけた断髪」
*二閑人交游図〔1941〕〈上林暁〉三「パアマネントの若い娘のゐる酒場」
*浮雲〔1949~50〕〈林芙美子〉三二「パアマネントした固い髪の毛」

と、こちらもパーマよりも古い。ちなみにパーマのもっとも古い例は、

*夢声戦争日記〈徳川夢声〉昭和一八年〔1943〕九月二六日「娘たち、最後のパーマネントへ出かける(もう電力の節約でパーマは許されなくなる)」

第二次世界大戦中の例で、内容も時代を感じさせるものだ。

 今使われる「美容院」だが、『日国』で引用されているのは

*まんだん読本〔1932〕漫劇「ロボット」〈松浦翠波〉「やれ美容院(ビヨウイン)は贅沢だから止めろの、ストッキングは見へない処はつぎを当てて使への」

というものである。
 だが、それよりもわずかながら古い、桃井鶴夫編の新語辞典『アルス新語辞典』(1930年)の「ビューティー・パーラー 英 beautyparlour 美容院」という例がある。パーマ屋よりも美容院の例の方が古いところが面白い。

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 世の中のちょっとした「差」に注目したテレビのバラエティー番組がある。その番組から声がかかり、時折ことばの差についてコメントしたり、情報収集のお手伝いをしたりしている。
 ある時、「めし」と「ごはん」の差について質問を受けた。そのことについて結局私は番組の中でコメントすることはなく、料理史の研究家が出演したようであるが、ことばの面から見ると面白いテーマなので触れておきたい。
 その質問項目に、熱々のときは「ご飯」で、冷たくなったら「めし」と呼ばれていたという説があるらしいのだが、どう思うかというものがあった。そのような説は初めて聞いたのだが、インターネットで検索してみると、確かにそのように述べている人がいる。ところが、残念なことにその根拠は示されていない。「冷や飯(めし)」とか「冷や飯食い」とかいうことばはあるが、「めし」と「ご飯」の違いは温度の問題ではない。重要なのは、そのことばがどういう経緯で生まれたかということなのである。
 「めし」は何となく俗語のような印象を受けるが、「食べる」の尊敬語で召し上がるという意味の動詞「めす(召す)」の名詞化によって生まれた語だと考えられている。召し上がるものという意味である。『日本国語大辞典』によるとこの語が使われるようになったのは室町時代なってかららしい。面白いことに、「めし」自体が本来は尊敬語であるはずなのに、室町時代後期には「お(御)」を付けた「おめし」の語形も現れる。われわれと同じで、「めし」だけだと卑俗な感じがしたのであろうか。
 一方の「ごはん」は、やはり室町時代に漢語「はん(飯)」が使われるようになるのだが、やがて女房ことばとしてこれに「お(御)」を加えた「おばん(御飯)」という語が現れる。そしてこれが広まり、江戸時代末期には「お」を「ご」に替えた、現在もある「ごはん」の形になる。
 では、室町時代よりも前は米を蒸したり炊いたりしたものを何と呼んでいたのであろうか。それは、「いい」と呼ばれていた。
 『万葉集』に、孝徳天皇の皇子で斉明天皇に謀反をはかったとされて19歳で処刑された有間皇子(640~658)の有名な歌が載せられている。

 「家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草まくら旅にしあれば椎の葉に盛る」(巻一・一四二)

 この「飯」は「いひ(いい)」と読むべきであろう。笥は食器の意味で、家にいるときはいつも食器に盛るごはんを、旅の途中なので椎の葉に盛ることだという意味である。つまり「飯」の呼び方の変遷は大まかに言えば、イイ→メシ→ゴハンということになる。
 「めし」と「ごはん」はまったく違った経緯から生まれた語だが、同じものをさし、今でこそ丁寧な言い方かどうかという違いはあるものの、意味的な違いはないのである。

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 まずは『日本国語大辞典(日国)』の「降臨」の語釈をお読みいただきたい。

 「神仏やその徳などがこの地上に来臨すること。神仏が天下ること。」

 これにより「降臨」の主体は、神や仏などであることがわかる。だが、最近見かけた以下の文章はいかがであろうか。

 「天才棋士降臨・藤井聡太」
 「ふなっしー地上降臨5周年プロジェクト」

 若き棋士の藤井聡太さんは、当然のことながら「神仏」などではない。ふなっしーも、このキャラクターを人間界に送り出したという梨神様神社なるものまで作ってしまったらしいのだが、だとしても「降臨」という語を使うのは違和感がある。これらの使用例は、「降臨」の意味が本来のものから外れ、拡散していると考えられる。
 「降臨」の意味がこのように拡散し始めたのは、「パズル&ドラゴンズ(パズドラ)」などのゲームアプリで使われたからと言われている。
 『日国』によれば、「降臨」の最も古い用例は以下のものである。

*観心寺文書‐承和四年〔837〕三月三日・観心寺縁起実録帳案(平安遺文一・六一)「右当寺者、先師和尚経行之伽藍、北斗七星降臨之霊山也」

 「観心寺文書(かんしんじもんじょ)」は、大阪府河内長野(かわちながの)市の観心寺の所蔵文書である。この部分は観心寺の由来を述べたもので、この寺はもともと亡くなった師である和尚が、本尊の前で読経しながらめぐり歩く儀式を行った建物だったといっているのである。面白いのは北斗七星が降臨した霊山だったと述べている点で、実はこの「観心寺文書」の例は、日本での「北斗七星」の最も古い例と考えられる。平安時代から北斗信仰があったのであろう。信仰の対象であるから、「北斗七星降臨之霊山也」と「降臨」を使っていても何ら問題はない。
 「降臨」というと、年配のかたは「天孫降臨」ということばをすぐに思い浮かべるのではないだろうか。「天孫降臨」の「天孫」とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のことで、この瓊瓊杵尊が大神の命を受けて、葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるために、高天原(たかまのはら)から日向(ひゅうが)の高千穂(たかちほ)峰に降りて来たことをいう。
 いずれにしても「降臨」は、本来は神仏などが天下ることをいっていたのである。
 だが、ことばというのはもとの意味が薄まって拡散してしまうのはよくあることなので、天才と言われる藤井聡太さんやキャラクターのふなっしーがこの世に現れることに対して使っても違和感を覚える人は少なくなっているのかもしれない。そうなると、現時点で国語辞典に書かれた「降臨」の意味は、ほとんどは冒頭で引用した『日国』と同じような内容なので、意味が合わないという人も出てくるかもしれない。
 どの時点で新しい意味を辞書の語釈に付けくわえるべきなのか、悩ましい問題である。

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