日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ一覧
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十訓抄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉中期の教訓説話集。「じっくんしょう」とも読む。その序文から、建長(けんちょう)4年(1252)、少年たちに善悪賢愚の処世の道を示すために、東山の麓(ふもと)に庵(いおり)を結ぶ老遁世(とんせい)者によって編まれたことがわかる。この編者を菅原為長(

古今著聞集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の説話集。20巻。橘成季(たちばなのなりすえ)編。1254年(建長6)成立。約700話の短章を、30編に分類して編集する。その編目は、神祇(じんぎ)、釈教、政道忠臣、公事、文学、和歌、管絃(かんげん)歌舞、能書、術道、孝行恩愛、好色、武勇、弓

釈日本紀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』全30巻にわたるまとまった注釈書として現存最古のもの。目録とあわせて全29巻。卜部兼方(うらべかねかた)著。内容は開題(かいだい)、注音(ちゅうおん)、乱脱(らんだつ)、帝皇(ていおう)系図、述義(じゅつぎ)、秘訓(ひくん)、和歌の7部立

弁内侍日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の日記文学。二巻。1252年(建長4)までの記事がある。作者後深草院(ごふかくさいん)弁内侍は似絵(にせえ)(肖像画)の大家藤原信実(のぶざね)の女(むすめ)(生没年未詳)。姉妹の藻壁(そうへき)門院少将、少将内侍とともに優れた歌人であった。

一言芳談(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
浄土往生(おうじょう)を心の支えとして、世俗を捨て去ることを理想とした一遁世者(とんせいしゃ)が、自分の心にかなった法談を編録した書。鎌倉時代後期の成立。主として法然(ほうねん)(源空)の念仏思想の影響を受けた念仏者の法談150余条を収録しているが、

元亨釈書(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉末期に成立した日本仏教史書。虎関師錬(こかんしれん)著。30巻。総合的僧伝としては日本最初のもので、紀伝体の歴史書としても最初のものである。内容は、伝(僧伝)、表(資治表=年表)、志(仏教文化誌)の3部分からなり、巻19までの僧伝は、中国の高僧伝

寛永諸家系図伝(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府が寛永年間(1624~44)に編集した大名、旗本の系図集。1641年(寛永18)に着手し43年に完成した。林羅山(はやしらざん)を中心に数十名の学者や僧侶(そうりょ)が編集に従事した。諸家から提出させた家譜を資料として編集を進め、仮名本、真名

寛政重修諸家譜(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府が寛政~文化(ぶんか)年間(1789~1818)に編集した武家系図集。幕府は『寛永諸家系図伝』を補訂、続修するため、1799年(寛政11)に本書の編集に着手し、1812年(文化9)に終了した。この間、若年寄堀田正敦(まさあつ)以下60余名の学

ややこ踊(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世末期から近世初めにかけて行われたヤヤコ(幼女・少女)による小歌踊の芸能。出雲(いずも)の阿国(おくに)が歌舞伎(かぶき)踊を創始する前に演じていたことで知られる芸能である。『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』の天正(てんしょう)9年(158

鳥獣人物戯画(鳥獣戯画 、鳥獣人物戯画巻)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
絵巻。四巻。京都・高山寺(こうざんじ)蔵。国宝。12世紀中期~13世紀中期の制作とされ、擬人化された動物の諸態や、人間の遊びに興ずるさまを描き集めた戯画絵巻。「鳥獣戯画」ともよばれる。甲巻は猿、兎(うさぎ)、蛙(かえる)などが人間をまねて遊ぶ模様、乙

炬燵(こたつ)(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
冬季に使用する採暖用具の一つで、熱源の上に木製の櫓(やぐら)を置き、上からふとんをかけ、下半身を中に入れて暖まる。古くは「火燵」とも書き、熱源には炭火を用いたが、近年は電気ごたつが普及している。冬はこたつが一家だんらんの場となることが多い。これには構

プロテスタンティズム(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ルターやカルバンなどによる宗教改革に端を発し、今日では、ローマ・カトリック教会、東方正教会と並ぶキリスト教の一大勢力となった諸教派およびその思想の総称。プロテスタントということばは、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の改革否認に対する抗議宣言に由来するが、単なる抗議を超えて

承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱について記した軍記物。鎌倉中期の成立。作者不詳。『保元(ほうげん)物語』『平治(へいじ)物語』『平家(へいけ)物語』とともに「四部之合戦書」とよばれた。乱に関するもっとも詳細な記述であり、史料的価値も高い。後鳥羽(ごとば)上皇に批判的、北条義

閑居友(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉初期の仏教説話集。上下2巻。32話(上巻21、下巻11)を収載。1222年(承久4)成立。著者不明だが、九条良経(よしつね)の長男で入宋(にっそう)経験をもつ慶政上人(けいせいしょうにん)(1189―1268)説が有力。所載説話は、著者自身述べる

海道記(国史大辞典・日本大百科全書)
鎌倉初期の紀行文学。1巻。作者は京都白川(しらかわ)のあたりに住む50歳過ぎの佗(わ)び人(びと)というだけで詳しいことはわからない。1223年(貞応2)4月上旬に京都を出発して伊勢路(いせじ)をとり、足柄山(あしがらやま)を越えて鎌倉に着くまでの1

建礼門院右京大夫集(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安末期、高倉(たかくら)天皇の中宮建礼門院(平徳子)に仕え右京大夫とよばれた女房の家集。作者は生没年不明だが、1152、53年(仁平2、3)ごろから55年(久寿2)ごろの出生と推定されよう。父藤原伊行(これゆき)は、行成から6代の後裔(こうえい)で

新勅撰和歌集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第9代の勅撰和歌集。20巻。1232年(貞永1)6月、後堀河(ごほりかわ)天皇の下命で藤原定家が撰した。しかし成立経過は複雑で、同年10月に20巻の目録と序の草案を奏覧(形式的奏覧)。1234年(天福2)6月、後堀河院の希望で1498首の草稿本を清書

正法眼蔵随聞記(国史大辞典・日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
道元が嘉禎年間(1235-38),日常その門下に語った修行の心がまえを,弟子の懐奘(えじよう)(1198-1280)が克明に記録したもの。6冊の書冊にまとめられたのは懐奘没後のことである。嘉禎1年は,道元が京都郊外の深草に興聖寺を建立して2年目に

八雲御抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉初期の歌学書。順徳(じゅんとく)天皇の著作。1221年(承久3)より前から執筆、承久(じょうきゅう)の乱(1221)後、佐渡の配所で手を加えてまとめられた。六巻。草稿本と再撰(さいせん)本とがあり、内容も若干の相違がある。巻一は正義部(六義や歌体

東関紀行(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉中期の紀行文学。一巻。作者未詳。1242年(仁治3)8月10日ごろ京都を出発し、十余日後鎌倉に到着。そこで約2か月間滞在し、10月23日ごろ帰途に着くまでのことを書いているが、京都から鎌倉までの道中記が大部分で、鎌倉滞在記は逗留(とうりゅう)期間

天目茶碗(日本大百科全書(ニッポニカ))
抹茶茶碗の一種。この呼称は、鎌倉時代に中国浙江省の禅寺天目山に学んだ僧侶が帰国に際して持ち帰った黒釉のかかった茶碗をわが国で天目とよんだのに始まるとされ、のちにはこの器形(天目形)のものを天目茶碗とよぶようになった。天目茶碗の基本形は、低く小さな輪高台をもち

竪穴住居(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
地面を円形や方形に数十センチメートル掘りくぼめて、垂直に近い壁や平らな土間の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居である。おもに考古学的調査で発見され、日本では旧石器時代から中世まで使われた主要な住居様式の一つである。一般的には、一辺あるいは径が数メートルで

禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂(えいかんどう)町にある浄土宗西山(せいざん)禅林寺派総本山。聖衆来迎山無量寿院(しょうじゅらいごうさんむりょうじゅいん)と号し、俗に永観堂とよばれる。空海の弟子真紹(しんじょう)によって855年(斉衡2)に創建され、863年(貞観

ラクトン(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
環内にエステル基-COO-をもつ複素環式化合物の総称。環の大きさにより、4員環のβ(ベータ)-ラクトン、5員環のγ(ガンマ)-ラクトン、6員環のδ(デルタ)-ラクトン、……に分類される。β-、γ-ラクトン、……は、それぞれβ-、γ-ヒドロキシカルボン酸の環状エステルの構造をもつ

吏読(文字)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
朝鮮で国字ハングルの創案(1443)以前に発達した漢字による朝鮮語の表記法のこと。吏道,吏吐,吏書などとも書く。広義には,漢字の音や訓を利用して行った朝鮮語表記の総称としても用いられ,三国時代の固有名詞や官職名の表記を含めていうこともあるが,狭義では,郷札,口訣

上代特殊仮名遣い(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
7、8世紀の日本語文献には、後世にない仮名の使い分けがあり、それは発音の違いに基づくというもの。キケコソトノヒヘミメモヨロおよびその濁音ギゲゴゾドビベの万葉仮名は、それぞれ二つのグループ(橋本進吉の命名により甲類、乙類とよんでいる)に分類でき、グループ間で

太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫

久米舞(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
宮廷儀式に用いる国風歌舞の一つ。その起源は、早く王権に服属した古代の久米一族の風俗歌舞にあるといわれる。のちにこの久米集団は大伴連のもとで来目部(久米部)を形成し、主として戦闘に携わったが、その勇猛さは『日本書紀』と『古事記』神武天皇の条にみえる一連の来目歌

謡物(国史大辞典・日本大百科全書)
日本音楽用語。元来は、器楽曲に対して声楽曲を意味する語。(1)雅楽では広義には声楽を伴う曲種の総称で、器楽曲は「曲(ごく)の物」といった。狭義には番組編成形式としての「管絃(かんげん)」における声楽曲種をさし、具体的には催馬楽(さいばら)、朗詠等が含

林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
古代日本に伝わった外来音楽。林邑とは2世紀ごろ、いまのベトナム南部付近につくられたチャンパ国の中国名。インド文化の影響が強い。日本には南天竺(なんてんじく)の僧姿羅門僧正(ばらもんそうじょう)が、林邑の僧仏哲(ぶってつ)とともに唐を経て736年(天平