日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。


 最近、ある国際政治学者が「大喪の礼」を「たいもの礼」と言って、ネット上で話題になっていた。この政治学者を擁護するつもりはないのだが、ほんとうに「大喪」を「たいも」と読んではいけないのだろうか。辞書編集者としてはそれが気になる。
 『日本国語大辞典(日国)』で「たいそう(大喪)」を引くと、
 「天皇・太皇太后・皇太后・皇后の喪に服すること」
と説明されている。そして、この語釈の末尾には、同義語として「たいも」とある。これは一体何なのだろうか。さらに『日国』では、「たいも(大喪)」が立項されている。そこでは「『たいそう(大喪)』に同じ」とある。「大喪」は、「たいも」と読まれる可能性もあったわけだ。
 『日国』の「たいそう(大喪)」の用例は、次の2例である。

*公議所日誌‐一八・明治二年〔1869〕六月「且国家大喪ある毎に、此令を設けば、囹囲の囚縲、君上の不諱を悦び待たざるを不得」
*皇室服喪令(明治四二年)〔1909〕一九条「天皇、大行天皇、太皇太后、皇太后、皇后の喪に丁るときは大喪とす」

 公的な文書なので、当然のことながらどちらも「大喪」の読みは示されていない。このような読みが確定できない語は、『日国』では、通用している読みの方に用例を寄せ、可能性のある読みを参照見出しとして示すようにしている。「大喪」は、まさにそれに当たると判断したわけである。
 「たいも」と読む可能性が高いのは、2番目の『皇室服喪令』だろう。
 この『皇室服喪令』は、「こうしつふくもれい」とも「こうしつふくそうれい」とも読まれる。ただ「服喪」は、「ふくも」と読むことの方が多いかもしれない。
 『皇室服喪令』は、文字通り皇室の服喪の制を定めたものだが、「喪に服す」という語がしばしば使われている。引用した第19条では、天皇、大行天皇、太皇太后、皇太后、皇后の喪に丁(あた)るときは特に「大喪」とするとしているのである。頻出する「喪に服す」の「喪」は「も」だろうから、「大喪」は「たいも」と読むのかもしれない。
 「喪」という漢字は、字音が「そう」、字訓が「も」なので、「たいも」と読むと重箱読みになる。だが、実際には「喪」という漢字は重箱読みではないが、湯桶(ゆとう)読みにされることは少なくない。「喪章」「喪服」「喪主」の「喪」は「も」である。
 天皇,皇后等の葬儀のやり方を定めたのは、1926年に公布された『皇室喪儀令』からである。これは「そうぎれい」と読む。ただし、この法令では「大喪」ではなく、「大喪儀」という語が使われている。「たい・そうぎ」ではなく「たいそう・ぎ」で、「大喪の儀式」という意味である。『日国』ではこの『皇室喪儀令』を用例として、「大喪儀」で立項している。
 冒頭の国際政治学者が言った「大喪の礼」を定めたのは、1949年(昭和24)に改正された『皇室典範』第25条である。そこには、「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」とある。これにもふりがなはないが、『皇室喪儀令』から受け継いでいるのだろう、多くの人は「たいそうのれい」と読んでいる。
 確かに、「大喪の礼」は現在では「たいそうの礼」と読みならわされている。だから、「たいもの礼」はやはり違和感がある。だが、かつては「大喪」を「たいも」と読んでいた可能性もあったのである。
 ことばにかかわる者として、ことばの答えは一つとは限らないと思うのである。

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 このコラムを連載しているジャパンナレッジに、新たなコンテンツとして『使い方の分かる 類語例解辞典』(小学館)が加わった。
 この辞典の書籍版の発売は1993年のことなので、刊行からすでに30年近くたっている。にもかかわらず、今回新たにジャパンナレッジに収録されたということは、今でも需要があるからなのだろう。この辞典に企画の段階からかかわった者として、実に喜ばしい。
 この辞典が生まれる経緯や編集上の苦労話は、拙著『辞書編集、三十七年』(2018年 草思社)で詳しく書いたので、興味のあるかたはそちらをお読みいただきたい。
 この辞典の企画を立ち上げた当時、類語辞典には、やはりジャパンナレッジに収録されている『角川類語新辞典』(1981年 角川書店)があった。だが私としては、収録語数は限られていても、類語のニュアンスの違いを詳しく解説した辞典を世に問うてみたかったのである。そのような辞典はそれまでなかったし、今でも多くはない。
 似た意味の語をどれだけ知っているかで、文章力に差が出ることは、皆さんも経験があるだろう。ただ、知っていればいいというわけではない。それらの語をどのように使いこなすかが重要なのである。
 『類語例解辞典』では、類語のニュアンスの違いを説明するのに、1985年に初版を刊行した『現代国語例解辞典』でも使用した「類語対比表」を採用した。『現代国語例解辞典』も、私が企画の段階から編集にかかわった辞典である。「類語対比表」は『日本国語大辞典』の編集委員だった松井栄一(まついしげかず)先生の発案である。
 『類語例解辞典』では、たとえば「体の調子がよくて、気力、体力が盛んな様子」を意味する、「元気/健康/丈夫/達者」の各語を類語のグループとして一つにまとめ、それぞれの語のニュアンスの違いを解説している。「類語対比表」はすべてのグループで使ったわけではないが、「元気/健康/丈夫/達者」にはある。
 これらの4語は、「~な体」という場合、4語とも問題なく使えるが、「足が~」だというときは、「丈夫」「達者」を使うのが適切だということがわかる。その理由として、この2語は体の一部がしっかりしているさまを表す語だからだと説明されている。
 また、これらの4語の他に、「息災/壮健/健全/強壮/強健/頑健/健勝/健やか」といった関連する語も添えて、それぞれに意味と使い方を示し、類語の範囲を広げている。
 今回、この辞典がジャパンナレッジに収録されて、デジタルならではの検索ができるようになったのも、使い勝手がよくなった点だと思う。たとえば、「元気」は「活気/元気/生気」というグループも形成しているのだが、すぐにその解説に飛ぶことができるのである。
 また、『類語例解辞典』では、「元気/健康/丈夫/達者」のような類語グループを、10の大分類、それをさらに20の中分類に分けた、計200分類の枠の中に収めている。ジャパンナレッジ版では、ある語を検索すると、中分類に収められた類語グループが一括して表示されるのもありがたい。この類語グループの分類も、ほとんど私が作成したものである。根気のいる作業で、ことばを分類することの難しさをつくづくと思い知らされた。
 現在発売中のこの辞典の書籍版は、2003年に内容は変えずに本文と装丁のデザインを新たにし、新装版と名付けたものである。実は、その前の版は、本文デザインも装丁も私が手がけた。それはそれでとんでもない話だが、それだけにこの辞典に対する思い入れはひとしおなのである。そのため、今回いささか宣伝めいた内容になってしまったことはお許しいただきたい。
 ただ一つ、心残りなことがある。辞典のジャンルとして、類語辞典の重要性をもっと広めたいと思いつつ、在職中に果たせなかったことである。
 ジャパンナレッジには、『類語例解辞典』『角川類語新辞典』という個性的な二つの類語辞典が収録されるようになったので、ともに大いに活用していただきたい。

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 宮部みゆきさんの『黒武御神火御殿(くろたけごじんかごてん)』という小説を読んでいて、懐かしい語と出会った。と言っても、思い出深い語というわけではない。最近、ほとんど聞かなくなった語である。
 「きんかん頭」
 使う場を間違えたら差別語だが、このような語があったことを久しぶりに思い出した。もちろんはげ頭のこと。「きんか頭」とも言う。
 私がこの語を知ったのは、間違いなく高校時代に読んだ、吉川英治の『新書太閤記』(1939~45年)からである。ただし、同書では、「きんかん頭」ではなく「きんか頭」だった。
 それは明智光秀のことで、光秀は主君織田信長から、他の家臣の前でもそのように呼ばれていたというのである。実際に光秀が禿げていたかどうかはわからない。が、そのような伝承は確かにあるようだ。
 ところで、この「きんかん(きんか)」は柑橘類のキンカンのことだろうと、今までなんら疑いを抱いてこなかった。ところが、最近になって『日本国語大辞典(日国)』の「きんか頭」の「語誌」欄に、興味深いことが書かれているのを見つけた。少し長いが、そのまま引用する。

 「語源として、『金革』の略とも、『きんかり』光るさまからともいわれる。この語の使用時期より古くキンカン単独での例が見られるところから、直接的には柑橘類の『金柑』の形状からの連想が考えられるが、光るさまをいう擬態語『ぎんがり』との音の類似、また、『金』と光るイメージの類似など、複合的背景のあることも考えられる」

 「ぎんがり(きんかり)」とは、キラキラといった意味で、『日国』にも立項されている。そこで引用されている下記の俳諧例は、「きんかん」と「ぎんがり」の関連を思わせる。

*俳諧・鷹筑波集〔1638〕一「ゆびさす月のかげはぎんがり はげあたま修多羅の教を身にしめて〈日如〉」。

 「修多羅」は仏の教え、経文のことなので、さらに髪を剃った僧侶を連想させる。
 つまり『日国』は、「きんかん(きんか)頭」はキンカンの形から生まれただけの語ではなく、光るという意味合いも合わせもった語だと述べているわけである。だとすると、かなり念の入った語のような気がする。
 確かにはげ頭には、光るというイメージもある。「逆蛍(ぎゃくぼたる)」という語は、そのようなイメージから来ている。尻が光るホタルとは逆に、頭が光るということである。
 私は、子どものころ「はげちゃびん」とも言っていた。この言い方はどこでおぼえたのだろうか。「ちゃびん」は「茶瓶」のことである。はげ頭を「はげちゃびん」「ちゃびん」と言うのは、『お国ことばを知る方言の地図帳』(佐藤亮一監修)によると近畿地方に多い。ただ、関東でも茨城などに「はげちゃびん」と言う地域があるようなので、私の「はげちゃびん」はそれから来ているのかもしれない。
 湯沸かしのことは、関西では「茶瓶」だが、関東では「薬缶(やかん)」である。だから、「やかん頭」という語ももちろん存在する。
 東京の落語に「やかんなめ」があるが、もともとは上方の噺で「茶瓶ねずり」といったらしい。「ねずり」はなめるの意味である。
 私が聞いた、柳家小三治師匠のそれは、梅見に出かけた大家(たいけ)の奥方が、途中で持病の癪(しゃく)を起こしてしまうのだが、奥方はなぜか「やかん」をなめると癪がおさまるのである。そこへ薬缶のような見事なはげ頭の立派な武家が家来と一緒に通りかかって……といった噺である。
 以前、秘書を「ハゲ」呼ばわりして話題になった国会議員がいたが、これらの語も面白がって使うと取り返しのつかないことになる。使用にはじゅうぶんお気をつけ願いたい。

●神永さんによるワークショップなど開催!
兵庫県加古川市で神永さんの辞書についてのワークショップと講演会が開催! どちらも参加無料です。お近くの方、ぜひ!

【神永曉ワークショップ&トークショー加古川】
日時:7月24日(日曜)午後12時45分から
場所:加古川図書館 読書スペース
内容:
1、午後12時45分~午後1時45分
 親子で辞書引きワークショップ
 定員:25組(1家族を1組とします)※ひらがなが書けるお子さんであれば年齢不問
 持ち物:辞書、筆記用具
2、午後2時30分~午後4時00分
 トークショー「ことばの面白さと辞書の楽しさ」
 対象:どなたでも 
 定員:40人※前日までに参加予約された方には椅子席優先券を配布
参加費:無料

お申し込み:紀伊國屋書店加古川店にて受付中。電話または店頭にてお申し込みください。
お問い合わせ:
◆加古川図書館 電話:079-422-3471  ファックス:079-425-7048
◆紀伊國屋書店加古川店 電話:079-427-3311  ファックス:079-427-3621

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 馬鹿野郎、馬鹿なやつといった意味で使われる、「すっとこどっこい」というののしり語がある。ただ、「馬鹿」のように普通に使われる語ではないようで、私も実際に使った記憶はほとんどない。
 だとすると、もはや死語なのかもしれない。そう思って、小型の国語辞典をいくつか引いてみた。案の定というべきか、私が調べた限りでは『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』にしか立項されていなかった。
 特に『新明解』では、「面と向かって言う場合には悪意のみがこもるが、第三者については愛嬌交じりで言うこともある」とけっこう詳しく解説している。後半の「第三者について」というのは、「あのすっとこどっこいは最近どうしている」などのような使い方をいうのだろう。このことについては特に異存はない。
 だが、前半がいささか気になる。「すっとこどっこい」を面と向かって言ったとしても、「馬鹿」と同じで、悪意ばかりとは言えない気がするからだ。『新明解』は「馬鹿」の「運用」欄で、「馬鹿」は「心を許し合える間柄の人に対しては親近感を込めて何らかの批判をする際に用いられることがある」と解説している。「すっとこどっこい」も同様なのではないか。私がそう感じるのは、「すっとこどっこい」はののしり語ながら、ユーモラスな響きが感じられるからかもしれない。『新明解』とは語感が違うようだ。
 「すっとこどっこい」に愉快な響きが感じられるのは、この語は、東京とその周辺で行われる祭礼で、山車などの上で奏される馬鹿囃子(ばかばやし)の囃子詞(はやしことば)から生まれた語だからだと思う。
 馬鹿囃子は、大太鼓や締太鼓、摺鉦(すりがね)、笛などを用いた、とてもにぎやかな囃子で、馬鹿囃子という名は、おかめ、ひょっとこなどの面をつけた馬鹿踊りがつくところからそう呼ばれるようになったらしい。
 『日本国語大辞典(日国)』では、「すっとこどっこい」の最も古い例として、辰野隆(たつのゆたか)、林髞(はやしたかし)、徳川夢声(とくがわむせい)による座談会の記録『随筆寄席第二集』(1954年)が引用されている。

 「露伴先生はおこると『このスットコドッコイ、オタンチン…』というような言葉が二十くらい機関銃みたいに出たそうですね」

 「露伴先生」は、もちろん小説家の幸田露伴のことである。露伴は生粋の江戸っ子なので、「スットコドッコイ」「オタンチン」といったののしり語は、口をついて出てきたのだろう。
 ただ、この『随筆寄席第二集』の例はかなり新しい。昭和より古い例が見つかっていないのだ。これよりも10年ほど遡れる、正岡容(まさおかいるる)の『小説圓朝』(1943年)の

 「いいんだろう、いまのほうがいいんだろう、ざまアみやがれ、すっとこどっこい、そうなくっちゃならねえところだ」(第二話 芸憂芸喜・三)

 という例を見つけたが、これとても昭和の例である。
 「おたんちん」も人をあざけるときに言う語で、まぬけといった意味である。もともとは、寛政・享和(1789~1804)頃に、江戸新吉原で、いやな客をさして言った語だったようだ。
 この語をやはり小型の国語辞典を引いてみると、「すっとこどっこい」が載っていた『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』の他に、『新選国語辞典』『現代国語例解辞典』などに立項されている。『新明解』では、「おったんちん」とも言うと説明されている。これも私は『新明解』とは違う。子どもの頃、「おんたんちん」と言っていたからだ。
 いずれにしても、「すっとこどっこい」にしろ「おたんちん」にしろ、小型の辞典とはいえ、見出しから消滅させるのは惜しい気がする。

●神永さんによるワークショップなど開催!
兵庫県加古川市で神永さんの辞書についてのワークショップと講演会が開催! どちらも参加無料です。お近くの方、ぜひ!

【神永曉ワークショップ&トークショー加古川】
日時:7月24日(日曜)午後12時45分から
場所:加古川図書館 読書スペース
内容:
1、午後12時45分~午後1時45分
 親子で辞書引きワークショップ
 定員:25組(1家族を1組とします)※ひらがなが書けるお子さんであれば年齢不問
 持ち物:辞書、筆記用具
2、午後2時30分~午後4時00分
 トークショー「ことばの面白さと辞書の楽しさ」
 対象:どなたでも 
 定員:40人※前日までに参加予約された方には椅子席優先券を配布
参加費:無料

お申し込み:紀伊國屋書店加古川店にて受付中。電話または店頭にてお申し込みください。
お問い合わせ:
◆加古川図書館 電話:079-422-3471  ファックス:079-425-7048
◆紀伊國屋書店加古川店 電話:079-427-3311  ファックス:079-427-3621

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 幼いころ、転んでひざ小僧をすりむいたときなどに、母親から「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んで行け!」と言われた。すると、不思議なことになんとなく痛みが消えたものだ。
 ところが自分が親になって、子どもがけがをしたときに、「痛いの痛いの飛んで行け」とは言ったが、「ちちんぷいぷい」とは言わなくなった。
 「ちちんぷいぷい」とはいったい何だったのだろうか。
 『日本国語大辞典(日国)』を引いてみると、「ちちんぷいぷい」は、「『ちちんぷいぷい御世(ごよ)の御宝(おたから)』の略」とある。その後に「御世の御宝」などという言い方が続くとは知らなかった。そこで、「ちちんぷいぷい御世の御宝」を引いてみると、

 「幼児が転んだり、ぶつけたりして体を痛めたときに、痛む所をさすりながら、すかしなだめること。また、そのときに唱えることば。手品などを子どもに見せるときに呪文のように唱える場合にもいう」

と説明されている。
 そこに引用されている用例は、滑稽本『古朽木(ふるくちき)』(1780年)や洒落本の『五臓眼(ごぞうめがね)』(1789~1801年)で、この例から、少なくとも江戸時代中期にはこのように言っていたことがわかる。しかも、『日国』の解説にもあるように、この滑稽本と洒落本の例は、子どもをすかしなだめる場面ではなく、手品の呪文を思わせる例である。実際にそのような呪文を手品で唱えていたのだろうか。
 もう一例、江戸時代の太田全斎が編纂した国語辞書『俚言集覧(りげんしゅうらん)』(1797頃)の例を引用しているが、それには、

 「ちちんぷいぷい御代の御宝 小児を誘ふ児語」

とある。「ちちんぷいぷい」は同じ頃から、子どもに対しても使われていたことがわかる。
 では、なぜ「ちちんぷいぷい」なる言い方が生まれたのか。『日国』には「一説には、智仁武勇は御世の御宝の意ともいわれる」という説明がある。これは、子どものころ泣き虫だった徳川三代将軍家光を、乳母の春日局(かすがのつぼね)があやしたときに唱えたことばだという俗説もあるようだ。だが、真偽のほどはわからない。
 「智仁勇」なら、儒教で「三達徳(さんたっとく)」と呼ばれるもっとも基本的な三つの徳のことだが、儒教でいう「勇」は「武勇」とは違うので、「智仁武勇」とはどこからきたのだろうか。「武勇」は「ぷいぷい」と言わせるための、こじつけのような気がしないでもない。
 「ちちんぷいぷい」は、昔話にも使われている。「屁ひり爺」「竹切り爺」と呼ばれる話だが、地方によっては、爺さまが「ちちんぷいぷい」と唱えておならをする。手品の呪文と昔話とどちらが先かわからないが、何かをしてみせるときの呪文としては確かに愉快な響きがある。
 ちなみに「痛いの痛いの飛んで行け」は今でも使われるが、辞書では私が調べた限り『デジタル大辞泉』にしか載っていない。このおまじないは、実際に痛みを緩和させる効果のあることが医学的にも証明できるらしい。だとすると、辞書に載せてもいいような気がする。

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